「晴屋の青い扉」カテゴリーアーカイブ

晴屋の青い扉 その94 内なる辺境に生きる その4 「内なる辺境」

晴屋の青い扉 その94
内なる辺境に生きる その4
「内なる辺境」

ものごとを客観的に捉えるのが得
意で、数字には強いタイプだけれ
ど、不思議なくらいに経済観念が
ない。
話すのも苦手で、愛想もなく、およ
そ商売向きではない。
こんな私がこの仕事を続けてこられ
たのは、私の背後にある自然の豊
かさと人の営みの確かさ、必要なも
の、美味しいものを求めるお客さん
たちの感性の健全によっている。
けれど似つかわしくないことでも、
長年続けているとそれなりに自分
のスタイルもできてくる。
整体法の野口晴哉は、「不向きな
ことでも25年を超えると自分の味が
でてくる」と言っている。
内気で無口な私が、客観的な説明
をしながらお客さんの感性に切り込
む、一歩前にでるようなスタイルが
いつの間にか私の個性と思われる
ようになっている。
ひと息に過ぎた、つい昨日のことの
ように思える八百屋の日々も、もう
38年もたってしまった。
一度だけ、八百屋を辞めようと思っ
たことがある。
晴屋をはじめて数年後、有機農
産物流通センターJACにかかわる
グループ内部で、創始者たちと、
別の路線でセンターを運営したい
主に学生運動経験者の新興勢力
の対立が深まり、独立の動きが起
きてきた。
私には自由という名の独裁と、民
主という名の衆愚のどこにでもあ
る、人類永遠のテーマのような争
いと感じ、どちらにも加担はしなか
った。
世に新しい動きを起こしながら、何
のミスも軋轢もなく組織を運営する
ことなどありえないと思っていた。
無理な独立での無益なエネルギー
の消耗を避け、現状での改善を望
んだ。
何度も会合がもたれ、話し合いが
続く中、独立を前提としている人た
ちには邪魔な存在として、私が矢
面に立たされる。
現役の八百屋であり、センター経験
者として流通の事情も知り、生産者
ともつながりがある。
誰も圧し潰すはできない。
そして最後に「その言い方はなん
だ」という急先鋒の人物の言葉を
皮切りに、何人かのリーダーたちが
同じ表現を連呼する。
内容でなく、相手の人間性を否定
することで立場を正当化する。
踏み絵を目の当たりにしているよう
で、怒りよりは哀しみに近い感覚に
とらわれた。
こんな連中や、こんな連中をなんと
も思わず支持する仲間と八百屋を
やっていくことなどできない。
発言するのをお終いにし、静かに
辞める決意をした。
けれど翌朝になって、寂しさと喪失
感があふれだす。
八百屋のくらし、命や自然と共に
あるくらしは、私の一部となってい
た。
それを分かつことはできない。
グループやセクトに属さず、自分の
道を歩むしかない。
私は以降、ますます孤立した独自
の道を進むことになる。
しばらくしての放漫経営の果ての
JACの倒産もあり、今までの品物を
扱い続けるために直接の取り引き
をする必要にも迫られ、卸やセンタ
ーからでない、直送の生産者が増
えていった。
発注作業や、発送のロットや運賃、
検品や支払いなど、直接の取り引
きでは手間がとても多い。
けれど自分で納得したもの、話を
しながら改良し育てたもの、生産者
の心意気と畑の風景を感じられる
ものをあつかう悦びは大きい。
必ずしも自分で求めたのではない
孤立路線だけれど、いつか晴屋の
個性のひとつとして定着している。
JACの流れをくむ流通センターの
メルカウーノとOFJオーガニック・フ
ァーム・ジャパン、比較的近い場所
なので直接引取できて鮮度と価格
を両立できる「こだわり村」が、野菜
の主な仕入れ先だ。
加工品は、ムソー、創健社、杉食、
オーサワジャパン、恒食などから
納得できるものを選んで仕入れて
いる。
その他に直送の生産者が数十件
あって、晴屋の店頭に色どりを添え
ている。
沖縄の芳野君のオクラ、水沢の小
平さんのりんご、山梨白州の有精
卵、庄内協同ファームの玄米おこ
し、山形の三吉の味噌と醤油、大
阪のやまだのせんべい、斎藤さん
の生蜂蜜などなど、海外からもオリ
ーブ油やバリの塩、ドイツのノンア
ルコールビールまでやってくる。
どれもかけがえのないものたちだ。
何かの系列に属し、その範囲で店
を切り盛りすることも可能だろう。
その方がずっと効率がいい。
しかしそうした合理化ができず、古
いスタイルを残す時代遅れの八百
屋となってしまった。
野菜の量り売り、トラックでの引き売
りなど、今は他の八百屋では止め
てしまったことも続けている。
毎週の通信の発行やセールなども
四苦八苦しながら継続している。
精神的には、未だに昔ながらの辺
境での八百屋である。
東久留米は東京の片隅にあって、
水と緑にめぐまれている。
長坂や屋久島のような圧倒的に大
きな自然や人の痕跡を感じない辺
境ではない。
けれどこの中庸が、極端に向かい
がちな晴屋を包んでいる。
それでも、メジャーになることを目
指せない辺境に生きる目線は、
失うことができない。

晴屋の青い扉 その93 内なる辺境に生きる その3 「終末から共生へ」

晴屋の青い扉 その93
内なる辺境に生きる その3
「終末から共生へ」

晴屋をはじめた1980年代は、私に
とっては、まず子育ての季節だった。
81年の5月に長女が生まれ、その
後の8年の間に、4回出産に立ち
会った。
4人とも運よく、自宅出産で無事に
生まれ、まだ仕事もそう忙しくはな
かった時期なので、育児に参加で
きた。
目つきの悪い私が道端に座ってい
たら相当に妖しいが、子どもといっ
しょだと突然にいい人になる。
子育ての大変さもあるけれど、社会
との接点も作ってくれる。
流行り物が嫌いで偏屈な私だが、
子どもに助けられ楽になったことは
多い。
そして子供はまず親の思い通りに
はならない。
テレビや、甘いもの、お金といった
世の害を助長するものを遠ざけよ
うとすると、かえって興味を持つ。
成長し、自分で理解するまで時間
の経緯をいとわず、待つということ
の意味を知ったのもこの時期だ。
その感覚は、日々どうお客さんと接
するかにもかかわってくる。
最初は、東京はもう未来がないとい
うところから晴屋は始まっている。
いきおいストイックになり、厳しさを
求める。
晴屋は当初から、野菜の量り売り
をしている。
必要なものを、必要な分だけ手に
とって買うのがいいだろうと思う。
開業当時は野菜の品質のばらつき
も今よりずっと大きかった。
けれど野菜への配慮がなく、他の
人の迷惑を考えずに野菜をガサガ
サと粗雑に選ぶ人に耐えられない。
野菜を命としてでなく、物としか見
ていない。
私は明確に拒否する。
「お客さんには野菜を選ぶ権利が
あります。私たちにもお客さんを選
ぶ権利があります。あなたに売る
野菜はないから、帰って下さい。」
ほとんど喧嘩腰で、逃げ場がない。
そして安全なお菓子を求めてく
る人たちにも、「おやつはお母さん
が作るものです。」などと言って、
「わが子のおやつ」という乾パンに
少し味がついたものしか置いてい
なかった。
まだ20代後半の若気のいたりとは
いえ、ずいぶんと無茶をしたものだ。
けれど反面の熱意もあり、反発もさ
れたけれど、強い支持もあった。
そして子育てを続けるうちに、その
基準はどんどんと緩くなる。
お菓子やジュースの品ぞろえも増
え、即席めんなどのラインナップも
充実していった。
人間は生きるのに必要になると、削
られる自尊心や基準がある。
晴屋をはじめて数年後、「風の谷
のナウシカ」の映画が世にでるよう
になった。
製作委員会主体で作った自主制作
の映画のため、通常の映画館でな
く、市民会館や体育館で自主上映
されている。
子どもたちを連れて見に行き、深く
心を揺すぶられた。
人類に救いと未来はあるのかという
重いテーマが、世の闇を見る私た
ちに切実に訴える。
映画の続きは「アニメージュ」という
雑誌にマンガで連載されている。
複雑に積み重なるストーリー。
主人公たちは、自分の生きる道、
生きる場を求めて葛藤する。
宮崎駿男監督は映画とそれに続く
マンガの展開を、「終末論から共生
論への転換」と表現していた。
雑多なこと、どうしようもないことが
あっても、私たちはここで生きてい
くしかない。
それが私たちの人生なのだ。
それほど頭が良くない私でも、その
主張の意味は理解できた。
平凡と悲惨、雑多と刺激が混濁し
て先行きが見えない世界であって
も、そこにも命は宿っている。
理想とははるか遠く、目前の霧も
闇もふり払うことはできないが、ま
わりとのつながりのために生きてい
くことはできる。
野菜と子どもたちに手をひかれ、
ひとりの素の人間として社会と向き
あうことができるようになった。
バブルに浮かれうわついた80年代、
世間とは真逆の方角に生きていた。
いつも自己を主張しない濃紺のT
シャツに、作務衣かGパンを着てい
た。
野菜も人も、見かけではなく中身が
大事という意思表示であり、野菜の
美味しさがすべてを語ると信じてい
た。
華美や虚飾がないこと、「無農薬」
などの尤もらしいキャッチフレーズ
がないことが本物の証しだ。
地に足をつけ、梢から垣間見える
空や雲のうつろいを見上げていた。
80年代は、暗黒の闇を脱して、心
を鎮める藍色に染まりゆく日々だっ
た。

晴屋の青い扉 その92 内なる辺境に生きる その2 「70年代の八百屋」

晴屋の青い扉 その92
内なる辺境に生きる その2
「70年代の八百屋」

1970年代は、1954年生まれの私が
16才から26才までの、最も多感で
不安定な時期だった。
戦後の復興は進み、多くの人が食
べるにはさほど困らないけれど、豊
さが実感できるほどではない。
一方で経済優先によって置き去り
にされたつけが現れ、公害や環境
汚染の問題も一部には取り上げら
れはじめてきた。
活気はありながらも先の見込みは
立たず、手軽な楽しさと閉塞感が
同居する屈折した感情が渦巻い
ていた。
こうした圧縮した感情がぶつかりあ
う時には、芸術的には面白いもの
が生まれる。
ビートルズが一世を風靡し、ロック
が台頭する。
ポップアート、映画の新しい波が
押し寄せ、クラシック音楽でも古楽
という新しい発想が生まれている。
20代後半で、有機農産物の仕入れ
センターJACに参加した頃、私より
少し上の世代、30代半ばの人たち
が八百屋を始めている。
子供がいて、これから経済的にも
厳しくなっていくことが予想される
人たちが、なぜこの時期に始める
のだろうと、まだ子供がいない私
は不思議に思っていた。
そうした人たちの大半は学生運動
の経験者だった。
自分ができるギリギリ最後の決断
として仕事を変え、八百屋を選んだ
のだろう。
一方、ナモ商会やJACの創始者た
ちは、コミューン(共同体)運動が出
自だ。
社会の制約や責任に捉われず、
自由に気ままに暮らすことを生きる
悦びとしていた。
伸びやかで、屈託なく、フレンドリー
だけれど、締まりがなく、自他への
甘さがある。
すでに整体法(野口整体)と出会い、
個としての宇宙、宇宙としての個の
感覚を知っていた私には、地球は
ひとつ、すべての人と通じることが
できるというヒッピー的な曖昧な感
性に身をゆだねることはできなかっ
た。
学生運動も学生時代を過ごした70
年代にはすでに、形骸化していた。
反権威という名の権威が支配し、
すでに上で決まっていることをなぞ
っているだけの会議が延々と続く。
理想の残り香があるだけだった。
八百屋の中のこの二つの流れは、
はじめはとてもうまくいっていた。
けれど次第に手段と目指すものは
別のものとなり、数年後は決別し、
分裂してしまう。
まだこの時期は出会いの蜜月だっ
た。
その時代に竿さして生きようとする
双方の良さも分かってはいたつも
りだが、どちらにも精神的には加
われなかった。
ここでも私は浮いた存在となる。
会議の場で、テクノクラート不要論
という暗に私を否定する話題もで
てきた。
仕事はこなすし、生産者たちにも
受けはいいけれど、心が通じない
人間として遠巻きに扱われる。
精神的、経済的にも東京の中の
辺境にあっても、私はさらに片隅
にいた。
JACでの仕事は主に野菜の集荷と
仕分けだ。
早朝に産地まで古い4tトラックで
野菜を引き取りに行き、帰ってから
仕分けて配達する。
中央線沿線沿いの店舗や、その頃
にはまだ多くいたリヤカーでの引き
売りのために野菜を深夜、届ける。
明け方帰宅し、仮眠したら、昼過ぎ
には事務所にしていた古いバスの
中で、野菜の注文を受けて、生産
者に発注する。
高速道路高架橋に半ば占拠した
雨をしのげる塀の中にその当時の
JACはあった。
いつも資金不足で、週に2~3万が
給料として手渡された。
お金がない中、ガソリン代を持って
産地に野菜を集荷にいく。
畑を見て回り、野菜の様子を聞き、
育て方や天候とのかかわりを知る。
土を手に取って感触を確かめ、時
には口に含んで味覚や嗅覚で確
認する。
五感を使い、感覚と知識をすり合
わせて経験を蓄積できる貴重な体
験だ。
お昼時に行くと、ご飯も食べさせて
もらう。
野菜や環境、農家の暮らしや食べ
物と直接向き合うことができる。
茨城の玉造、渥美の土百姓、北軽
井沢など、季節によっていろいろな
ところへ行った。
その中で一番印象的だったのは、
山梨の長坂だ。
八ヶ岳の山麓にあり、正面に甲斐
駒ケ岳が大きな存在感を誇り、遠く
北岳も見える。
その左手には富士山も見えて360
度のパノラマが、文字通り長い坂
から遠望できる。
そして森が多く残っていて、四季を
通じ静けさが支配して、美しい。
多くの生産者を見て回ると、森を
持つ人とそうでない人の農業の姿
勢や野菜の味の違いを感じる。
もちろん経済的ゆとりということもあ
るのだろうけれど、森とともにある人
たちはどこかゆったりし、できた野
菜の味も伸びやかで、豊かだ。
森から流れる栄養豊富な水や、落
ち葉で作る堆肥、品種の選定や間
引きの仕方など多くの要素が加わ
っての結果だろうけれど、森を背後
にかかえていることにひとつの力を
感じる。
森に囲まれた長坂は理想的な場所
に思えた。
しかし、しばらく付き合ってみると、
人とのつながりとしての自然にも
向き合わされる。
よそ者である私たちが、森を歩いて
もあまり問題にはならない。
「もの好きな都会の連中がまた来て
いる。」という程度だ。
けれど一端、地元の人間と認知さ
れると話は違う。
何のために入ったのだろうと寄り合
いで話題になる。
取り分け、土地の区分を証明する
杭の位置には神経を尖らせる。
私たち都会人にとっては誰のもの
でもない自然である森も、そこに暮
らす人たちには誰かの所有物であ
り、財産なのだ。
森を歩くのも遠慮がちになり、機会
も少なくなる。
そこに生きる覚悟がないものにとっ
ては、何のための自然か分からなく
なる。
もちろん長坂に限ったことではない。
日本中どこでも同じだろう。
そして当時のテレビの影響の強さ、
東京の一元的価値観への志向も
異様なほどだった。
東京のあり方に矛盾を感じていた
けれど、東京が変わらなければ地
方の良さも、自然の美しさも保てな
いと思い知らされる。
自然の豊かな美しさも、都会や人
とのかかわりの難しさも教えてくれ
たのが長坂だ。
私は生産者になることを諦め、八百
屋として東京で生きる決心をする。
そして1980年9月、晴屋のトラックの
引き売りが始まった。

晴屋の青い扉 その91 内なる辺境に生きる その1 「真夏の感覚とシティロード」

晴屋の青い扉 その91
内なる辺境に生きる その1

「真夏の感覚とシティロード」
暑く、厳しい気候が続き、それに
対処しようと、愚かな頭を置き去り
にして、私たちの身体は命の力を
ふり絞る。
免疫機構はフル稼働で、エネルギ
ーを消費し、疲れが蓄積する。
肝臓や腎臓にも負担がかかって、
身体は重く、だるく無気力に沈み
ながら、モヤモヤと当てどない要求
が、いたたまれずに出口を求める。
子供たちはメキメキと成長し、老人
はメッキリ衰える。
真夏は、無事に過ごすのが難しい
明暗を分ける季節だ。
この時期の暮らし方が、一年の健
康状態や老いの進行に大きな影
響を与える。
身体の疲労も極限まで達し、心も
精神も追い詰められた、この季節
特有の感覚がある。
私が「夏の感覚」と呼んでいるこの
状態になると、世界の風景が突然
今までと違うものになる。
疲れて重い身体、痺れて思い通り
に動かない頭、前向きなことをなに
ひとつ思いつかない意識を超えて、
眠っていた何かが覚醒し、大きな
イメージが立ち現れる。
今、目の前に映るもの、見えては
いないけれど日常にかかわる人
たち、しばらく会っていないけれど
印象に残る人などが、私の周りを
取り囲むように隙間なく埋め尽くす。
近いものも、遠いものも、みなそれ
ぞれの役割を果たしている。
現在だけでなく、過去のものたち
も、幾層にも重なってそこにある。
全てを同時に見渡し、それぞれの
必然で生きているのを感じながら、
私はひとり、動くこともできないまま、
そこにいる。
疲れ果てた末の妄想かもしれない。
普段は過去や、周囲をしっかりと
見ていないだけかもしれない。
けれどこれこそ、私にとっては真夏
の感覚だ。
時折おとずれるこの感覚に引き寄
せられながら、今年は昔のことを
話す機会も与えられ、過去を振り
返ることが多くなっている。
たまたまであるかもしれないし、今
までのことに向き合う歳になってき
たのかもしれない。
他にも理由があるのかもしれない
が、小泉さんに会う機会が多いこ
とも切欠となっているだろう。
小泉卓史さんはデザイナーで、そ
の朴訥で真摯な姿勢をかわれて、
シティロードという雑誌で編集長も
兼ねていた。
子供たちが独立した今は、仕事も
少し続けながら、趣味での木工を
楽しんでいる。
ポップな感覚にあふれた趣味の良
さと、価格の安さ、誠実な人柄を感
じる暖かな作品は、晴屋の周囲で
支持され、枉駕での即売会も好評
だ。
40年の付き合いの間、たびたび会
っていたわけではなく、細々とした
付き合いが続いていた。
けれどある日、「深大寺のフリマに
行ったけど、全然売れなかった」と
いう話に反応し、「じゃ、あるんでし
ょ、見せてよ」と車に乗った家具た
ちを見たことから、話は展開し、晴
屋の看板を作ってもらったり、晴屋
で働いてる市村さんがダイニング・
テーブルを注文したりして、会う機
会が突然に多くなった。
少食だと言いながら、残り野菜で
作るボリュームたっぷりの晴屋の
まかないも「美味しい」と、楽しむよ
うになった。
「シティロード」は、「コンサートガイ
ド」というフリーペーパーを前身と
した情報誌だ。
東京の情報全般を扱う月間の雑誌
の編集に、八百屋を始める前の数
年たずさわっていた。
及川正通氏のイラストを使った表
紙も印象深い、ポップさを前面に
うちだした「ピア」がライバルである
というよりはメジャーで、こちらはマ
イナーで、ややマニアック、少しア
ンダーグラウンドな雰囲気を漂わ
せ、それが一部には支持を受けて
いた。
西新宿の、建築科の学生が見学
に来るほどの古い古いビルの3階
の狭い編集室に、時折、スキンヘ
ッドで眉毛もなく、黒装束の男たち
が訪れる。
そういう人たちは、もちろんとても知
的に洗練されていて、礼儀も正し
いのだけれど、反社会性だけは譲
れない。
見るからに妖しい人たちもいるし、
妖しい臭いを漂わせている人も出
入りする。
映画、音楽、演劇などにそれぞれ
担当者がいるけれど、私はイベント
やライブハウスといったメジャーが
絡まない、マイナーなものを拾い
集めるのが仕事だった。
集まってくる情報を整理し、時折興
味の惹かれるものがあると取材し、
文章で取り上げる。
SMショーなど飛んでもないものま
でやってきて、新しいもの、知らな
いものに出会う面白さがあった。
有機野菜流通の草分けである長
本兄弟商会などを中心に、西荻窪
に起こりつつあったカウンターカル
チャーの新しい波に興味を感じ、
当時の「西荻フリースクール」現在
の「ホビット村学校」も積極的に取り
上げ、私自身も参加した。
後年屋久島に行った詩人で、共同
体運動のカリスマであった山尾三
省と、並んで野菜の袋詰めをした
のも懐かしく、つい昨日のことのよ
うに感じる。
雑多なことの中にひそかに結晶す
る真実を見つけたようだった。
東京は、エネルギッシュで、圧倒的
に膨大だけれど、情報の出所は実
はそう多くはない。
続けていると、一定のパターンが
感じられるようになってくる。
メジャーな情報に絡んでやってくる
「業界」の雰囲気も鼻につく。
結局は自分が作る立場にならない
と、何も変わらないのだろうと思った。
長本兄弟商会、通称ナモ商会も
経営は厳しい状況が続き、仕入れ
部門を独立させて経済を立て直す
ことになり、「ジャパン・アグリカルチ
ャ・コミュニティ」通称JACジャックが
動き始める。
いずれは百姓になろうと思ってい
た。
農業の現場に触れ、入植の機会も
見つかるかもしれないと、開始して
そう時間がたっていないジャックへ
の参加を決めるのに迷いはなかっ
た。
私を引き留める人はいない。
みな、その場にそぐわないと気づ
いていたに違いない。
マイナーなシティロードの中でも、
周囲に染まらない偏屈な存在であ
ったのだ。

晴屋の青い扉 その90 トラックの引き売りと「モンテレッジォ  小さな村の旅する本屋の物語」

晴屋の青い扉 その90
トラックの引き売りと「モンテレッジォ 
小さな村の旅する本屋の物語」

免停が明け、一か月ぶりにトラック
の引き売りが再開した。
すべてのエネルギーを剥ぎとって
身も心も干乾びさせるような炎天下
の中、たくさんのお客さんたちが
きてくれた。
毎週の引き売りはもう38年間続け
ている。
そのうちの4週を連続で休むのは
はじめてのことだった。
もう忘れられてしまったかなと思っ
たけれど、私もふくめて高齢者が
多くいるので、新しいことには馴染
めなくても昔からのことは忘れずに
続けることができる。
品物や人間への互いの信頼が途
切れることがないというのは、とても
有難いことだと感謝した。
引き売りを休んでいる間は少し時
間の余裕があったので、店の改装
にさく時間ができた。
この時間があれば、この棚とあの棚
が直せると思いつくと、もう止まらな
い。
人参が目の前にぶら下がった馬に
なり、疲れも忘れて仕事は進んだ。
周囲になじんだ、あまりに自然な
仕上がりなので、ほとんどの人は
気が付かないけれど、これはある
意味とても上手くいった証なのだと
内心、充実感がある。
そしてもうひとつ出来たのが本を読
むことだった。
日頃、忙しさに流されて本を読む
ことはほとんどない。
どうしても必要に迫られて年に一、
二冊が精いっぱいだ。
それが思いがけない時間の余裕
があって何冊かの本を楽しむこと
ができた。
その中で一番印象に残ったのは、
イタリア在住のジャーナリストで、
エッセイストでもある内田洋子さん
の書いた「モンテレッジォ小さな村
の旅する本屋の物語」だ。
内田さんがお気に入りで、必ずよ
る古書店がヴェネチアにある。
センスよく、山と積まれた本たちは
それぞれの居場所がある。
店主に何かをたずねると、必要な
もの、新しい世界を拓いてくれるも
のをその中から的確にとり出して
くる。
さり気なくすすめてくれるその知識
とセンスに感嘆していたのだけれ
ど、店主たちがモンテレッジォとい
う過疎の山村の出身であることが
分かることから話ははじまる。
周囲が栗林に囲まれた村で、川に
ある石以外に売るものがない。
石をかついでの行商が、同じ重さ
の本を持ち歩くようになっていく。
忘れられ目にふれることのない
古本、日の当たらない新刊書たち
に光を与えて、人の手に手渡す。
それは文化に飢えた人にうるおい
を与えるだけでなく、新しい運動も
育てていった。
列強によって分割され、属国化し
ていたイタリアの統一運動に力を
与え、第2次世界大戦中もファシス
トへのレジスタンス運動を支える禁
書を届けた。
暮らしのためではあっても、命や
生活をかけての地をはうようにしぶ
とく、血の通った仕事だった。
トラックの引き売りをいまだに続ける
晴屋だけれど、文化やレベルの違
いはあっても、暮らしに根差した反
骨という共通のものを感じて心強い。
一人や二人でなく、村人ほぼ全員
が本にかかわり、独特な感覚を育
んでいった。
イタリア全土を超えて活動は広がり、
出版社もまきこむものとなった。
本の新企画が適切かどうか問い、
価格もまかせて村に託す。
そしてモンテレッジォを中心として
「露天商賞」というイタリアで支持さ
れている本にかんする賞も始まる。
ふだんは過疎といってもいい静か
な村が、夏の授賞式には出版社
などもふくめ多くの人が集まり、活
気づく。
そしてその時期は、村人たちの帰
省の時とも重なる。
特産の栗を使ったパスタなど素朴
な美味と人情が待っている。
本を扱う仕事を続けている者も、そ
うでない者にとっても、村に帰るこ
とは大きな悦びである。
モンテレッジォは、心の故郷であり、
生きる支えであり、何より誇りなのだ。
長い歴史と暮らしに根付く文化、
生きる重さと本のずしっとした手ご
たえ。
それらが失われつつある現代だか
らこそ、持つ意味はより大きく深い。
晴屋三十数年の歴史など足元に
も及ばないけれど、歩いている方
向に間違いはなかったのだと、改
めて感じる貴重な時間だった。


「モンテレッジォ 小さな村の旅する
本屋の物語」は、方丈社刊、本体
1800円 2018年4月初刊です。
素敵なカラー写真多数、カバーも
心にしみます。

晴屋の青い扉 その88 懸命な言葉

晴屋の青い扉 その88
懸命な言葉

3月は忙しい季節だ。
暖かさに誘われ、何かとそぞろ歩
きたくなり、新しいものを求めて人
が動きだす。
転勤や新入学で、実際に動かな
ければならない人も多くいる。
仕事も年度末で、車の通行も多く
ざわざわとした雰囲気がひたひた
と押し寄せる。
以前よりは商品が見やすくなった
晴屋だが、外へのアピールはま
だまだ不足している。
特に看板は「晴屋」の字しかなく、
いったい何を売っているのか、何
を訴えたいのかが伝わらない。
雰囲気や内容を、一言や絵で表
現できればいちばんいいのだが、
これがなかなか難しい。
ドイツに行ったとき、内容が充実
し、親しみを持てた自然食品チェ
ーン店に、「LPG BioMarktエ
ルぺーゲー・ビオマルクト」という
のがあった。
LPGは、美味しくて、安くて、安全
という言葉の頭文字、ビオマルクト
が、有機栽培の店という意味だ。
こうした短い言葉で内容を表現で
きる言語を羨ましく感じてしまう。
日本では「自然食品店」という言
葉が長い間定着していた。
しかし「有機」「無農薬」「無肥料
自然栽培」などのより明確な基準
を表現している言葉が氾濫する
中では、実態がよく分からない曖
昧な表現で、イメージだけが先行
し内容が伴わないものと混同され
る。
「無添加」や「無農薬」も安全さを
前面にだしたものだが、これも
行き過ぎると都会の消費者がお
金の力で良いものを買い集める
エゴを感じさせる。
晴屋では以前から「美味しい」に
価値を置いてきた。
美味しいは人によって基準が違
い、他の誰も押しのけるものでは
ない。
自分の体に必要だという正直な
感覚そのものだ。
あれが良いはずだとか、良いと
言われているという不純な理屈
ではない。
そして「安心」も、心が安らぐという
意味だ。
どんなものでも、嫌いな人と食べ
ればまずく感じるし、心をこめて
出されたものなら美味しく感じる。
そうした人や自然とのかかわりを
表現している。
ドイツ行って、ちょうど一年。
その間くすぶっていた思いもあっ
て、新しい看板の制作を決意し、
メンバーたちに提案した。

  やOYA 晴屋
    Oisii Yasui Ansin
        おいしい野菜
        安心な食物

というものだ。
ドイツ語のLPGを、ローマ字のOYA
に替えて、八百屋というなじみの
ある言葉にかけている。
分かりやすくて、ちょっと面白くて
うけると思ったのだけれど、残念な
がら大ブーイングの嵐で、あえな
く却下となってしまった。
みな、OYAが嫌なようだ。
良いと思ったのだけれど。
だったら何がいいのかと言うと、
「有機が分かりやすくていい」とい
う提案があった。
たしかに今日、最も定着した表現
だ。
昔は、有機八百屋とうたっていた
時もあった。
有機はとても意味合いの深い言
葉だ。
無機の反対で、一酸化炭素CO
と二酸化炭素CO2等以外の炭素
化合物というのが本来の意味だ。
結合力の強い炭素Cは簡単に化
合しないが、化合するとその状態
を保つ。
生物はその力を利用してエネル
ギーを蓄えたり、身体の組織を作
ったりする。
だから「有機」というのは、生命
活動の証であり、複雑なものが集
合して全体で調和して生きている
状態を表現している。
「有機的」という表現にそのニュア
ンスが生きている。
それが今は、一定期間農薬等を
使っていませんという安全性を証
明する表現となり、すっかり安っぽ
くなってしまった。
それに、とても抵抗がある。
それで妥協策としてTradという言
葉を思いついた。
Traditionalは伝統的という意味。
TradOrganicsは、今の有機でなく
昔からの本来の意味の有機だと
いう自己主張をこめた私の造語
だ。

HAREYA
Trad Organics
        おいしい野菜
        安心な食物

「晴屋」より、下の言葉を前面にだ
したかったので、晴屋はローマ字
にした。
これで一応、皆の了解がとれた。
制作はいつもは私がやるのだが、
今回は外注する。
ミーティング時から参加してもらっ
た小泉さんは、40年以上の付き
あいがある。
私がシティロードという情報誌で
働いていた時のデザイナー兼編
集長だった人で、今は趣味で木
工をし、バザーなどで売っている。
木工の技術は私と大差ないが、
センスには当然光るものがある。
一週間ほどでできるというので、
その間に看板を変更するための
作業をはじめる。
吊り下げ式の両面看板は、今回
の計画の大きさでは、下にあるや
たらと丈夫に作った黒板用の看
板立てとぶつかってしまう。
仕事の合間をみて、15cm切り詰
め、半割の柱用の角材を切って
跡が分からないように付ける。
雨除けのアクリルも切って、はめ
なおす。
ペンキを塗り、照明のスポットライ
ト用の配線もやりなおして、最後は
ペンキで仕上げ。
日常の仕事をこなしながら、この
作業を一日ですませると、すっか
りエネルギーを使い切る。
腕は痛み、腰は強張り、首も固く
なって疲れを主張する。
そして数日後、看板をもって小泉
さんがやってきた。
看板は紺の地に、周囲が木目を
生かしたこげ茶で、人参が立体
的に色鮮やかに浮き出ている。
できはとてもよく、知らない人がふ
らりと入ってくる。
冷やかしが多くて少し迷惑だなと
思うくらいの人を引き付ける効果
がある。
私たちの思いが、実際にどれだけ
伝わっているのかは分からないが、
エネルギーを注いで作ったという
のは感じられるのだろう。
子育ても同じだけれど、何かが伝
わるというのは、内容の問題より、
どれだけエネルギーを注いだか
による。
春の、忙しいだけでなく、何かと
体調や精神が不安定な時期に、
なんとか乗り切って前に少し進め
たと実感できる充実した時だった。
看板は昔から常連さんたちには
何の効果もない。
気が付かない人も多くいるくらい
自然な仕上がりだ。
機会があったら、少し足を止めて、
こんなことにエネルギーを注ぐ老
いた男の馬鹿さ加減をお笑い下
さい。

晴屋の青い扉 その87 ポップな晴屋

晴屋の青い扉 その87
ポップな晴屋

店の前面にある壁と看板を変えた
ら、新しいお客さんがよく入ってく
るようになった.
明るい木目を基にして上品な緑
をアクセントに使った、暖かさと
柔らかなセンスを感じさせるものと
なっている.
今まではあえて野菜に色をのせ
なかった.
こちらの個性や余計な思いいれ
をなるべく控えて、野菜自身に語
らせたいと思っていた.
買う人が自分の個性と必要性で
選ぶもので、良いものは必ず受け
継がれていくと信じていた.
それはもちろん正論だし、基本な
のだけれど、今の世の中はそんな
に甘くはない.
野菜の美味しさを知らない若者は
増えているし、みかけや便利さが
優先されることも多い.
有機や農薬の回数、産地など言
葉やイメージが先行して、からだ
の感覚を忘れてしまう人もいる.
こちらの姿勢や雰囲気を積極的
に出すことが必要なのだと改めて
思い知らされる.
世の中はすべて明るく、楽しく、
手軽で、ポップなものが受け入れ
られている.
私たち、土とともにあるような晴屋
がいったいどこまで流れについて
いけるのだろうか.
まわりを見渡すと混乱と矛盾が
渦巻いている.
政治や世のシステムは末期的状
態で、かろうじて個人の善意や努力
に支えられて秩序が保たれている。
そして表面的にはポップなもの、分
かりやすいものが支持されている。
確かにビートルズに代表されるポ
ップカルチャーは世の流れを作
ってきた.
私の感じたことを伝えればみんな
に伝わる、みんなに伝えれば世
界は変わる.
そうしてビートルズは世界を変えた。
それは音楽や芸術だけでなく、生
活や政治の世界まで及んでいる。
けれど始めは権威に対抗し、新し
い文化を拓いて行ったポップカル
チャーも、世の中に受け入れら
れ、莫大な富を産む産業として、
感性を操るシステムとなっていく.
70年代には素朴でありえたものが,
80年代には異質なものに変った。
私たちの素朴な感情はからめとら
れ、発信された感情は別な浮つい
たものへグロテスクに変質する。
集団の全体としての大きな動き
との間には大きな溝がある.
日々を懸命に生きようとする素朴
な感情は、社会のシステムの中で
不平不満を言わずに働く従順な
労働者を生み出し、愛の言葉は
猥雑で辛い現実をあがなうものと
して受け入れられる.
政治への不満も本質は何も変え
られないガス抜きの装置となる。
ひとりの感情が肉体を離れ、ひと
つの情報となって多くのひとに届
くとき、それは元の感情とは違うも
のとなっている.
マスコミやネットを通じて伝えられ
る言葉は、知る人と知らない人を
分ける.
経済の巨大化は、豊かな人と貧し
い人を分ける.
宗教の権威の囲い込みは、同胞
と異教徒を分ける.
政治の行き詰まりは犠牲を求め、
同国人と敵を分ける.
日々のくらしの行き詰まりは、見方
と敵を分け、いじめを容認する.
奇妙な明るさについていけないも
のたちは置いていかれる.
私たち人間にとって自分を主張し
他の人と共感を分かち合うことほ
ど喜びを感じることはないのに、
その主張や共感そして情報によ
ってかえって私たちは個人個人
に分断され、くらしの中にある力と
喜びと光を失っている.
けれどこんなことたちは多くの人
にとって分かりきったことだし、
私も何度も突き当たりながら決し
て解決はできないことだ.
意味ないし、重苦しいという批判
も当然あるだろう.
晴屋はどちらかというと感性や本
能に訴えることを重んじてきた.
これは変わることはできない.
これがなくては晴屋とはいえない.
生産者や自然を大事にするとい
うのも変わりようがない.
こんな不器用な私たちにどんな
道が残されているのか.
全うを全うするには、全うなだけ
ではできない.
今を生きる悦びと、まわりを見つ
める厳しい目と、これからを感じ
る直感と、流れにのって一瞬を乗
り切り方向を変える行動力と、苦
境にも耐えてめげない持続力と、
自分自身を極める集中力の全て
を充たさなくてはならない.
そんな完璧な人間などいるわけ
はないけれど、そうしたものがある
と感じる以上は目指して進んでみ
るしかない.
かつて道はみんなの場所で、洗
濯物を干したり、ものを売ったり、
だれもが自由に使っていた.
今では通行以外には使えない.
手間がかかって能率の悪いトラッ
クの引き売りだけれど、それだか
らこそこんな時代錯誤なものを続
けたいという気持もある.
音楽などで一度味わった感性の
開放と精神の共感は捨てられない.
ポップになりきれないにしても、年
齢を重ねたゆえの感性の開放や
精神の飛翔はできるかもしれない.
手さぐりの試行を感性や魂の開放
につなげていくにはまだまだ修行
が必要だ.

晴屋の青い扉 その86 正しくない晴屋

晴屋の青い扉 その86
正しくない晴屋

晴屋看板を作り変えようと思い、
内容をシンプルに伝えるにはどう
したらいいかといろいろ考えてい
る。
「美味安心食材」は最近よく使っ
ているけれど、少し固い感じがす
る。
「生きた土が育てた野菜  安全
な加工品 心ゆくくらしのための
情報」も長い間使っていたけれど
すこしくどい感じがある。
なるべく短く、端的に内容を表現
するのはとても難しい。
今のところ心惹かれているのは
「おいしい野菜  安心な食べも
の」だ。
安全性を第一に押し出すより、
内容の良さ、美味しさをまず伝え
たいという思いに近い感じがする。
看板は顔だけれど常連さんたち
よりは、新しく来る人に向けたも
のだ。
「無農薬」や「無添加」と書いたほ
うが分かりやすく親切かもしれな
い。
けれどそうした正当性を前面に
出すことに抵抗を感じる。
食べものを差別して、命の力や
自然の豊かさから離れていくよう
だ。
命は本質的に猥雑であり、自然
も多様で人間の知性で固定でき
るものではない。
お客さんも様々で、自然も一筋
縄ではいかない。
そして中を取りもっている私たち
晴屋自身も欠点だらけだ。
どこにも「正しさ」を見つけられな
い。
そう思っているのだけれど、どうも
いつも周りから、「自分は正しい
と思っている」といわれる。
これしかできないと思い、たいし
た才能を持っていない自分として
は目いっぱいやっているという妙
な自信のようなものはあるけれど、
それは自分にとってだけで、他の
人にその基準が通用するとは思
っていない。
ただ扱っている品物の美味しさ
や素性のよさには自負があって、
それはやはりお客さんたちも理解
してくれていて、それだからかえ
って文句を言いにくい雰囲気を
醸し出しているのかもしれない。
要するに人間としての可愛げが
ないのだけれど、若い時よりは少
しは丸くなってきたとはいえ、完
全に隠すことは難しい。
一番困るのは私たちに「正しさ」
を期待されることだ。
無農薬とか無添加という正しさを
求めるひとたちは、晴屋にも正し
さを求める。
理想を投影されるのはありがたい
ことではあるけれど、とてもそれに
応える技量は持っていない。
数え切れないトラブルと、すれ違
いがある。
一生懸命さと裏腹のつたなさを
許るしてくれる人と、そうでない人
がいる。
いろいろな出会いと別れを繰り返
してもう35年という年月がたった。
様々な思いが去来しながら、これ
から出会う人たちにどういう顔を
みせるか、どんな言葉を使うのか。
私たちの店にあるものは、ひとつ
ひとつにここにある意味があり、
手に取る人に向かい合うことを要
求する。
存在感のある重さと感覚の深い
部分に届く美味しさを持っている。
安全だからという知性での働きを
超えている。
それを伝えるためのより深い感覚
とより深い声を持たなければ、私
たち晴屋も本当に大人になった
とはいえないだろう。
35歳でまだ青臭い晴屋だけれど、
これが今の個性だと自覚して前
にすすんでいくしかないだろう。
完成はないとしても、挑むには充
分の大きく困難な課題だ。

晴屋の青い扉 その85 まっとうなすき間としての晴屋

晴屋の青い扉 その85
まっとうなすき間としての晴屋

先週の台風はトラックの引き売り
の日にあたり、強風と雨の中、配
達に切り替えてなんとかやり過ご
すことができた。
そんな中、心配なのは岩手のりん
ごのことで、風で枝や幹が折れた
りしないか、もうすでになっている
実が落果したり、痛んだりしない
かということだった。
晴屋では何年も、たぶん30年近く、
水沢の小平さんのりんご以外のり
んごを売っていない。
りんごと言えば小平さんであり、ご
主人の範男さんが亡くなって奥さ
んの玲子さんに引き継いでからも
それは変わらない。
野の香りのするようなすっきりした
爽やかな美味しさは他のりんごか
らは感じられない。
乾いた砂に水が吸い込まれるよう
に、私たちの身体に沁みこみ充た
してくれるものだ。
女性一人での選果や草刈りなど
の負担が多い中、親の介護が重
なり厳しい状況なのにさらに脚立
から落ち、腰椎圧迫骨折で休み
ながらでないと仕事ができなくな
っていた。
そんな状態を知っているので心
配はしても何も手伝うことはでき
ず、電話もかけにくい。
そして今年から来年にかけては
大きな変化がありそうで、畑を大
幅に縮小して個人発送はほとん
どやめ、晴屋に優先的に出荷し
てくれるという。
とてもありがたいことだ。
今までの信頼関係をつなげてい
けることは私たちにとっても悦び
であり、八百屋冥利につきるとい
える。
けれどりんごの不足は現実的な
問題であり、今まで疎遠だった生
産者のものも売らなければならな
い。
何よりも美味しさを重んじる私たち
晴屋が納得できるものは少ない
のだけれど、売るものがないのも
困る。
店頭に並べておけば、今までの
信頼関係でお客さんたちは買っ
ていってくれるけれど、美味しく
なければ次からは売れなくなって
くるし、晴屋に対する信頼も失わ
れていくだろう。
売れなければ困るし、とりあえず
売れても後につながらなければ
意味がない。
いつも微妙なバランスで綱渡りを
続けているような感覚が晴屋には
ある。
いつの間にか35年も続けている
晴屋は、自然食品業界の中では
ちょっと変わった位置にいるので
はないかと思う。
まず特定の系列や大きな組織に
属していない。
たいがいの店は仕入れの手間や
在庫の管理もあり、仕入先を限定
して効率化を追求している。
また流行にのった売れ筋の商品
を前面に出し、イメージに訴える
作業もされている。
晴屋はこうした分かりやすく、多く
の人を惹きつけるような明るさや、
手軽で気楽な雰囲気を持ってい
ない。
テレビで効果をうたわれていたも
のを探しにくる人たちに少し冷め
た対応をしている。
お客さんには違いはないのだけ
れど、どうせ長続きせず、一過性
のものとしか感じられない。
それよりは私たちの感覚のどれ
だけ内部まで深く入り込む力を
持っているか、自然の豊かさをど
れだけ持っているかといったもの
ごとの本質を追求しようとし、それ
を理解してくれる人に品物を手
渡したいと望んでいる。
そんな体質は扱っている品物に
当然反映されている。
この業界の大きな卸問屋、ムソー、
創健社、オーサワジャパン、恒食、
杉食と取引があり、その中でのベ
ストと思うものを選んでいる。
その他に数十件の直接取引の
生産者からの直送のものも多く
ある。
だから当然晴屋でしか買えない
ものもあるし、相当のマニアでも
はじめてみる品物もあると思う。
品物の選択の基準は何より美味
しさだ。
身体に必要な物、よいものを私
たちは美味しいと感じる。
農薬の回数や有機の認証、マス
コミでの話題性よりも感覚を優先
している。
その根底にあるのは人間や自然
への信頼であり、人間を健康で
自立したものとして扱う健全な発
想だ。
農薬の回数や放射能を心配して
の産地の限定などの恐怖心や不
安に訴えてものを売ることへの嫌
悪感もある。
もちろん売れなければ困るわけ
で、日々品物を選択し、注文し、
確認して届ける。
これは大きな流通にはできない
細かで、終わることのない緊張が
連続する作業だ。
お客さんによって対応が変わる
し、マニュアルはないので、スタ
ッフによっても対応が違う。
原理原則でははないので日常は
混乱しているけれど、豊かで手ごた
えがある。
そしてこれこそが晴屋が続いて
いる理由でもあると思う。
大きな流通にはできないすき間
が、唯一私たちが生き残れる場
所なのだろう。
同じものを扱い、同じことをしてい
たら、私たちはあっという間に飲
み込まれてしまう。
より本質を極めたすき間であり、
一見普通だけど実はスゴイという
のが晴屋のコンセプトだ。
それを理解してくれる人たちは
長く付き合ってくれるけれど、重く
楽しくないと感じる人とは親しくは
なれないし、付き合う人たちを増
やしていくことも難しい。
際どいバランスの上になりたって
いる。
まっとうだが、すき間産業でマイ
ナーであり続けれる覚悟はあるけ
れど、こんな時代錯誤の八百屋
をいつまで続けることができるの
だろうかとまわりを見渡している。
すき間が許容される世の中が続
くことを祈るばかりだ。

晴屋の青い扉 その84 快楽の彼方    ノンアル編

晴屋の青い扉 その84
快楽の彼方    ノンアル編

オーディオや、音楽鑑賞や、文章
を書くことやら、誰に頼まれたの
でもないのに好きで勝手にやっ
ていることはいろいろあるけれど、
けっこう仕事に絡んでいることも
あり、まじりけのない楽しみと言っ
てもいいかどうか微妙なところだ。
他人に気を使わず自足した楽し
みというと、目下のところ夕方の
ノンアルコールビールであるかも
しれない。
最近、炭水化物ダイエットもどき
のことをはじめて、どうも歳のせい
か疲れが足にきてしまうので体重
を落とすしかないと思ったのだけ
れど、ご飯やアルコールを半分
にしようと決めて、2ヶ月で5kgほ
ど痩せることができた。
この状態を維持しようと思うとカロ
リーのことが気になって、裏のラ
ベルの表示を真剣に見ることが
多くなった。
あたりめが意外とカロリーが少なく
うれしくなったりするのだけれど、
その中でノンアルコールビール
の低カロリーは圧倒的だ。
350mlで、12Kcalとほとんど水に
近い。
原料はモルトとホップだけ。
基準の厳しいドイツで、ビールと
して作ったものを脱アルコールで
0.0%まで抜いてある。
微妙なアルコールは残っている
のかもしれないけれど、ちゃんと
苦味や風味がある。
価格は130円と有機ビールの半
額ほどで、アルコールが入ってい
ない分、税金は払っていないとい
うのもなんとも潔い感じで、好感
がもてる。
飲むとそれなりに開放感や浮遊
感を楽しむことができる。
たいへんに前置きが長くなって
しまったのだけれど、このノンアル
を、夕方に、なんの後ろめたさも
なく飲む心地よさを伝えてみたい
のだ。
一日のうちで一番好きな時間は、
陽が落ち始めて、空気が静かに
沈殿し、光に隠されていたものが
目を覚まし始める時間だ。
夏の夕暮れのドビッシーなど、こ
れ以上ぴったりで美しいものは
ないと感じる。
私がこの時間を楽しめるのは、週
に2回のトラックの引き売りのとき
だけなのだが、忙しい合間にお
客さんたちがいなくなってほっと
する一瞬にノンアルを飲むのは
生きるひとつの大きな楽しみとな
っている。
感覚が開放され、想像力が翼を
えて、内なる魂が満足げに息づ
いているのを感じる。
自然の中での心ゆく労働の後に
こんな時間を持てばもっと悦ばし
いのかもしれない。
けれど屋久島に行って魂を置い
てきたと感じ、その存在を自覚す
るようになってから、東京の片隅
にある小さな緑にも同じ根を感じ
られるようになった私にとっては、
これはこれで充分に楽しく、とて
も貴重でぜいたくな時間となって
いる。
こうした楽しみは、他人を犠牲に
したり、迷惑をかけたりすることが
ない。
世の中には数限りない快楽があ
るけれど、仕事や束縛の疲れや
傷みをあがなうため、プライドを満
たす豪華なものや他の人の犠牲
という代償を伴っているものがい
かに多いことか。
お釈迦様は「人生は苦である」と
言い切った。
若い私は、楽しみもあるけれどそ
の分責任もあるのだから、楽しみ
と苦しみは半々だと多少の反発
を感じていた。
年老いた今となっては、やはり仏
陀は正しかったと認めざるをえな
いけれど、それでも人間は楽しみ
を求めるから苦しみもあるというこ
とに変わりはない。
自然に生きる動物や植物は、一
生懸命かそうでないかという区別
はあっても、楽しいと苦しいの区
別はないのではないか。
知性という呪われた楽しみを持つ
快楽主義者である私たち人間が、
どんな快を求めるかで人生は形
作られていくだろう。
あらゆる情報が簡単に手に入る
この社会で、シンプルで他の人
を脅かさず、世の流れにもかかわ
らない楽しみをえるには、それな
りの覚悟と経験が必要となる。
思い込みや知らされたことを脇
において、感覚の内なる声に耳
を澄ましてみる。
理由の分からない肯定や否定も
あるけれど、静かに見つめている
と、身体の反応の方が正しかっ
たと納得できることが多くある。
心というのは、自分と周囲の境目
なので深い感覚ではないけれど、
与えられたものよりはずっと自分
に近い。
精神というのは、知性と感性に支
えられイメージとしてたち現れる
人間独自のものだ。
人を染める力を持っていて、人間
から人間に伝わっていく。
精神の快楽は、リアルであるとと
もに抽象的でもあり、瞬間的でも
ありながら永遠に続くものでもある。
私は音楽からこの感覚を教えられ
続けている。
これで終わりということは決してな
い、長い道のりではあるけれど、
飽きることなく続く楽しみでもある。
魂というものは普通は意識される
ことはない。
誰の中にも宿っていて、存在の
奥底で静かに燃え続けるろうそく
の炎のような微妙なものだ。
魂を養わずに腐らせてしまった人
は、私たちに不快を感じさせる。
魂の快楽を知ってしまうと、決し
て後戻りすることはできなくなり、
他のことはそれほど重要ではな
くなってしまう。
最も根源的な感覚と言ってもい
いだろう。
快楽にも種類や、深さ、色あい、
相性や波などさまざまにある。
同じように目の前に並ぶ数多の
快たちのどれを選ぶか。
究極の選択は日々続く。

晴屋の青い扉 その83 毒と薬の境界

晴屋の青い扉 その83
毒と薬の境界

少し前に、CDの企画と製作をし
ている会社から電話があり、試聴
して、できたら取り扱いをしてほ
しいという。
晴屋のホームページに音楽のこ
とがたくさん出ているので連絡し
てみたという。
ヒーリング系の音楽だけをやって
いて、好評をえているそうだ。
個人的には癒し系には興味がな
いけれど、偏見を持たずに一度
は聴いてみようと思い試聴してみ
ることにした。
送られてきたファイルを開くと数
十種類のそれぞれに得られる効
果の違う音楽が並んでいる。
ピアノや弦楽器などのアコーステ
ック系の音源が多い。
録音の状態も良く、演奏の技術
も高く、それぞれに構成も考えら
れている。
時間とエネルギーをかけて作られ
たということが納得できる。
洗練され、上品で、整っており、
どこにもくもりや欠点がみえない。
生活の猥雑さがなく、私たちの感
覚をおびやかし迫るものもなく、
すべてがきれいに磨かれ、整え
られている。
けれど正直言って面白くないし、
また聴きたくなるということもない。
そう、ここには毒がないのだ。
これでは生きていることにならな
い。
後日、再度電話があった時に、
「よく出来ている音楽だと思いま
すけれど、生活感を感じないの
で、暮らしを見つめなおすという
晴屋のコンセプトと違うので」と
言って、お断りをした。
その時に、毒というものも少しは
必要なのだなあと思った。
毒は不必要で、健全な生活の妨
げになるから毒なのだけれど、毒
をもって毒を制すという言葉があ
るように、毒になるものは薬として
使うこともできる。
刺激として利用することで、身体
の隠された働きを高め、生命力を
誘導できる。
毒と薬の境目はその濃さの差と
感受性とのかかわりで決まる。
ホメオパシーというヨーロッパや
インドで広く取り入れられている
医学では、極々薄くした症状を
誘発する物質を身体に取り入れ
ることで治療をしている。
症状に有効な薄さと、身体に害
のある濃さとの差はいったいどの
へんにあるのだろうか。
感覚としてつかむのはとても難し
い。
震災以降、晴屋でも放射能の測
定をしていたことがある。
α、β、γ波を検知し、CPMとい
う一分間の数値を表示できる比
較的優秀なガイガーカウンターを
買った。
食品の放射能値を調べるには、
まず環境中の放射能値を計らな
ければならない。
CPMの値は20~60の間くらいで
かなり大きな変動がある。
100回くらい計ると平均の値をだ
すことができる。
その日によって、何故か値が違う
ので、毎回計らなければならない。
晴屋では2時間かけて120回の
平均値をだした。
それから検査する食品のCPMを
2時間かけて計る。
その数値の差で、50Bq/kgまでの
推定値を知ることができる。
数十の環境中の値の1/10の数個の
放射能値の違いで、50Bq/kgくら
いとなる。
けれどこの測定ではそのくらいの
レベルが限界で、測定しても数値
はでてこないので自分たちでの
測定はやめてしまった。
それにしても数センチのセンサー
の中を毎分数十個の放射線が
通り過ぎていく。
宇宙から来たもの、岩盤などの
自然の中にあるもの、核実験や
チェルノブイリ、福島からなど、い
ったいどれだけの数の放射線が
私たちのからだを通過している
のか。
飛行機に乗れば当然相当量あ
びることになり、医療でも頻繁に
使われ、ラドン温泉などというあ
えて放射線を浴びるものもある。
放射能も少ないのなら良いのか、
どこが限界なのか、まったく理解
することができない。
ただ言えるのは、濃さという数の
ことだけでなく、私たちの身体の
感受性や免疫力がとても重要だ
ということだ。
放射能が直接遺伝子を壊してい
るわけではない。
活性酸素を発生させ、それが遺
伝子に悪い影響を与えるのは、
添加物や毒、ストレスなどと変わ
ることはない。
どれだけの柔軟さや可動性を維
持できるかが、体力の素となって
いる。
強い刺激に耐えられても、鈍くて
は、新たな刺激に耐えられない。
頑強に見える人が、病気や怪我
であっという間に亡くなってしまう
ことはよくある。
小さな刺激に反応できても、耐え
る力がなければ、積極的に前向
きで生きることはできない。
毒と薬を分けるのは、私たちの可
動性の大きさで、それがなければ
疲れやすくて、すぐに切れてしま
い、自分の力を発揮できない。
けれど体力を伸ばすのに大事に
守り、庇っているだけでは育てる
ことはできない。
小さい子どもが転んだときに、す
ぐに手を貸すことで、かえってそ
の子の自発性を奪って、本当の
成長を妨げていることはよくある。
やさしさを気取った安易なヒュー
マニズムが世の中に蔓延している。
「カワイソー」という軽い言葉は、
相手を思っているのではなく、発
している自分を「いい人」だと勘
違いしているか、自らの生命の勘に
確信がなく不安を押し付けている。
刺激をなるべく与えないのでなく、
それに耐え、それを糧として個性
を伸ばす積極的な感受性を育て
る視線と工夫が必要だ。
休み守らなければならない時も
もちろんあるし、放っておいて自
由にさせておくことがベストの時
もある。
毒と薬を分けるのは私たち自身
であり、刺激を生かして積極的に
使えなければ生命として生きて
いることにはならないだろう。
毒にも薬にもならない、というの
は何の役にもたたないという意味
の喩えだけれど、毒も薬もないの
は命の感覚からもっとも遠いもの
だ。

晴屋の青い扉 その82 手が語ること

晴屋の青い扉 その82
手が語ること

口下手で、気持を言葉で表現す
ることが苦手な私だけれど、その
反動もあってか書くことは好きで、
溜まっているものを吐き出すため
に書かずにいられないことも多い。
だから伝えたいことがないわけで
はないのだけれど、話すことにエ
ネルギーを注ぎ込めない自分を
感じる。
けれど面白いと思うのは、店の看
板娘となっている娘の柚衣はおし
ゃべり好きで言葉に感情をこめる
のが得意なのだけれど、仕入先
に注文するときには、必ず書いて
ファックスで伝えることだ。
反対に普段文章を書きなれてい
る私は、面倒くさがって電話で注
文することが多い。
仕事をこなすという客観的な視点
が必要なときは、自分が本来向い
ている気持をこめやすいもので
ない方を無意識に選択している
のだろうかと思っている。
電話での対応が冷たいと指摘さ
れることもあるけれど、目の前に
いない相手に気持をこめて話す
ことなど私には不可能なことだ。
こんな無愛想である私だけれど、
最近手の表情が意外に豊かなこ
とに気がついている。
手首の角度や指の力の入れ方な
どに独特の表情がある。
他の人よりすぐれているというの
ではないけれど、使い込まれ、あ
る意味鍛えられた道具のようであ
りながら、何かをてさぐりで探そう
とうごめくものがある。
そう思って他人の手をみていると、
みんなの違いに驚くほどだ。
精気や力を感じられない人は多
くいる。
繊細さと力強さを両立している人
もいる。
不器用だけれど素直さを表現し
ている人もいる。
少し前、SMAPの謝罪会見の間、
中居君が手の甲を反対の手でず
っとつねっていた事が話題になっ
ていた。
感情を抑えるためには手の痛み
が必要だったのだろう。
顔や表情は変えられても、手は
正直に本心を語るのだという。
以前私が雑誌の取材を受けた時、
最後に写真をとらせてほしいとい
われた。
私は写真は撮るのは好きだけれ
ど、撮られるのは大の苦手だ。
それが2枚とっただけでOKとなり、
「最初からこんないいお顔をして
いただくことはありません」といわ
れた。
気がつくと手に好きな「醍醐の雫」
の酒ビンを持っていた。
思わず苦笑して、私はこんなもん
だと認めざるをえなかった。
最近手の表情を気にしたり、手に
神経を行きわたらせているような
気がするのには、少し心あたりが
ある。
少し前から親のところにあった仏
壇が長男である私のところに来て
いる。
特に仏教を信奉するものではな
いのだけれど、朝晩には手を合
せて拝むことが習慣となっている。
ほんの一瞬の間でも気を集注し、
気持を鎮めて、内面を見つめる
習慣が私に今までに感じられな
かったものを拓いてくれているの
かもしれない。
こんな時に思うのは、私には多神
教を信じるものがあるということだ。
空の雲にも、公園の樹にも、面白
い形の石にも、そして私たち自身
のなかにも神のような神聖で犯す
ことのできないものを感じる。
それぞれにそこにある意味と価値
がある。
おのおのに都合がありながら、大
きな諍いにはならず共存している。
八百万の神々だ。
けれど今の世界は一神教、独裁
者、絶対の権威などに決定され
た「正しさ」とそうでなく排斥すべ
きものに峻別されている。
より力の強いものが生き残り、そう
でないものは歴史や現実から忘
れられた存在になる社会では、
明確な主張を持つもの、力のある
ものが勢力をえるのは当然だろう。
私たちが八百万の神々の存在を
感じても、世の中は何も変わらな
い。
世界の悲惨にたいして私がなす
術をなにも持たないことは認めざ
るをえない。
けれどこうした、社会に対して私
たちは責任を負っている自覚は
与えられ、教え込まれたものだ。
出会った人に気をつかい、互い
に助け合って生きる本能的なもの
と似ていながら、「責任」というとき
自発性と自然な美しさは失われ、
権威的なものにすりかわってしまう。
言葉や視覚は容易に私たちに入
り込み、いつの間にか私たちを支
配する。
けれど手の感覚は正直で、知性
や権威に犯されることが少ない。
指の発達によって大脳を進化さ
せ人間となってきた私たちにとっ
て、手の感覚はより根源的本能
に近いものなのだ。
私の手はときおり暴走し、壊した
り、作ったりする。
手にもつだけでお酒の味が感じ
られることもあるし、CDが自分に
心地よいか判別することもある。
どちらの道を行くべきか主張し、
体調の悪いところへ吸い寄せら
れることもある。
こんな妄想のようなものを他の人
と共有できるとは思わないけれど、
みながそれぞれの生き方を追求
し、それを互いに認める文化があ
れば世の中はずいぶんと変わる
だろう。
せめても身の回りだけでもそうし
た輪を広げたいというのが私と私
の手のひそかな、望みだ。

晴屋の青い扉 その81 時代遅れの八百屋

晴屋の青い扉 その81
時代遅れの八百屋

年が明け、中東の情勢や中国を
始めとする世界的な景気の後退
の火種がくすぶりながらも、日本
は平穏な日々が続いている.
あれほど話題になっていた消費税
の増税も忘れられてしまっている
ようだ。
どういう形になるにしろ、それをど
う使うかが大切なのだから、基本
の構造が変わらなければ、結局
一部の人たちが利益を受けると
いうことが続くだろう。
体制にぶら下がり、創意や自主性
もなく生きていく人たちがこれ以上
増えないことを願うばかりだ。
けれど今回の騒動の中で興味を
惹かれ、またショックでもあったの
は、食品の生鮮品と加工品の区
分けについての論議だった。
生鮮品は税率を下げても貧しい
人たちにはあまり恩恵がないの
だという。
生活にゆとりのない人たちは、忙
しく日々の生活に追われるので
加工された食品を多用し、生鮮品
を多く買うのは経済的に恵まれた
人たちなのだそうだ。
私たち八百屋自身が貧しいことも
あるが、お金はなくとも美味しい
野菜をできるだけ生活にとりいれ、
質素でも心と身体を充たす食事
と暮らしをする人たちとつながっ
ていきたいと願い、それを仕事の
原点と思って35年間晴屋を続け
てきた。
それがどうも時代の流れから決定
的に取り残され、ずれてしまって
いることを認めざるをえない。
私たちが無農薬の野菜などとい
うものを扱いはじめた1970年代は
世はバブルに向かって好景気が
続き、能率や見かけが優先され、
昔からの農法などほとんど見向き
もされなかった。
考えてみれば当初から時代遅れ
だったのであり、一時期時代が一
回りして最先端になったような錯
覚があったとしても、私たちの立
ち位置は何も変わってはいない。
じゃが芋や玉葱などの根菜を袋
詰めせず量り売りし、当日の昼ま
で配達の注文を受け付け、支払
いの方法もお客さんに合わせ、
数十件の直接の取引の生産者と
品物の注文や在庫の管理と支払
いの雑務をなんとか続けている。
こんな能率の悪い古いスタイルの
八百屋は本当に少なくなってし
まった。
気がついて辺りを見回すと自分
が浦島太郎であるか、ガラパゴス
にいるかと感じてしまう。
35年間が長かったような、一息だ
ったような不思議な感覚だ。
忙しく野菜や天候に追われ、お
客さんに対応し、やれるだけのこ
とはやり尽くした日々。
決して優れた能力を持っている
わけではない私たちが熱意だけ
で始め、お客さんや生産者の誠
意、自然の持つ豊かな力のおか
げてなんとか続けてこられた。
バブル期の後期に大家さんが破
産し、営業を続けるために店を買
わなくてはならなくなり、そのロー
ンの後遺症が今も続く経済状態
もある。
平凡な私たちが運よくつぶれず
に維持しているというのが晴屋の
実体だろう。
決して完璧ではないことを自覚し
ている。
こんなことをあえて書くのは、どう
も晴屋が完全なものとして扱われ
ている故の誤解を感じることが続
いたからだ。
人間としてもお客さんとしても良
い人なのだけれど、何故かトラブ
ルが起きてしまう。
それはすべてこちらの間違いから
発生したことで晴屋に非があるの
だけれど、ただの間違いでは済ま
なくなる。
晴屋を支援し、また理想を晴屋に
求める気持に応えられないのは、
自分の非力を自覚せざるをえな
い。
けれど間違いを無くすことを一義
として晴屋を続けると、それは今
の晴屋とはまったく違うものとなっ
てしまう。
業務を合理化し、野菜を規格化
し、チェックの体制を整え、人員
を手配し、必要なコストを価格に
上乗せする。
注文時間を厳守し、マニュアルを
作り、決まりごとを増やして組織を
固め、権威ある確固とした存在と
して晴屋を定着させる。
う~ん、これは無理だ。
世の中で一般的な方法ではある
けれど、私たちにはやりようがな
い。
権威や正しさではなく、いまここ
にいてできることをしてきた。
無農薬だから、安全だからこの野
菜を扱うのではなく、美味しくて
身体が喜ぶから選んできた。
なんとなくこれはいい、これは嫌
だという感覚の選択が何故なのか
を見つめ、考え、次の選択の糧と
して時間を積み重ねている。
農薬の使用の回数で野菜の価値
を決めるような風潮には連なって
いくことができない。
こんな徹底的に時代遅れである
私たちが生き残っていけるのか。
冒頭に書いたように、時代はます
ます保守化し、経済は厳しくなり、
クレームを恐れての完璧な対応
が求められるだろう。
特に私など最近ではメンバーたち
にまで、時間とエネルギーを必要
とするトラックの引き売りはもうや
めた方がいいと言われてしまう。
けれど割りにあわない、時代遅れ
なことだからこそ続けたいという
気持もある。
次の時代に何かをつなげられる
のはどちらの誰なのか。
これしかできない晴屋に未来は
あるのだろうか。

晴屋の青い扉 その80 枉駕の閉店と私の闘い

晴屋の青い扉 その80
枉駕の閉店と私の闘い

枉駕の閉店が決まったようだ。
まだ何時というはっきりした期日はわからないけれど、年内には営業
をやめるという。
十数年の間に持っていた貯金を使い果たし、気力も尽きてしまっ
たのだろう。
洗練された感覚と選りすぐりの素材で、何処にだしても恥ずかしく
ない中華料理を提供しつづけた。
手間を惜しまず働き続け、これまでやってだめなのだから仕方
ないという安堵感も感じられる。
けれど私から見て、あまりの完全さがかえって仇になったかもしれ
ないと感じられる。
隙のなさは時として息をつまらせる。
東久留米には相応しくない高級感が気楽には立ち入れない雰囲
気を作ってしまった。
お客さんへの誠実さと、自らの技術に対する自信や意識の高さも
必ずしも伝わらなかった。
私にもいくぶんの責任があるかもしれない。
中華料理は安い素材を使っても美味しい料理を作れるのがコック
の腕という風潮の中、当初の本多シェフは良質の素材を使っては
いたけれど、無農薬とか無添加ということには興味がなかった。
私が棒々鶏を食べている時、どうしてこんなに胡麻を焦がすまで
炒るのだろうと思っていたとき、ふと思い当たった。
市販の胡麻は石油系の溶剤で油を抜き取った胡麻油の残りカス
で、味も香りも栄養もない。
それに香りを出そうと思うと延々と炒め続け深炒りするしかない。
それで晴屋の生胡麻をすすめてみると効果は絶大で、私的には
もう少し炒ったほうがいいのではないかと思うくらいに浅炒りになり、
胡麻本来の香りをたっぷりと楽しめるものとなった。
それから醤油や洗糖、塩などにはじまり、多くの素材を晴屋でま
かなうようになった。
それによって得られた料理の高み、上品さやすっきりともたれな
いのにえられる深い満足感などは確実にあったけれど、一般の
ひとたちが中華料理に求める勢いや気楽さを失わせることにつな
がったかもしれない。
枉駕の前に晴屋がなかったら、まったく違う仕事の仕方をしてい
たに違いない。
行列のできる繁盛店になり、支店をいくつも出していたかもしれな
いと思うのだ。
枉駕は私にとって愛着のあるかけがいのない場所ではあるけれど、
私は枉駕に何ができたか。
枉駕にお世話になったことの大きなもののひとつに料理教室がある。
当初の数年間毎月開かれた料理教室に私は欠かさず通った。
もともと料理好きだったけれど、私の料理は劇的に変化し、レベル
が上がった。
料理の仕上がりを予想して素材の切り方や火の通し方を決めて
おく。
火の通し方は最低限か、徹底的にするかで中間はありえない。
味付けは直前にして、調味料の切味を生かす。
炒め物は中華鍋の中で作る和え物で、時間と手の動きの速さと火
力の見極めと調味料のバランスのここ一瞬の勝負であるなど、多
分100を超える料理の作り方を見ながら、料理にドラマをこめる技
術を教えられた。
もうひとつがシェフが普段の営業の形態を離れて腕を振るった「旬
宴の会」だ。
オーディオの会とも呼ばれるこの集まりでは私が長年手塩にかけた
オーディオシステムを使い、テーマを決めてトークと音楽と料理と
酒を堪能した。
生活と文化のひとつの究極のかたちであったかもしれない。
数々の料理と酒と音楽にまつわる思い出が作られた。
話す側にとっても、聴く側にとっても、食べる側にとっても、作る
側にとっても、新しい出会いと発見の場となった。
これがもう枉駕で開催できないのは本当にさびしいと思う。
けれどこのさびしさにはもう少し深いものがあると自覚している。
これも私が反省しなければならないことと関わりを持っている。
晴屋という安全な食べ物をお客さんに届ける仕事を、ただ物を届
けるだけでなく生産者の心意気や自然の息吹きもいっしょに手渡
そうとしてきた。
それは精神的な部分にも及び、世のシステムから離れ、与えられ
た常識を検証し、人間が生き物として健全に生きる方法を模索し
提出しようと願った。
政治や法律、特定の個人といった具体的な対象ではなく、精神の
あり方を問うという浮世離れしたある種の孤独な闘いだ。
そして人一倍のすぐれた感性を持つ本田シェフを共に戦う同志
として扱ってきた。
これは本多シェフには本当に迷惑なことで、自らの方向を見失わ
せることにつながったかもしれない。
けれど私の思い入れと期待はやはり大きかった。
もう少し正直に言えば、今回の枉駕の閉店は、期待していた後
輩が戦線を離脱してしまったような虚脱感と疲労感、そして自分
の力不足への後悔の念が入り混じっている。
料理だけでなく、自身の深い要求やそれを表現する手段と機会
を与えてくれた枉駕に改めて感謝するとともに、本多シェフと奥さ
んのみまさんの2人の個性が生かされる場を見つけ、より才能を開
花させていくことを願わずにはいられない。

晴屋の青い扉 その79 モーツァルトの音

晴屋の青い扉 その79
モーツァルトの音

モーツァルトの音に、人は何を聴くだろう。
この世の猥雑を抜け出した天上の調べという人もいるだろう。
生まれたての赤ちゃんのような、ときめく無垢を感じる人もいるに
違いない。
快活なおしゃべりのような、この世にある喜びそのものとも言えるか
もしれない。
ありとあらゆる悦びとそれに内在する哀しみを表現していながら、
洗練と上品と美しい均衡を保っている。
その豊かな表情の何に惹かれるかによって、聴き手の受け取るも
のはまったく違ってくる。
モーツァルトに決定的な演奏、誰にでも支持される圧倒的な演奏、
が出にくいのはそうした理由によるのだろう。
私自身、これぞモーツァルトを聴く悦びと感じる演奏は、時と共に、
こちらの感受性や時代の変化とともに移りかわっていく。
私がクラシック音楽を聴き始めた50年ほど前には、小林秀雄によ
って描かれた「疾走する哀しみ」を背負ったような深く重い演奏が
多くの支持を集めていた。
個人の思い入れの深さとロマンチックさを競っていた。
そんな時代にはむしろ、すっきりと素朴なモーツァルトに心を動か
される。
クルト・レーデル指揮のミュンヘン・プロアルテの「フルートとハープの
ための協奏曲」は淡々と音を紡いでいくだけなのに、自然にモーツァ
ルトの内面の感情の起伏が感じられ、清涼感がとても心地よかった。
しかしそれも次第に薄れ、忘れていく。
そして次の「これぞモーツァルト」という音に出会うと、もう次に聴い
てもときめきを感じなくなってしまう。
その演奏は必ずしも名演奏というわけではない。
グルダのピアノとアバドの指揮の協奏曲など多くの素晴らしい演奏
は、演奏家の技術や芸術性などの圧倒的な大きさに打たれ魂が
震えるような思いをいだくこともある。
けれどモーツァルトを聴いたという充実、純真で無垢なものに触れ、
素の自分にたちかえる感覚とは違うものだ。
きらめく音や行方もわからない流れに心も身体もあずけて、自分と
世界の境界がうっとりと溶けていく。
そしてその感覚を呼び起こす演奏は常にひとつだけだ。
その後にも続くモーツァルトの音たちは、例えば音楽の官能を極
めながらも均整のとれた感覚が絹糸のようにすべやかに流動する
デュメイが指揮とバイオリンを演奏した協奏交響曲であったり、ヴ
ァーシャリィがベルリンフィルを指揮振りし、感情の豊穣をそぎ落と
し、締まった感性に完全な美しさで音楽のエキスを結晶させたよう
なピアノ協奏曲だったりした。
そして今、私にこれぞモーツァルトと感じさせるのはアバドがベルリ
ンフィルを指揮した交響曲第23番と36番「リンツ」そして協奏交響曲
を1枚に収めたアルバムだ。
音自体は今までで一番地味かもしれない。
交響曲という言葉から連想される一糸乱れぬ完璧なアンサンブル
や巨大な音の塊りを感じさせる威圧的な要素がここにはない。
比較的少ないメンバーで演奏されていると想像できる音は、むし
ろひそやかにそっと周りの音を感じながら発せられている。
前任者のカラヤンが圧倒的な音量でより多くの人の感性を圧倒し、
より多くの富と名声を求めたのとは対極の方向に音楽が向いてい
る。
独裁的な指揮者による統制による磨きぬかれた輝きと、拡大され
た個人の感性の押し付けの度合いを競う一般的な嗜好とは違うも
のをアバドは求めた。
鉄の規律を誇っていたベルリン・フィルに室内楽的で内省的でしっ
とりした響きを導きいれた。
聴衆や楽団員にはおおむね好評だったとはいえ、評論家たちには
酷評され、宣伝され、アバドは何も新しいことをせず昔の輝きを失
ってしまったと捉えられていく。
そんな時期のあまり世の中では評価されなかったけれど、長い
修練の末の純度の高いエッセンスがこのアルバムに詰まっている。
これだけの苦労をして革命的といってもいいような変貌をなしとげ、
それでもその苦労や気負いを表現にはだしていない。
全員が息を一つにして、互いの音を確かめ合い、寄りそいながら
一瞬一瞬の美しさを楽しんでいる。
音楽に知性や個人の感性の爪痕を残さず、音それ自体の美しさに
よって伝えようとする凛とした姿勢は、違う世界に生きる私たちにも
多くの力を与えてくれる。
モーツァルトの音に浸っている実感はあるのに、不思議なほどに高
揚感がない。
落ち着いて、地に足をつけて歩みをすすめている。
一点に向かい他には目もくれずに「集注」するのでなく、内なる声
に耳を傾けながらも同時に周囲の様子も感じ取っている「集中」
を感じられる。
一見平凡でありながら、瞑想的な深い要素を達成した音楽に私が
惹かれるようになったのも、それに対応する変化があるということ
なのだろう。
震災以降2年ほどまったく、モーツァルトを受け付けない時期もあ
った。
モーツァルトの音楽はすぐれた芸術作品であるとともに、心を映す
鏡でもあるのだろう。

晴屋の青い扉 その78 5月のセミ

晴屋の青い扉 その78
5月のセミ

いつも深夜になる帰宅のとき、川沿いの遊歩道を風に吹かれ、水
の流れる細やかな音を聴きながら静かに自転車に乗るのは私の楽
しみのひとつだ。
もう一月以上前のことになるけれど、5月の連休後に暑い日が続い
た日も、涼やかな風を感じながら自転車をこいでいた。
けれどその日は、何かがいつもと違う。
空気がひりひりするような緊張感があり、なじんだいつもの風景に
異次元の空間が混じっているような気がする。
ふと気がつくと、一匹のセミが鳴いていた。
植物では狂い咲きという表現があるけれど、動物ではなんという
のだろう。
暖かさにつられて出てきてしまったのだろうけれど、何年も土の中
で成長しやっと成虫になって、ほんの数日を過ごし、次の世代を
残して命をまっとうするはずのそのピークを飾るはずの鳴き声が
呼声に応える相手もなく、虚しく空間に吸い込まれていく。
空気の振るえが、私の感性の奥深いところを強ばらせる。
そして不順な天候に翻弄され、命のきらめきを奪われているのは
私たちも同じで、セミといったいどれだけ違うのかと、日常の日々
を思い巡らせてしまう。
日本人は調和を重んじる民族だと言われる。
四季の変化を感じ、そのうつろいと共にあることで、個としての主張
よりは、自然との共感によって、感性を育んできた。
けれど自然というものが何なのかつかみにくい時代になってきた。
老人となってしまった私たちがまだ子どもの頃、あるいはまわりの
年寄りたちから伝わってくる自然というものは、豊かで奥深く、時と
して荒ぶる様をみせることはあっても、則を守っていさえすれば
暖かく受け入れ、くらしと命を支えてくれるものだった。
けれど度重なる震災や火山の噴火、巨大化するハリケーンや台風、
長い長い干ばつと突如おとずれる大洪水など、私たちの生きる力
を試すような激しく厳しい災害が地球のあらゆる場所で多発して
いる。
この現実をどう受け入れたらいいのか。
人間とは相容れない他者としての自然の挑戦という見かたもあるだ
ろう。
内なる自然という立場からは、人間への警告としてみることもでき
るかもしれない。
そして私たちは、この一見安定した、生命を育む環境というものが
一過性のものにしか過ぎないということも知っている。
より温暖だった恐竜たちが闊歩した時もあり、氷に閉ざされじっと
耐えることが生きることだった時もあった。
人間はひとり、世の支配者として歴史の必然の上に生まれ、当然
のこととしてすべてを享受し、これが永久に続くと思っている。
「自然を守る」「地球はひとつ」と言っても、自然に対する責任を
負っているという発想自体が上から目線だ。
自然とともにしか生きられない人間が独立した立場を持って責任
を負っていると思いこんでいるのは、思い上がりでしかない。
古代の文明も周囲の自然の許容量を超えたとき、衰退していった。
自然だけではなく、私たち人間自身も追い込まれている。
許容量、可動性、ゆとりなどという言葉が近い何かが失われ、分析
され、白日の元にさらされることで、ありのままの感覚がそれ自体
であり続けられなくなっている。
かつては全体でひとつだった、日常と仕事が分断され、正常と
異常が裁断され、健康と病気が診断され、生と死が分かたれた。
システムと権威がすべてを判断し、ニーズを作って型に押し込め
る。
それが人間の持つ個性である知性のいきつくところであるとしても、
自身を窒息させるところまでいっては、使い方を間違っているとし
かいいようがない。
私たち自身がまずひとつの自然なのだから、素のままの、無垢な
命として生まれてきた感覚を呼びおこし、知性の分断をのりこえた
ところに、生きるべき場所があると信じたい。
食べること、食べるものを選ぶことは、その一歩に違いない。

晴屋の青い扉 その77 約束の音

晴屋の青い扉 その77
約束の音

最近また、レコードの音を聴く機会が増えている。
レコードという言葉も死語になりつつあるけれど、以前は音楽を聴く
としたらまずこれだった。
黒いビニール盤に無数に溝が刻まれていて、光によって円形の筋
が虹色に輝く。
私がオーディオに興味を持ち始めた50年ほど前には、カセットで
はないオープンリールのテープか、FM等のラジオ、そしてレコー
ドといわれる円盤状のディスクしかなかった。
学業や部活の間にアルバイトをして、年に一枚か二枚のLPを買う
ことしかできない中学生であった当時よりは手に入れられるアルバ
ムの数はふえてはいるけれど、相変わらず貧しいことに変わりはな
い。
そうして欲しくてもあきらめたオーディオ機器もいくつかあるけれど、
もっとも欲しいと思っていた50万円のアナログ用のアンプがリニュ
ーアルされ、よれ進歩したものが20万円ほどで発売されると、もう気持
を抑えることができない。
アルバイト?で、オーディオ機器を製作したり、遠方までステレオ
のセッティングに行ったり、手持ちの機材を売ったりして、細い糸を
たくさん伸ばして獲物を手繰りよせる蜘蛛のように、自分の手の内
のものとしてしまった。
それで私は、忙しい時間の中にレコードを聴いて静かに過ごす
心ゆく時間をすべりこませているはずだった。
けれど、私に付いている神様はそう簡単には無条件の悦びなど与
えてはくれない。
私の頭と身体がイメージする音がどうしても出てこない。
理想という絶対的なひな型と違うから納得できないのではなく、私
の感覚がこれは違うと砂漠で水を求める者のように喘ぎ訴える。
頭ではこれだけのものを使っているのだから、いい音のはずだと思
っても、感覚がこれは違うと言う。
それからの半年は、挫折と葛藤と格闘の時間の連続だ。
人造大理石を使ったキャビネットに始まり、モーター、進相コンデ
ンサ、アーム、ケーブル、シャフト、などあらゆる部品を交換し、吟味
しなおした。
その都度改善されるのだけれど、まだある一線を越えられない。
最後に信じて疑っていなかったディスクスタビライザーというレコ
ードとターンテーブルの振動を抑えるためのものが原因と、アンプ
の開発者であるフィデリックスの中川さんの指摘でわかり、一気に目
の前の霧がはれたように音がほぐれ、生き生きした表情をきかせる
ようになった。
この時間の経緯を今となっては貴重な経験として自分の糧にな
ったと感じるけれど、さなかでは闇の中を手探りで進んでいるよう
で、自分がどこにいるか、目的地がどこなのかも分からなくなって
しまう。
部品を少しでも変えると必ず音が変化するのがオーディオなのだ
けれど、変わったからといって良くなったとは限らない。
欠点を補うためにしたことが、また新たな欠点を生み出し、音が混
濁して見通しが悪くなり、色を重ねすぎた水彩画のように光を失っ
ているのに、それを豊かさと見間違えることは多くある。
何度も基本に戻って、ボタンのかけ違いを正し、やっと最後にな
って、あるべきものにたどり着く。
約束はされていなかったけれど、必ずあるはずだと信じていたもの
に出会う悦びはやはり大きい。
人生の目標の中の大きなものを得たような達成感がある。
それは新しくもあるけれど、とても懐かしいものでもある。
心地よい音に包まれていると、私の心は音楽を忘れて流動し、音
からも現実からも離れて見知らぬ空間を彷徨う。
そして時折音の奔流に帰ってきて、音楽の美しさに少年のように心
をときめかす。
弦楽器を奏でるときの独特のこする音は特に好きで、重奏で音が
調和しながらひとつひとつが手にふれられるようにはっきり感じられ
たりすると、ゾクゾクしてしまう。
子どもの頃からこの音を好み、これがどれだけ再生できるかいつ
も考えていたっけなどと昔の感覚をよび戻していると、年月も空間
も消えて自分をひとつのつながる命として実感できる。
自分と向き合うことができる、かけがいのない時間だ。
50年の道のりが一瞬だったような宇宙の中のひとつの結晶としての
命の感覚だ。
CDの音は目前で鮮やかにきらめくけれど、実体を感じられず、感
覚の表面をなでて通り過ぎていく。
LPの音にはボディがあり、いまそこで音楽が生まれる新緑の芽吹
きに立ち会っているようなときめきがある。
どちらがいいというものではないかもしれないが、心に深く音をし
みこませるにはLPに分がある。
とりあえずのごまかしに逃げずに道を誤らなかったのだとつかの間
の安堵を感じられるし、また新しい一歩をふみだす力をえるなど
という経験もアナログのレコードだからこそえられるものだ。
必然を必然として感じられることこそ魂の糧となるものだろう。

晴屋の青い扉 その76 不戦の誓い

晴屋の青い扉 その76
不戦の誓い

インターネットの発達ですべての情報が白日の下にさらされ、経済
のグローバル化ですべての物の所有者と価格が明らかにされ、
何者であるかが、情報と所有物で計られるようになってしまった。
どう生きるかは、どうした学歴と経歴があって、何をどこで買うかに
限りなく近い。
夢や希望というような、ばくぜんとはしているけれど心を暖かくする
ような憧れを持ちにくい時代だ。
情報ばかりが暴力的にやってきて欲望をかきたて、競争に巻き込
みながらシステムに組み込まれていく。
以前なら自然の多様性や個人の柔軟性で持ちこたえていたものが、
許容量を超えたために社会の矛盾が顕在化してしまっている。
新しいことに取り組むエネルギーや行動の余地がなくなり保守化
して、責任を果たすこと、クレームを避けることに重きがおかれる。
よく言えば民族主義的だけれど、その精神を引き継ぐというよりは、
古い形に押し戻そうという教条主義や原理主義が幅をきかせる。
そしてその結果、排他的になり、権威主義が横行する。
中東でも、アジアでも、ヨーロッパでも基本的な構図に変わることは
ない。
国内に渦巻く不満を他の責任に押し付け、矛先を向け、他を非難
することで自身を正当化しようとする。
自分で物事を考える力を育てない教育システムによって、多少の
社会の混乱があろうとも、国民が覚醒し現体制を変えようとするよ
りは、とりあえずの甘言でその場をやり過ごそうとしている政治家
たちは愛国者というよりは亡国の売国奴というべきだろう。
プライドとコンプレックスが渦巻く全世界的なこうした状況に、私た
ちが対抗する手段は何もなく、個人は無力だ。
もし日本が国として何かできる可能性があるとしたら、憲法に盛り
込まれている「不戦の誓い」を前面に出して技術力をからめて関
係を築きあげていくしかないだろう。
けれど日本だけが持つこの優位を、経済のとりあえずの効率だけ
を追求して放棄しようとしている指導者がいる。
「景気回復、この道しかない」「あなたが成長の主役」「福島の放射
能は完全にブロックされている」などと根も葉もないことを話し、雰
囲気と勢いだけでやり過ごそうとするため、ヤンキーとも評される。
大企業ばかりを優先するため、株価の維持に腐心し、年金をつぎ
込んで見た目の好景気を演出して後世につけをまわし、責任を
顧みない。
なぜこのような人物が支持されているのか。
憲法の第9条は「不戦の誓い」といわれている。
敗戦直後の日本が再軍備し、二度と戦争を起こさせないために、
GHQやマッカーサーによって盛り込まれた条文だ。
自主的なものというよりは強制的に与えられたものではあったけれ
ど、人類の理想を具現し表現したものだった。
軍隊を持たない国はあっても、戦争放棄をうたったものは他に
ない。
他の国が盛り込もうとすれば、必ず利害関係などで壁に当たり、
実現は不可能なものが、戦後の混乱の中で否応もなく受け入れた。
しかし当時の心ある世界の人々にも支持された人類のひとつの
究極の目標でもあった。
日本人の調和を重んじる気風にもあうものでもあり、世界に誇れる
ものとなった。
けれど、これを原則であり、法律で定められた絶対的正しさと認め
てしまうことで、形骸化とゆるみが生じ、某首相の暴挙を許すみな
もととなってはいないか。
実現すべきひとつの理想、みなが力を合わせ努力によってえる
べきものと捉えれば、吟味と再構築が常に重ねられ、求める力は
更新されるのではないか。
憲法なのだから当然守らなければ間違いだという一元的な「正し
さ」は、うまくいっていれば少しくらいは原則を離れても大丈夫と
いう現実主義者たちに取り入る隙を与え、形骸化を許す土壌とな
るし、権威にぶらさがる人たちを支え、本来の意義を見失わさせ
る。
闘いに明け暮れるのが常の人間界では「不戦」は決して正しいこ
とではなく、意思によってなりたつ可能性のある一つの理想であり、
殺し合いではないかもしれないが、闘いによって築くしかないものだ。
私たちは日々その意味を問うていく必要があるだろう。

日本国憲法第9条
日本国民は、正義と秩序を基調とす
る国際平和を誠実に希求し、国権の
発動たる戦争と、武力による威嚇又
は武力の行使は、国際紛争を解決
する手段としては、永久にこれを放
棄する

晴屋の青い扉 その75 人生は闘い

晴屋の青い扉 その75 人生は闘い
休日のない私の息抜きは近所の日帰り温泉で過ごす数時間の静
かなときだ。
週2回のトラックの引き売りは、時間の拘束も長く、体力も気力もす
べてすり減らしてしまう。
早朝5時には仕事を始め、片付けて家に帰ると翌日の1時か2時。
それからご飯を食べ、風呂に入って寝ると4時くらいになり、3時間寝
てから店に行って届いている野菜等のセッティングをするともうヘト
ヘトで動けなくなる。
それでも店にいても、自宅にいても何かしてしまう貧乏性の性で、
何もできない場所に身を置いて強制的に休むしか術がない。
自分の限界と時間との闘いという勝てる見込みのない日々を過ごす
私の貴重な羽を休める時間であり、自分にたちかえる時間でもあ
るけれど、こうして原稿を書いているのもその時間の合間であり、本
当にこれが休みなのかはちょっと微妙なところだ。
いつもは朝から入館する温泉だけれど、少し前に夜にいく機会があ
った。
昼間は大きな天窓から光が入り、来ているひとたちもリタイアした老
人たちが主で、ひまをつぶしにゆったりと静かに過ごしている。
近くには大きな雑木林があることもあって、ちょっとしたリゾート感覚
がある。
けれど夜の雰囲気はまったく違った。
暗めの照明に湯気がまとわりつき重たい空気が支配している。
集う人たちも、中年から初老の年代が多い。
湯船に腰掛けてうつむいたまま、身じろぎもせず、自分の中に沈殿
している人。
手馴れた手つきでタオルをパンパンと身体に打ちつけ、身体の水を
とる小太りの男。
ギュッと目を閉じ、眉間にしわを寄せて湯の中でうなり声を上げてい
る人。
いくつかある風呂を落ち着きなく渡り歩く痩せて神経質そうな男。
飽きて走り回る子どもをたしなめながらも、長くなって湯船にもたれ
ている三十代と思しき男。
様々な人生が垣間見れる。
朝の清新な感じからは想像もできないような退廃と喧騒とアンニュイ
が支配する倦んだ時間が流れていた。
それぞれの人生の闘いに疲れ、この場でひとときの安らぎをえて
いる。
生きる厳しさとやるせなさを感じざるをえない。
生きることは闘いだとよく言われる。
何も問題も課題もなく、周囲との摩擦もなく生きている人はいない
のだから、多かれ少なかれ日々の衝突の連続で日常は出来ている
だろう。
そればかりでなく、好んで争いに加わり、新たな争いを作っていく
人もいる。
無骨にゴツゴツと自分をぶつけているのが生きがいに見える人もい
るし、人から言われたことに過敏に反応し言わなくてもいいことま
で言って争いを作る人もいる。
私などは見た目は穏やかで温厚だけれど思いたったことはやらな
いと気がすまず、自分や時間と格闘してなんとかやりとげ最終的に
は周囲まで巻き込む性質の悪い闘い方をする者もいる。
まったく周囲とぶつからず、楽々と生きているように見える人だって、
葛藤や軋轢は必ずあるはずだし、にこやかな態度を維持するには
努力と忍耐が必要だろうから、それもある種の闘いといえなくもない。
この世に生まれたのだから、その生を精一杯享受し個性を生かして
味わい尽くすのが生命としての本望だろうし、あの世から何かよく分
からないものを持ち込んで憑かれたように追求するのもまた一つの
人生だ。
自然界の植物だってじっとしているように見えても競って葉を伸ば
し、枝を広げながらも全体としては調和しているのだから、私たちが
競い合うのも自然なことに違いない。
むしろそれがない世界は、無機的で石ばかりが並んでいるような冷
たいものになってしまうだろう。
けれど、人生は闘いであると認めても、それを人間同士が合法的に
殺しあうものまで推し進めるとどうなるのか。
人生は戦いなのだから、同胞のために命を捧げ、敵を殺すことが当
然で素晴らしいことと言えるのか。
人間は自然則で、生存のためならなにをしても許され、正当防衛
が認められている。
それと戦争はどう違うのか。
その間を埋めるもの、あるいはその差を作っているものこそ知性だ。
野性の動物も自然界で生存をかけ闘いにあけくれる。
生き残るため、子孫を残すため。
けれど彼らは食べるための必要以上には決して殺したりはしない。
縄張りを荒らされても尻尾を巻いて逃げていけばそれでおしまいだ。
知性ある私たちだけが、よく分からない理由のために人を殺す。
人間は知っていることに支配されそれがすべてと思い込む生意気な
生き物だ。
だから紛争や戦争、目に見えない支配の強大化と争いはなくなるこ
とはない。
新たな決まりごとは、新たな軋轢と争いを生む。
知性によっての平和は絵空事であり、感傷を満たすだけのものだ。
良心だけでなく内に潜む本能的要求も統合したもの、陽の当たる
ものと暗部をひとつのものとするような文化や生活習慣が確立され
なければ、戦争は永遠に続くだろう。
互いの肩がぶつかりあっても当然のこととして受け入れられ、自分の
自由を愛しながら、他人の自由を尊重する暮らし方。
私には自分や周囲にその文化の種を蒔き、生活のあり方を提案し
ていくことしか出来ない。
これもまたひとつの闘いではあるけれど、唯一でなく、多くの人が
葉を広げるように手を広げ、全体として調和しながら変わっていくの
を期待するしかない。
今のところこれもまったく勝ち目のない闘いだ。
インターネットの発達で情報は瞬時に世界をかけめぐり、新たな欲
求と新たな不安が日々更新されていく。
経済のグローバル化で巨大なシステムに取り込まれ、一部の人た
ちだけが大きく潤うために奉仕するしかない。
どこの店で何を買うか、どの場所でどんな役割を演じるか。
そんな自由だけが与えられている。
開け放たれたパンドラの箱の底にはどんな希望があるのか。
それを直視することこそ、私たちにとって最大の闘いであるかも
しれない。

晴屋の青い扉 その74 働かざるもの、食うべからず

晴屋の青い扉 その74
働かざるもの、食うべからず

人間は働く生き物だ。
野性の動物ももちろん生き残るために全力を尽くして動き回り、命を
全うしようとする。
人間は自然に働きかけて野菜や果物などの新しい価値のあるもの
を作ったり、時間と手間を費やすことでお金を稼がなければ生きて
いくことができない。
人間も動物である以上、活動することが生きることだとはいえ、いろ
いろな価値観に合せていかなければならない。
シンプルに素朴に、淡々と働くことはとても難しい状況になってし
まった。
「働かざる者、食うべからず」という格言のような、言い伝えのような
言葉が聖書から来たものだということを最近まで知らなかった。
人間は労働によって社会に貢献してこそ生きる意味があり、そうで
ないものは生きることは許されないという厳しい掟が私たちの周りに
ある。
学校はそのことを具体的に教え、社会に適応する術を伝える場と
なっている。
与えられた中での選択の自由や生きる権利が保障されるかわり、
私たちは社会の一駒として働きつづけなければならない。
それはもちろん「正しい」方向でありその義務を引き受けるしか私たち
には選択の余地はない。
けれどテレビやゲームなどであまりに巧みに商品経済に組み込ま
れ、唯一の教育の手段として学校で方向付けされるために、私たち
は自分を見失ってはいないかと自問したくなる。
イリイチという人が「シャドウ・ワーク」という本の中で、本来は豊かで心
のよりどころである家庭での生活や余暇の過ごし方までが賃労働
の対価として取り込まれ、昔から地域に根付いたもの、本来は自然
にあるべきものが輝きを失っている構図を明らかにしている。
一生懸命に働くといっても、ボタンのかけ違いがあると、それを取り
戻すには多くの時間と努力が必要になる。
西欧は建前で自由が保障されているけれど実は厳しい階級社会
で労働者の子は労働者になるしかなく、労働しかできない人間という
レッテルを貼られる。
日本では古来からの違う価値観がまだ残っていて、黙々と働くことを
美徳として評価する伝統がある。
与えられた義務を遂行する労働ではなく、生きる責任として自主的
にする仕事という感覚がまだある。
こうした自然発生的で互いの信頼を前提とした仕事の感覚を今の
労働全てににあてはめるのはきわめて難しい現状だろう。
厳しい経済情勢の中、企業は労働者の犠牲によって辛うじて存続
している。
その中の一個人として、私たちに何ができるのか。
働いて人間や社会とかかわり、互いによりよい状態を求める素朴な
悦びを潰さずに生きるにはどうしたらいいのだろうか。
私が晴屋という八百屋を始めて35年たつけれど、当初から信念と
は言えないような思い込みがあった。
ひとつは、人間は全力を尽くさなければ越せないようなギリギリの
重さの課題を与えられて生きているというある種の運命論を受け入
れている。
私のような凡人は、小人閑居して不善を為すで、暇があればロクな
ことをしないのだから、積極的に前向きなことで埋めておけば、そ
うそう悪いことはないだろうと思っている。
もうひとつが整体法の創始者野口晴哉の言葉で、「100円の仕事に
100円の仕事をしていればいつまでも100円の仕事しか来ない。100
円の仕事に1万円の仕事をしていればいつか1万円の仕事がくる」
というものだ。
そういうものかと思って、とにかくやれるだけのことはやりきって手間
を惜しまず仕事をしてみようと決めた。
おかげでどんどんと忙しくなり、ますます忙しくなっていく。
収入のほうがそれにつれて増えていく気配はまだないが、潰れずに
こんな偏屈に仕事を続けられるのは本当にありがたいことだ。
こんな思い込みが今の若い人たちに通用するものかどうか、甚だ
自信はない。
彼らは彼らの当てのない信念を見つけ、それを実現すべく努力する
しかないだろう。
ただ、社長であっても労働者であっても、動物として全力を尽くして
活動する悦びを全うできなければ生きていることにはならず、生きき
らなければ安らかな最後もないということは伝えなければならない。
悲惨な社会に生きていても不幸せとは限らないし、良い会社に属し
たから幸せになるとは限らない。
自分らしく生きるのがとても難しい時代だからこそ、達成される悦び
はより大きいかもしれない。
死が苦しい終わりとなるか、永遠の安らぎとなるかは私たち自身に
かかっている。