「しゃちょーのぶろぐ」カテゴリーアーカイブ

晴屋の青い扉 その94 内なる辺境に生きる その4 「内なる辺境」

晴屋の青い扉 その94
内なる辺境に生きる その4
「内なる辺境」

ものごとを客観的に捉えるのが得
意で、数字には強いタイプだけれ
ど、不思議なくらいに経済観念が
ない。
話すのも苦手で、愛想もなく、およ
そ商売向きではない。
こんな私がこの仕事を続けてこられ
たのは、私の背後にある自然の豊
かさと人の営みの確かさ、必要なも
の、美味しいものを求めるお客さん
たちの感性の健全によっている。
けれど似つかわしくないことでも、
長年続けているとそれなりに自分
のスタイルもできてくる。
整体法の野口晴哉は、「不向きな
ことでも25年を超えると自分の味が
でてくる」と言っている。
内気で無口な私が、客観的な説明
をしながらお客さんの感性に切り込
む、一歩前にでるようなスタイルが
いつの間にか私の個性と思われる
ようになっている。
ひと息に過ぎた、つい昨日のことの
ように思える八百屋の日々も、もう
38年もたってしまった。
一度だけ、八百屋を辞めようと思っ
たことがある。
晴屋をはじめて数年後、有機農
産物流通センターJACにかかわる
グループ内部で、創始者たちと、
別の路線でセンターを運営したい
主に学生運動経験者の新興勢力
の対立が深まり、独立の動きが起
きてきた。
私には自由という名の独裁と、民
主という名の衆愚のどこにでもあ
る、人類永遠のテーマのような争
いと感じ、どちらにも加担はしなか
った。
世に新しい動きを起こしながら、何
のミスも軋轢もなく組織を運営する
ことなどありえないと思っていた。
無理な独立での無益なエネルギー
の消耗を避け、現状での改善を望
んだ。
何度も会合がもたれ、話し合いが
続く中、独立を前提としている人た
ちには邪魔な存在として、私が矢
面に立たされる。
現役の八百屋であり、センター経験
者として流通の事情も知り、生産者
ともつながりがある。
誰も圧し潰すはできない。
そして最後に「その言い方はなん
だ」という急先鋒の人物の言葉を
皮切りに、何人かのリーダーたちが
同じ表現を連呼する。
内容でなく、相手の人間性を否定
することで立場を正当化する。
踏み絵を目の当たりにしているよう
で、怒りよりは哀しみに近い感覚に
とらわれた。
こんな連中や、こんな連中をなんと
も思わず支持する仲間と八百屋を
やっていくことなどできない。
発言するのをお終いにし、静かに
辞める決意をした。
けれど翌朝になって、寂しさと喪失
感があふれだす。
八百屋のくらし、命や自然と共に
あるくらしは、私の一部となってい
た。
それを分かつことはできない。
グループやセクトに属さず、自分の
道を歩むしかない。
私は以降、ますます孤立した独自
の道を進むことになる。
しばらくしての放漫経営の果ての
JACの倒産もあり、今までの品物を
扱い続けるために直接の取り引き
をする必要にも迫られ、卸やセンタ
ーからでない、直送の生産者が増
えていった。
発注作業や、発送のロットや運賃、
検品や支払いなど、直接の取り引
きでは手間がとても多い。
けれど自分で納得したもの、話を
しながら改良し育てたもの、生産者
の心意気と畑の風景を感じられる
ものをあつかう悦びは大きい。
必ずしも自分で求めたのではない
孤立路線だけれど、いつか晴屋の
個性のひとつとして定着している。
JACの流れをくむ流通センターの
メルカウーノとOFJオーガニック・フ
ァーム・ジャパン、比較的近い場所
なので直接引取できて鮮度と価格
を両立できる「こだわり村」が、野菜
の主な仕入れ先だ。
加工品は、ムソー、創健社、杉食、
オーサワジャパン、恒食などから
納得できるものを選んで仕入れて
いる。
その他に直送の生産者が数十件
あって、晴屋の店頭に色どりを添え
ている。
沖縄の芳野君のオクラ、水沢の小
平さんのりんご、山梨白州の有精
卵、庄内協同ファームの玄米おこ
し、山形の三吉の味噌と醤油、大
阪のやまだのせんべい、斎藤さん
の生蜂蜜などなど、海外からもオリ
ーブ油やバリの塩、ドイツのノンア
ルコールビールまでやってくる。
どれもかけがえのないものたちだ。
何かの系列に属し、その範囲で店
を切り盛りすることも可能だろう。
その方がずっと効率がいい。
しかしそうした合理化ができず、古
いスタイルを残す時代遅れの八百
屋となってしまった。
野菜の量り売り、トラックでの引き売
りなど、今は他の八百屋では止め
てしまったことも続けている。
毎週の通信の発行やセールなども
四苦八苦しながら継続している。
精神的には、未だに昔ながらの辺
境での八百屋である。
東久留米は東京の片隅にあって、
水と緑にめぐまれている。
長坂や屋久島のような圧倒的に大
きな自然や人の痕跡を感じない辺
境ではない。
けれどこの中庸が、極端に向かい
がちな晴屋を包んでいる。
それでも、メジャーになることを目
指せない辺境に生きる目線は、
失うことができない。

晴屋の青い扉 その93 内なる辺境に生きる その3 「終末から共生へ」

晴屋の青い扉 その93
内なる辺境に生きる その3
「終末から共生へ」

晴屋をはじめた1980年代は、私に
とっては、まず子育ての季節だった。
81年の5月に長女が生まれ、その
後の8年の間に、4回出産に立ち
会った。
4人とも運よく、自宅出産で無事に
生まれ、まだ仕事もそう忙しくはな
かった時期なので、育児に参加で
きた。
目つきの悪い私が道端に座ってい
たら相当に妖しいが、子どもといっ
しょだと突然にいい人になる。
子育ての大変さもあるけれど、社会
との接点も作ってくれる。
流行り物が嫌いで偏屈な私だが、
子どもに助けられ楽になったことは
多い。
そして子供はまず親の思い通りに
はならない。
テレビや、甘いもの、お金といった
世の害を助長するものを遠ざけよ
うとすると、かえって興味を持つ。
成長し、自分で理解するまで時間
の経緯をいとわず、待つということ
の意味を知ったのもこの時期だ。
その感覚は、日々どうお客さんと接
するかにもかかわってくる。
最初は、東京はもう未来がないとい
うところから晴屋は始まっている。
いきおいストイックになり、厳しさを
求める。
晴屋は当初から、野菜の量り売り
をしている。
必要なものを、必要な分だけ手に
とって買うのがいいだろうと思う。
開業当時は野菜の品質のばらつき
も今よりずっと大きかった。
けれど野菜への配慮がなく、他の
人の迷惑を考えずに野菜をガサガ
サと粗雑に選ぶ人に耐えられない。
野菜を命としてでなく、物としか見
ていない。
私は明確に拒否する。
「お客さんには野菜を選ぶ権利が
あります。私たちにもお客さんを選
ぶ権利があります。あなたに売る
野菜はないから、帰って下さい。」
ほとんど喧嘩腰で、逃げ場がない。
そして安全なお菓子を求めてく
る人たちにも、「おやつはお母さん
が作るものです。」などと言って、
「わが子のおやつ」という乾パンに
少し味がついたものしか置いてい
なかった。
まだ20代後半の若気のいたりとは
いえ、ずいぶんと無茶をしたものだ。
けれど反面の熱意もあり、反発もさ
れたけれど、強い支持もあった。
そして子育てを続けるうちに、その
基準はどんどんと緩くなる。
お菓子やジュースの品ぞろえも増
え、即席めんなどのラインナップも
充実していった。
人間は生きるのに必要になると、削
られる自尊心や基準がある。
晴屋をはじめて数年後、「風の谷
のナウシカ」の映画が世にでるよう
になった。
製作委員会主体で作った自主制作
の映画のため、通常の映画館でな
く、市民会館や体育館で自主上映
されている。
子どもたちを連れて見に行き、深く
心を揺すぶられた。
人類に救いと未来はあるのかという
重いテーマが、世の闇を見る私た
ちに切実に訴える。
映画の続きは「アニメージュ」という
雑誌にマンガで連載されている。
複雑に積み重なるストーリー。
主人公たちは、自分の生きる道、
生きる場を求めて葛藤する。
宮崎駿男監督は映画とそれに続く
マンガの展開を、「終末論から共生
論への転換」と表現していた。
雑多なこと、どうしようもないことが
あっても、私たちはここで生きてい
くしかない。
それが私たちの人生なのだ。
それほど頭が良くない私でも、その
主張の意味は理解できた。
平凡と悲惨、雑多と刺激が混濁し
て先行きが見えない世界であって
も、そこにも命は宿っている。
理想とははるか遠く、目前の霧も
闇もふり払うことはできないが、ま
わりとのつながりのために生きてい
くことはできる。
野菜と子どもたちに手をひかれ、
ひとりの素の人間として社会と向き
あうことができるようになった。
バブルに浮かれうわついた80年代、
世間とは真逆の方角に生きていた。
いつも自己を主張しない濃紺のT
シャツに、作務衣かGパンを着てい
た。
野菜も人も、見かけではなく中身が
大事という意思表示であり、野菜の
美味しさがすべてを語ると信じてい
た。
華美や虚飾がないこと、「無農薬」
などの尤もらしいキャッチフレーズ
がないことが本物の証しだ。
地に足をつけ、梢から垣間見える
空や雲のうつろいを見上げていた。
80年代は、暗黒の闇を脱して、心
を鎮める藍色に染まりゆく日々だっ
た。

清瀬・篠新さんに行ってきました

篠新はとても地味なお店です。
小金井街道沿いにありますが、人通
りはあまり多くなく、間口も狭いので気
づかず通り過ぎてしまいます。
看板には「田舎うどん」と書いてありま
す。
これはあまり内実を表していません。
おそばもやっていますし、けっして
田舎風でもありません。
むしろとても洗練されています。
あえて田舎と書くのは、高級感や気取
った雰囲気を避けているのでしょう。
テーブルが4卓ほどの一階にはいつも
奥さんがいて気さくな雰囲気です。
壁には、和風モダンな飾り戸がしつら
えてあり、ご主人の手作りです。
物静かなご主人ですが、話していると
気骨を感じます。
最近の若い人たちが断りもなしにスマ
ホで写真をとるのを「失礼だ」と言って
心地よく思っていません。
人と人のつながりのぬくもりを感じな
いのです。
まだ完成していない飾り戸にはお面
を四つ置いて結界を作ると言ってい
ました。
どんなものができるか楽しみです。
ただ今は、メニューを自分で作るため
にはじめたパソコンに苦戦中のようで
しばらく時間がかかるかもしれません。
70才ということでしたが、いつまでも
新しいことにチャレンジする姿勢に
親しみと敬意を覚えます。
調理は2階で、出来上がると小さなエ
レベーターで料理が降りてきます。
味はまずセンスの良さを感じます。
よくお蕎麦屋さんにある相手を圧倒
するような、これでもかという自意識
を際立てません。
食べる私たちがホッと心をなごませ
るものです。
かけやもりのうどんが600円、そばが
700円というのも、丁寧な手打ちの店
としては格安です。
うどんも手打ちのため茹でるのに15分
ほどかかります。
サイドメニューの総菜も何種類かあり
ます。
夏限定の苦瓜をあしらったそばは、
レモンの酸味が心地よく効いて、夏の
疲れが癒されました。
場所は清瀬の大きな踏切から小金井
方面に向かって50mほど歩いて右側。
駐車場は専用ではありませんが、さら
に50mほど進んだ信号付近にいくつ
かコインパーキングがあります。
定休は毎火曜日。
営業は11:30~14:30、17:30~20:30。
電話は、 042-494-1514です。

秋の養生

秋の養生
毎年の夏の厳しさは増すばかりです。
夏の暑さをのりきるためには、エアコン
は必要ですが、汗をかかなくなると腎
臓に負担がかかり、代謝も落ちて体力
が衰えます。
また肝臓にも疲労が蓄積します。
腎臓が疲れると何事も億劫になります。
肝臓が疲れると何事にも耐えられず、
イライラして切れやすくなります。
無気力なのに、すぐに逆切れする現
代の風潮がより濃厚となります。
本人にとってもあまり心地のよいこと
ではありません。
少しづつ回復するには冷たいものを
避けることからはじめます。
飲み物もお酒も冷たいものは控えて
温かいものに切り替えます。
そして何よりも身体に沁みるような美
味しさを感じるのは、暖かな汁気のも
のです。
みそ汁やけんちん汁、麺類のつゆ
など、肝臓が疲れると塩分も必要な
ためもあってとても満足感があります。
また疲労には酵素も必要なこともあり
果物も美味しく感じます。
秋は量を食べるのではなく、美味し
いものを少しづつ摂るのがいい時期
です。
秋に肝臓や腎臓の疲れをとってお
かないと、冬の寒さを乗り切れず、
冷えに対処できないため、心臓や
脳の血行の問題や体力の低下をお
こします。
汗をかきにくい時期ですが、ほんのり
と汗をかいて、冷やさないようにする
工夫が求められます。

晴屋の青い扉 その92 内なる辺境に生きる その2 「70年代の八百屋」

晴屋の青い扉 その92
内なる辺境に生きる その2
「70年代の八百屋」

1970年代は、1954年生まれの私が
16才から26才までの、最も多感で
不安定な時期だった。
戦後の復興は進み、多くの人が食
べるにはさほど困らないけれど、豊
さが実感できるほどではない。
一方で経済優先によって置き去り
にされたつけが現れ、公害や環境
汚染の問題も一部には取り上げら
れはじめてきた。
活気はありながらも先の見込みは
立たず、手軽な楽しさと閉塞感が
同居する屈折した感情が渦巻い
ていた。
こうした圧縮した感情がぶつかりあ
う時には、芸術的には面白いもの
が生まれる。
ビートルズが一世を風靡し、ロック
が台頭する。
ポップアート、映画の新しい波が
押し寄せ、クラシック音楽でも古楽
という新しい発想が生まれている。
20代後半で、有機農産物の仕入れ
センターJACに参加した頃、私より
少し上の世代、30代半ばの人たち
が八百屋を始めている。
子供がいて、これから経済的にも
厳しくなっていくことが予想される
人たちが、なぜこの時期に始める
のだろうと、まだ子供がいない私
は不思議に思っていた。
そうした人たちの大半は学生運動
の経験者だった。
自分ができるギリギリ最後の決断
として仕事を変え、八百屋を選んだ
のだろう。
一方、ナモ商会やJACの創始者た
ちは、コミューン(共同体)運動が出
自だ。
社会の制約や責任に捉われず、
自由に気ままに暮らすことを生きる
悦びとしていた。
伸びやかで、屈託なく、フレンドリー
だけれど、締まりがなく、自他への
甘さがある。
すでに整体法(野口整体)と出会い、
個としての宇宙、宇宙としての個の
感覚を知っていた私には、地球は
ひとつ、すべての人と通じることが
できるというヒッピー的な曖昧な感
性に身をゆだねることはできなかっ
た。
学生運動も学生時代を過ごした70
年代にはすでに、形骸化していた。
反権威という名の権威が支配し、
すでに上で決まっていることをなぞ
っているだけの会議が延々と続く。
理想の残り香があるだけだった。
八百屋の中のこの二つの流れは、
はじめはとてもうまくいっていた。
けれど次第に手段と目指すものは
別のものとなり、数年後は決別し、
分裂してしまう。
まだこの時期は出会いの蜜月だっ
た。
その時代に竿さして生きようとする
双方の良さも分かってはいたつも
りだが、どちらにも精神的には加
われなかった。
ここでも私は浮いた存在となる。
会議の場で、テクノクラート不要論
という暗に私を否定する話題もで
てきた。
仕事はこなすし、生産者たちにも
受けはいいけれど、心が通じない
人間として遠巻きに扱われる。
精神的、経済的にも東京の中の
辺境にあっても、私はさらに片隅
にいた。
JACでの仕事は主に野菜の集荷と
仕分けだ。
早朝に産地まで古い4tトラックで
野菜を引き取りに行き、帰ってから
仕分けて配達する。
中央線沿線沿いの店舗や、その頃
にはまだ多くいたリヤカーでの引き
売りのために野菜を深夜、届ける。
明け方帰宅し、仮眠したら、昼過ぎ
には事務所にしていた古いバスの
中で、野菜の注文を受けて、生産
者に発注する。
高速道路高架橋に半ば占拠した
雨をしのげる塀の中にその当時の
JACはあった。
いつも資金不足で、週に2~3万が
給料として手渡された。
お金がない中、ガソリン代を持って
産地に野菜を集荷にいく。
畑を見て回り、野菜の様子を聞き、
育て方や天候とのかかわりを知る。
土を手に取って感触を確かめ、時
には口に含んで味覚や嗅覚で確
認する。
五感を使い、感覚と知識をすり合
わせて経験を蓄積できる貴重な体
験だ。
お昼時に行くと、ご飯も食べさせて
もらう。
野菜や環境、農家の暮らしや食べ
物と直接向き合うことができる。
茨城の玉造、渥美の土百姓、北軽
井沢など、季節によっていろいろな
ところへ行った。
その中で一番印象的だったのは、
山梨の長坂だ。
八ヶ岳の山麓にあり、正面に甲斐
駒ケ岳が大きな存在感を誇り、遠く
北岳も見える。
その左手には富士山も見えて360
度のパノラマが、文字通り長い坂
から遠望できる。
そして森が多く残っていて、四季を
通じ静けさが支配して、美しい。
多くの生産者を見て回ると、森を
持つ人とそうでない人の農業の姿
勢や野菜の味の違いを感じる。
もちろん経済的ゆとりということもあ
るのだろうけれど、森とともにある人
たちはどこかゆったりし、できた野
菜の味も伸びやかで、豊かだ。
森から流れる栄養豊富な水や、落
ち葉で作る堆肥、品種の選定や間
引きの仕方など多くの要素が加わ
っての結果だろうけれど、森を背後
にかかえていることにひとつの力を
感じる。
森に囲まれた長坂は理想的な場所
に思えた。
しかし、しばらく付き合ってみると、
人とのつながりとしての自然にも
向き合わされる。
よそ者である私たちが、森を歩いて
もあまり問題にはならない。
「もの好きな都会の連中がまた来て
いる。」という程度だ。
けれど一端、地元の人間と認知さ
れると話は違う。
何のために入ったのだろうと寄り合
いで話題になる。
取り分け、土地の区分を証明する
杭の位置には神経を尖らせる。
私たち都会人にとっては誰のもの
でもない自然である森も、そこに暮
らす人たちには誰かの所有物であ
り、財産なのだ。
森を歩くのも遠慮がちになり、機会
も少なくなる。
そこに生きる覚悟がないものにとっ
ては、何のための自然か分からなく
なる。
もちろん長坂に限ったことではない。
日本中どこでも同じだろう。
そして当時のテレビの影響の強さ、
東京の一元的価値観への志向も
異様なほどだった。
東京のあり方に矛盾を感じていた
けれど、東京が変わらなければ地
方の良さも、自然の美しさも保てな
いと思い知らされる。
自然の豊かな美しさも、都会や人
とのかかわりの難しさも教えてくれ
たのが長坂だ。
私は生産者になることを諦め、八百
屋として東京で生きる決心をする。
そして1980年9月、晴屋のトラックの
引き売りが始まった。

晴屋の青い扉 その91 内なる辺境に生きる その1 「真夏の感覚とシティロード」

晴屋の青い扉 その91
内なる辺境に生きる その1

「真夏の感覚とシティロード」
暑く、厳しい気候が続き、それに
対処しようと、愚かな頭を置き去り
にして、私たちの身体は命の力を
ふり絞る。
免疫機構はフル稼働で、エネルギ
ーを消費し、疲れが蓄積する。
肝臓や腎臓にも負担がかかって、
身体は重く、だるく無気力に沈み
ながら、モヤモヤと当てどない要求
が、いたたまれずに出口を求める。
子供たちはメキメキと成長し、老人
はメッキリ衰える。
真夏は、無事に過ごすのが難しい
明暗を分ける季節だ。
この時期の暮らし方が、一年の健
康状態や老いの進行に大きな影
響を与える。
身体の疲労も極限まで達し、心も
精神も追い詰められた、この季節
特有の感覚がある。
私が「夏の感覚」と呼んでいるこの
状態になると、世界の風景が突然
今までと違うものになる。
疲れて重い身体、痺れて思い通り
に動かない頭、前向きなことをなに
ひとつ思いつかない意識を超えて、
眠っていた何かが覚醒し、大きな
イメージが立ち現れる。
今、目の前に映るもの、見えては
いないけれど日常にかかわる人
たち、しばらく会っていないけれど
印象に残る人などが、私の周りを
取り囲むように隙間なく埋め尽くす。
近いものも、遠いものも、みなそれ
ぞれの役割を果たしている。
現在だけでなく、過去のものたち
も、幾層にも重なってそこにある。
全てを同時に見渡し、それぞれの
必然で生きているのを感じながら、
私はひとり、動くこともできないまま、
そこにいる。
疲れ果てた末の妄想かもしれない。
普段は過去や、周囲をしっかりと
見ていないだけかもしれない。
けれどこれこそ、私にとっては真夏
の感覚だ。
時折おとずれるこの感覚に引き寄
せられながら、今年は昔のことを
話す機会も与えられ、過去を振り
返ることが多くなっている。
たまたまであるかもしれないし、今
までのことに向き合う歳になってき
たのかもしれない。
他にも理由があるのかもしれない
が、小泉さんに会う機会が多いこ
とも切欠となっているだろう。
小泉卓史さんはデザイナーで、そ
の朴訥で真摯な姿勢をかわれて、
シティロードという雑誌で編集長も
兼ねていた。
子供たちが独立した今は、仕事も
少し続けながら、趣味での木工を
楽しんでいる。
ポップな感覚にあふれた趣味の良
さと、価格の安さ、誠実な人柄を感
じる暖かな作品は、晴屋の周囲で
支持され、枉駕での即売会も好評
だ。
40年の付き合いの間、たびたび会
っていたわけではなく、細々とした
付き合いが続いていた。
けれどある日、「深大寺のフリマに
行ったけど、全然売れなかった」と
いう話に反応し、「じゃ、あるんでし
ょ、見せてよ」と車に乗った家具た
ちを見たことから、話は展開し、晴
屋の看板を作ってもらったり、晴屋
で働いてる市村さんがダイニング・
テーブルを注文したりして、会う機
会が突然に多くなった。
少食だと言いながら、残り野菜で
作るボリュームたっぷりの晴屋の
まかないも「美味しい」と、楽しむよ
うになった。
「シティロード」は、「コンサートガイ
ド」というフリーペーパーを前身と
した情報誌だ。
東京の情報全般を扱う月間の雑誌
の編集に、八百屋を始める前の数
年たずさわっていた。
及川正通氏のイラストを使った表
紙も印象深い、ポップさを前面に
うちだした「ピア」がライバルである
というよりはメジャーで、こちらはマ
イナーで、ややマニアック、少しア
ンダーグラウンドな雰囲気を漂わ
せ、それが一部には支持を受けて
いた。
西新宿の、建築科の学生が見学
に来るほどの古い古いビルの3階
の狭い編集室に、時折、スキンヘ
ッドで眉毛もなく、黒装束の男たち
が訪れる。
そういう人たちは、もちろんとても知
的に洗練されていて、礼儀も正し
いのだけれど、反社会性だけは譲
れない。
見るからに妖しい人たちもいるし、
妖しい臭いを漂わせている人も出
入りする。
映画、音楽、演劇などにそれぞれ
担当者がいるけれど、私はイベント
やライブハウスといったメジャーが
絡まない、マイナーなものを拾い
集めるのが仕事だった。
集まってくる情報を整理し、時折興
味の惹かれるものがあると取材し、
文章で取り上げる。
SMショーなど飛んでもないものま
でやってきて、新しいもの、知らな
いものに出会う面白さがあった。
有機野菜流通の草分けである長
本兄弟商会などを中心に、西荻窪
に起こりつつあったカウンターカル
チャーの新しい波に興味を感じ、
当時の「西荻フリースクール」現在
の「ホビット村学校」も積極的に取り
上げ、私自身も参加した。
後年屋久島に行った詩人で、共同
体運動のカリスマであった山尾三
省と、並んで野菜の袋詰めをした
のも懐かしく、つい昨日のことのよ
うに感じる。
雑多なことの中にひそかに結晶す
る真実を見つけたようだった。
東京は、エネルギッシュで、圧倒的
に膨大だけれど、情報の出所は実
はそう多くはない。
続けていると、一定のパターンが
感じられるようになってくる。
メジャーな情報に絡んでやってくる
「業界」の雰囲気も鼻につく。
結局は自分が作る立場にならない
と、何も変わらないのだろうと思った。
長本兄弟商会、通称ナモ商会も
経営は厳しい状況が続き、仕入れ
部門を独立させて経済を立て直す
ことになり、「ジャパン・アグリカルチ
ャ・コミュニティ」通称JACジャックが
動き始める。
いずれは百姓になろうと思ってい
た。
農業の現場に触れ、入植の機会も
見つかるかもしれないと、開始して
そう時間がたっていないジャックへ
の参加を決めるのに迷いはなかっ
た。
私を引き留める人はいない。
みな、その場にそぐわないと気づ
いていたに違いない。
マイナーなシティロードの中でも、
周囲に染まらない偏屈な存在であ
ったのだ。

晴屋の青い扉 その90 トラックの引き売りと「モンテレッジォ  小さな村の旅する本屋の物語」

晴屋の青い扉 その90
トラックの引き売りと「モンテレッジォ 
小さな村の旅する本屋の物語」

免停が明け、一か月ぶりにトラック
の引き売りが再開した。
すべてのエネルギーを剥ぎとって
身も心も干乾びさせるような炎天下
の中、たくさんのお客さんたちが
きてくれた。
毎週の引き売りはもう38年間続け
ている。
そのうちの4週を連続で休むのは
はじめてのことだった。
もう忘れられてしまったかなと思っ
たけれど、私もふくめて高齢者が
多くいるので、新しいことには馴染
めなくても昔からのことは忘れずに
続けることができる。
品物や人間への互いの信頼が途
切れることがないというのは、とても
有難いことだと感謝した。
引き売りを休んでいる間は少し時
間の余裕があったので、店の改装
にさく時間ができた。
この時間があれば、この棚とあの棚
が直せると思いつくと、もう止まらな
い。
人参が目の前にぶら下がった馬に
なり、疲れも忘れて仕事は進んだ。
周囲になじんだ、あまりに自然な
仕上がりなので、ほとんどの人は
気が付かないけれど、これはある
意味とても上手くいった証なのだと
内心、充実感がある。
そしてもうひとつ出来たのが本を読
むことだった。
日頃、忙しさに流されて本を読む
ことはほとんどない。
どうしても必要に迫られて年に一、
二冊が精いっぱいだ。
それが思いがけない時間の余裕
があって何冊かの本を楽しむこと
ができた。
その中で一番印象に残ったのは、
イタリア在住のジャーナリストで、
エッセイストでもある内田洋子さん
の書いた「モンテレッジォ小さな村
の旅する本屋の物語」だ。
内田さんがお気に入りで、必ずよ
る古書店がヴェネチアにある。
センスよく、山と積まれた本たちは
それぞれの居場所がある。
店主に何かをたずねると、必要な
もの、新しい世界を拓いてくれるも
のをその中から的確にとり出して
くる。
さり気なくすすめてくれるその知識
とセンスに感嘆していたのだけれ
ど、店主たちがモンテレッジォとい
う過疎の山村の出身であることが
分かることから話ははじまる。
周囲が栗林に囲まれた村で、川に
ある石以外に売るものがない。
石をかついでの行商が、同じ重さ
の本を持ち歩くようになっていく。
忘れられ目にふれることのない
古本、日の当たらない新刊書たち
に光を与えて、人の手に手渡す。
それは文化に飢えた人にうるおい
を与えるだけでなく、新しい運動も
育てていった。
列強によって分割され、属国化し
ていたイタリアの統一運動に力を
与え、第2次世界大戦中もファシス
トへのレジスタンス運動を支える禁
書を届けた。
暮らしのためではあっても、命や
生活をかけての地をはうようにしぶ
とく、血の通った仕事だった。
トラックの引き売りをいまだに続ける
晴屋だけれど、文化やレベルの違
いはあっても、暮らしに根差した反
骨という共通のものを感じて心強い。
一人や二人でなく、村人ほぼ全員
が本にかかわり、独特な感覚を育
んでいった。
イタリア全土を超えて活動は広がり、
出版社もまきこむものとなった。
本の新企画が適切かどうか問い、
価格もまかせて村に託す。
そしてモンテレッジォを中心として
「露天商賞」というイタリアで支持さ
れている本にかんする賞も始まる。
ふだんは過疎といってもいい静か
な村が、夏の授賞式には出版社
などもふくめ多くの人が集まり、活
気づく。
そしてその時期は、村人たちの帰
省の時とも重なる。
特産の栗を使ったパスタなど素朴
な美味と人情が待っている。
本を扱う仕事を続けている者も、そ
うでない者にとっても、村に帰るこ
とは大きな悦びである。
モンテレッジォは、心の故郷であり、
生きる支えであり、何より誇りなのだ。
長い歴史と暮らしに根付く文化、
生きる重さと本のずしっとした手ご
たえ。
それらが失われつつある現代だか
らこそ、持つ意味はより大きく深い。
晴屋三十数年の歴史など足元に
も及ばないけれど、歩いている方
向に間違いはなかったのだと、改
めて感じる貴重な時間だった。


「モンテレッジォ 小さな村の旅する
本屋の物語」は、方丈社刊、本体
1800円 2018年4月初刊です。
素敵なカラー写真多数、カバーも
心にしみます。

暑さへの対処

暑さへの対処
厳しい気候が続いています。
気温が高いだけでなく、湿度もあるた
め、雑菌が繁殖しやすく、免疫機構
に負担がかかっています。
そのため身体は良質のミネラルや
酵素を求めています。
汗によって体内のミネラルが失われ
るため、バランスの良いミネラルがど
うしても必要になります。
ミネラルの欠乏で免疫力は制限され、
無気力になったりもします。
また酵素は免疫が働くためには絶対
に不可欠の成分です。
体内でも作ることができますが、それ
にはエネルギーを必要とするので、
食物としてとる方が効率がいいので
す。
酵素はたんぱく質の一種ですが、そ
の種類によって様々な働きをします。
ただ加熱すると壊れてしまうため、
生のまま食べるのが有効です。
話題の甘酒などの発酵食品は酵素
の宝庫です。
きゅうりに味噌をつけて食べるなどと
いうのは全く理にかなった夏の食事
です。
果物にも酵素は豊富に含まれていま
す。
チーズやヨーグルトも美味しく感じ、
実際に有効です。
「醍醐のしずく」というお酒も酵素が
豊富でとても美味しく感じます。
酒かすももちろん役にたちます。
水分もたっぷりとり、汗もしっかりかい
ても、それでも腎臓にかかる負担は
大きく、尿が茶色だったりします。
免疫が働いて老廃物を体外に排出
しているのです。
腎臓がくたびれると無気力で、身体が
動かなくなります。
尿と汗は同じ成分なので、できるだけ
汗として排出すれば腎臓の負担は
軽くなります。
腎臓がくたびれたまま秋になると、今
度は夏の疲れが肝臓にいき、腎肝同
時に疲れて身動きがとれなくなります。
できるだけ汗をかいたほうがいいのは
そのためです。
この暑さのため、エアコンは不可欠と
思いますが、温度は汗をうっすらかく
程度で29~30℃をおすすめします。
またこの時期の首の冷えには特に
注意が必要です。
汗をかいたまま冷たい風にあたると
即座に冷えてしまいます。
再度すぐに汗をかくと回復しますが、
内攻して長期化すると身体に大きな
負担をかけます。
内臓に負担がかかり、働きが弱まって
食欲不振や栄養の不足となり、体力
の衰えと免疫の低下で余計に身体が
弱ります。
冷たい飲み物に頼っていても同じよ
うに内臓が弱ります。
冷たいものを摂っても、その後に熱い
お茶や味噌汁をとることで感覚はリセ
ットし、冷えを回避できます。
また首にタオルをまいておくと、適度
に汗をかきながら、冷えないように
吸い取ってくれるので、冷えの予防や
体力の維持に有効です。
始めはベタベタとしている汗ですが、
身体の老廃物をだしきってくると、さ
らっとして、まとわりつかないものに
変ってきます。
本当に身体に有効な汗はそうしたも
のですが、なかなかそこまで出し切る
のには時間がかかります。
冷えをそのまま放置すると、内蔵だ
けでなく、循環器系にも問題が生じ
ます。
血行が悪くなるので、体力が落ちま
すが、首の冷えは特に頭の血行と
関係があります。
冷えることで首が硬くなり、血行が
悪くなります。
人間は血の半分以上を頭で使って
いるそうです。
左側から上り、右から下がってきます。
左の首が硬いと血の不足で頭が働
かず、右が硬くなっていると血がた
まって頭の中が勝手に無余分なこと
を考えてまとまりません。
何れの状態も脳梗塞の原因となり
ます。
首は決して冷やしてはいけない大
事な場所なのです。
暑さを感じなくするために首に冷た
いものをまいたりするのは、その時は
心地よくても病気を作るもとです。
絶対に避けていただきたいことです。
唯一冷やすのが有効なのが、熱中症
の時に、頭のてっぺんを冷やすこと
で、タオルに氷を包んでのせると、症
状の緩和に役立ちます。
暑さへの対処として20分から40分
ほどの昼寝はとても有効です。
本当は暑い時は働いてはいけない
のですが、残念ながらそうも言って
いられません。
時間の許す方はご利用下さい。
また湿気が多いために呼吸器もくた
びれやすくなっています。
同じだけ肺が動いても、湿気がある
と酸素の吸収が少ないのです。
そのため余分に動かざるをえません。
またこういう時は、睡眠しても酸欠
状態のため、疲れがなかなか抜け
ません。
気温が25℃以上だと熟睡できない
ようですが、それとあいまって、余計
に疲れが蓄積します。
夏は老人にとって本当に疲れる時
です。
子どもはメキメキ成長し、老人はメッ
キリ衰える明暗を分けるときです。
そういう意味でこの時期をどう過ごす
かで、この一年の過ごし方が左右
されるとても大事なときです。
暑さをやりすごしながらも、先の楽し
みを維持できるような過ごし方が、人
の嗜みとして試されます。

アバドと静寂の音  番外その3「荒ぶる魂とえにし」 ヴェルディ「レクイエム」

アバドと静寂の音 
番外その3「荒ぶる魂とえにし」
ヴェルディ「レクイエム」
  ベルリン・フィルハーモニー 2001年

ヴェルディのレクイエム(鎮魂歌)は、モ
ーツァルト、フォーレと並んで、3大レク
イエムと言われてきました。
神を誰よりも愛していたヴェルディです
が、そのためにかえって教会に対して
は批判的な立場をとり、ほとんど足を踏
み入れませんでした。
そんなヴェルディが書いたレクイエム
は、劇的で、美しく叙情的でありながら、
慟哭のような激しさもみせます。
この曲は最初、尊敬するイタリアの作
曲家の先輩ロッシーニの死にあたって
書きはじめられました。
他の作曲家を巻き込んでの記念碑的
な共作にする予定でしたが、他の作品
が間に合わず断念されます。
数年後、イタリアの魂と言われる文豪、
マンゾーニの死によって再度作曲が
すすめられ、今度は一人で完成させ
ました。
ヴェルディは高名になっても、マンゾー
ニに長らく会いにいくこともできないく
らい尊敬していました。
不器用で、朴訥で、誠実なのです。
ヴェルディの音楽の主題はいつも、愛
と死です。
ゴツゴツと無骨に周囲と突き当たり、最
後には悲劇的な死にいたります。
神を敬愛し、人一倍愛国心が強く、い
つも熱い血がたぎっています。
そんなヴェルディが持てるものすべて
を注ぎ込んだこの曲は、一部の心ない
批判を押しのけて、多くの人の魂に火
をつけ、支持されました。
アバドも、ヴェルディゆかりのミラノスカ
ラ座の音楽監督をしていた時以来、何
度も演奏をしてきました。
それも相当に用意周到に準備され、
オーケストラの力量、ソリストの歌手の
選定、コーラスの状態などがベストの
時をみはからって、節目の時期に定
期的に録音もしています。
スカラ座在籍時後期のまだ40代の若
いアバドの演奏がこの曲のスタンダー
ドとして世に受け入れられています。
みずみずしさと情熱にあふれ、きらめく
結晶のような美しさをみせています。
情熱を内に秘めることを好み、自身の
感性のきらめきで音楽を充たすことを
潔しとしなかったアバドですが、この曲
には積極的にエネルギーを注ぎます。
この演奏会は2001年の1月25日と27日
におこなわれました。
2001年は没後100年のヴェルディ・イ
ヤーですが、この日はちょうど命日に
あたります。
21世紀の幕開けとなる時期のコンサー
トですが、アバドはわずか数週間前に
胃癌の手術を終えたばかりです。
この演奏のためにすべてのスケジュー
ルを繰り合わせての復帰です。
合唱は、ミラノではスカラ座合唱団の情
熱的なものでしたが、今度は世界最高
と言われるスウェーデン放送合唱団な
どが務め、天の声が空から降りてくる
ような、力強く、透明な美しさです。
鼓舞するアバドに答え、ベルリンフィル
もふだんのクールな表情を捨て、熱の
こもった切実さで、情動を音にします。
声楽の4人のソリストも、激しく厳しい表
情と深い叙情を湛ています。
この演奏はDVDも出ていますが、ソプ
ラノのゲオルギューのアバドだけを見
つめて歌う真摯な視線に打たれます。
整った美しさ、アンサンブルの精度で
はスタジオ録音のスカラ座の方が上で
しょう。
しかし今のアバドははじめからそんなこ
とに興味はありません。
テンポは急変し、音と音がぶつかりま
す。
これまで室内楽的な静けさを追及して
いたアバドが、死の淵から帰って豹変
します。
希望も絶望も通り越し、内なる辺境と
向き合い、魂の叫びに身をゆだねます。
自ら選んで、仕えようと思った価値も
光を失いました。
生きるに値する価値などこの世にはあ
りません。
ただ生きること、音楽することだけに価
値があるのです。
全身から湧き出る音だけが、すべてで
す。
マンゾーニ、ヴェルディ、スカラ座、ア
バド、ベルリンフィル、スウェーデン放
送合唱団、声楽のソリストたち、遠くは
ロッシーニやモーツァルト、音楽の神
ミューズ、そして聴衆たち。
いくつものえにしが重なりあい、この時
があります。
音楽とは、生きることとはそういうもので
すが、これほどそのことを強く、美しく感
じさせる演奏はありません。
時間と空間を超えて続くえにしの余波
に、私たちも遠く連なります。
荒ぶる魂も、安息の時を迎えます。

小さな宇宙の作り方 その13 責務とつとめ

小さな宇宙の作り方 その13
責務とつとめ

最近のマスコミの話題の中心は、
日大アメフト部の暴行、安部首相
のモリカケ、MeTooに代表される
セクハラなど、社会の中での権威
と責任のあり方を問うものが目立
ちます。
巨大化し、複雑に利害が入り組ん
だこの社会では、誰がリーダーで
も大きな方針や政策の違いはあり
えません。
けれどその中でもごくわずか、もし
かしたらほんの1%に満たないかも
しれませんがトップの裁量の範囲
はあるでしょう。
こうした利権は今の世の中に始ま
ったことではありませんが、巨大な
社会のピラミッドの頂点に立つご
く一部の人たちにより大きな権力
や利権が集中します。
全体からすればごく小さな割合で
も、大きな組織では個人では考え
られないような大きな金額が動き
ます。
上流、中流、下層というかつての
緩やかな階層ではなく、数%のごく
少数とそれ以外という圧倒的な格
差社会です。
一方、情報システムも巨大化して
速度をより速め、インターネットで
瞬く間に情報が大量に拡散しま
す。
大きなシステムを動かす人たちに
とっても、このマスコミやインターネ
ットの動きを無視することはできず、
むしろ非常に気を使わざるをえま
せん。
そうした中で責任の取り方がますま
す世の中の注目を集めます。
責任を果たすことが生きている証
しであるように。
私たちは社会に対して責任がある
と教えられ、それを果たすのが社
会人の責務だと思ってます。
法律とマニュアルを守り、戦禍にさ
らされる子供たちの食べ物の心配
をし、マイノリティの権利を保障し、
後進国の教育を推し進めようとし、
環境への配慮も求められます。
それをしなければ世界に対する
責任を果たしていない、多くの人
が責任を果たさないために、世界
はいつまでも良くならないのだと
思わされてます。
それに対して、イリイチやフーコー
等の先進的な社会学者たちは、
「責任などというものは無い」と言い
切ります。
人間はいつも進歩するものだとい
う前提に立った、社会が作った幻
想でしかなく、世界を支配する巨
大なシステムを維持し、補完する
ためのものだというのです。
違う会社、別の国では、要求され
る責任は変わり、その場だけのもの
で、永続的ではありません。
けれどそうした社会的な責任でな
く、ひとつの命であるからには、命
として全うせざるをえない責任も
あります。
この世に生まれて命を輝かせなけ
れば、生きている意味はありませ
ん。
また命同志としてつながっている
人たちへの責任も当然あります。
こうした責任は「つとめ」と呼ぶ方
が似つかわしく感じます。
本能的であり、自然発生的であり、
命が続く限り不変です。
それに対して社会が要求する責任
は立場が変わればまったく別のも
のとなってしまう「責務」です。
責任として同じように見え、区別し
にくく、現実にはつながっているこ
との多いこのふたつを分けて見
ないと、私たちは何のために生き
ているかを見失ってしまいます。
報道されるニュースへの興味と違
和感も、責務がひとり歩きすること
への共感と反感の葛藤です。
人とつながることに快感を感じる人
たちが、政治や権力に興味を感じ
ることは当然でしょう。
けれど、命の自然なはたらきから
離れると、とてもグロテスクなもの
に変質してしまいます。
それは彼らだけでなく、私たちの
身のまわりにも同じように起こりえ
ます。
10人にも満たない晴屋の責任でさ
え、私には重くのしかかります。
これが100人、1000人、それ以上
の見知らぬ人たちにまで責任の
範囲が及ぶなど考えることもでき
ません。
クレームを言い権利を主張するこ
とと、裏返しにある責任を負うこと。
商品の選択の自由と便利さと引き 
換えに、社会システムへのより強
い呪縛が要求されます。
この連鎖を断ち切って、小さな社
会を再構築するには、責務とつと
めをはっきりと区別する生活と文
化が求められます。

アバドと静寂の音  番外その2「宇宙につながる身体」 ワーグナー管弦楽曲集

 

アバドと静寂の音 
番外その2「宇宙につながる身体」
ワーグナー管弦楽曲集
  ベルリン・フィルハーモニー 2002年
ひそやかに音が鳴りはじめると、空気
が震え、何かが目覚めます。
何気なく今までここにあった空間が凍
りつき、その中身をあらわにしながら
遥か彼方からの力にひかれ、ゆっくり
と背後に吸い寄せられます。
その動きに後頭部や背中があやつり
人形のように引きこまれていきます。
遠いブラックホールに吸いこまれるよう
に、自由は奪われ、麻痺した身体と心
は、広大な空間に鳴りひびく音の波に
ゆだねるしかありません。
身じろぎもできず、虚無であるはずの
空間と一体になって星々の中をあてど
もなく進みます。
ワーグナーの楽劇は神々の世界の物
語ですが、人間以上に人間臭い葛藤
とドラマがあります。
宿命とエゴの狭間で、血と、汗と、涙が
流されます。
けれどアバドの演奏からは、肉体的な
生臭さが感じられません。
宇宙に永劫に続く物語のひとこまとし
て、抽出され結晶した精神のエッセン
スです。
ベルリン・フィルの前任者だったカラヤ
ン、その前任でアバドの憧れの人であ
ったフルトヴェングラーのワーグナーも
素晴らしいものでした。
カラヤンはこの世の物とは思えない、
美しく艶やかな世界を繰り広げます。
滑らかに磨かれ、ライトアップされた
地底の王宮です。
限りなく妖しい世界です。
フルトヴェングラーはドイツの暗い森に
深く入り込み、ファンタジーの世界に
迷い込んだようです。
深い思索が想像の羽根をえて、常に
流転しながら高みを目指します。
この二人の後を継いだアバドは、偉大
な前任者たちの影響を避けることはで
きません。
周囲からも比べられたでしょうし、アバド
も意識したことでしょう。
この演奏は任期の後期のものです。
カラヤンの磨き抜かれた妖艶と、フルト
ヴェングラーの変幻自在のファンタジ
ーは、アバド流に捉えなおされ静謐な
光による精神のドラマになっています。
大変な読書家であったアバドの磨き
ぬかれた知性と、鍛えて研ぎ澄まされ
た感性は世界の扉を拓くための鍵で
す。
宇宙の彼方の星がどうなっていようと、
私たちのくらしは変わりません。
超新星が爆発し周囲が破壊と創造の
渦に巻き込まれていても、私たちには
あまたの星のひとつが、ほんの少し光
をましたにすぎません。
たとえ宇宙の片隅での、宇宙の永い
時間の中ではほんの一瞬にしかすぎ
なくても、私たちはそんなことに関係な
く生きていけます。
しかしそれでも私たちは宇宙の子であ
り、互いの存在なしにこの世はありま
せん。
ミクロの宇宙である私たちの細胞ひと
つひとつ、それが繋がってできた銀河
のような生命、数限りない生命を宿す
地球、太陽系、天の川銀河、そしてマ
クロのさらに広大な宇宙。
それらをつらぬく一筋の光がこの演奏
です。
宇宙は神秘でありながら身近であり、
静けさの中にもダイナミックな宇宙の
動きが息づいています。
アバドは持てる力をすべて開放してこ
の高みにいたりました。
ワーグナー音楽は、王族に愛され、ナ
チスに利用されました。
権威と結びやすいナルシズムと男の
妄想をはらんでいます。
けれどアバドはすぐれた知性で、権威
的な要素をそぎ落とし、永遠を求める
美への要求だけを抽出しました。
アバドにしかできない世界です。
「タンホイザー序曲」にはじまり、「パル
ジファル」からの組曲、「トリスタンとイゾ
ルデ」より前奏曲と愛の死が続きます。
静謐な叙情が胸に迫ります。
国内盤ではこの後に「ヴァルキューレ
の騎行」という大変に威勢のよい音楽
がボーナストラックとして入っています。
残念ながらこれは蛇足で、興ざめとな
ってしまいます。
輸入盤を手に入れるか、愛の死が
終わったらすぐに再生をとめることを
おすすめします。

呼吸器と眼の疲れへの対処

呼吸器と眼の疲れへの対処
乾燥して埃や花粉が多く、呼吸器に
負担がかかっています。
器官には繊毛がたくさんあって、埃
や雑菌が肺に入らないよう守ってい
ます。
湿気があれば繊毛はうまく働いて、
外に排出しますが、乾くと出せない
ので咳をして出すしかなくなります。
どうしても呼吸器に負担がかかり、
眼や全身の疲れに直結します。
休むことなく働き続ける眼に、蛍光
灯やLED照明や野外の紫外線が
さらに追い討ちをかけて疲れをま
します。
眼が疲れると迷走神経も緊張状態
となります。
迷走神経は後頭部から首を通って
肺などの呼吸器とつながっていま
す。
わざわざな長い経路を迷走する
ため、迷走神経と名づけれらてい
ます。
本来は顔の筋肉を司る神経でした
が、海から陸にあがる進化の過程
で肺などの筋肉が必要になり、下
まで持ってきたために迷走してい
ます。
そのため少し無理があって疲れや
緊張がたまりやすいのです。
眼の疲れが呼吸器の疲れを呼び
起こします。
人間は食べなくても一週間以上
生きられます、
水は3日間くらいは飲まなくてもも
ちます。
けれど呼吸は3分ほどできなけれ
ば死にいたります。
呼吸器が疲れるとすぐに体力が
落ちてしまい、動けなくなります。
また春や秋の季節の変化の時期
には呼吸器にも余計に負担がか
かります。
春の欝や五月病、秋のメランコリー
な気分はそうした表れです。
気持も暗くなり内に閉じこもります。
またその反動として妙なハイテン
ションになったりもします。
躁と欝が交互にやってきて自分を
見失います。
呼吸器が疲れると酸素が不足する
ために寝ても疲れが抜けません。
また昼と夜が逆転して、昼はぐっ
たりしているのに、夜になると元気
になって眠れなくなり、ますます疲
れが蓄積します。
そしてあり得ないものにしか興味
がもてなくなり、妄想やゲームの
世界にひたります。
こうして私たちは個の世界に閉じこ
もり、生命の力を衰えさせています。
また、眼と肝臓の働きにも密接な
関係があり、肝臓にも負担をかけ
ます。
肝臓は身体の中の毒や老廃物を
排出する働きがあります。
肝臓が疲れると毒がたまって身体
の中が汚れてしまいます。
心と身体がいっしょになって動い
ている私たちは、感情の中の毒素
も肝臓で処理しています。
それが滞ると、イライラして怒りっぽ
くなり、簡単に切れやすくなります。
眼の疲れは現代の病的な生活感
と極めて密接な関係があります。
みんなそうなのだから、自分もいっ
しょでもいいという考え方もありま
すが、それではあまりに世の流れ
に身をまかせ、自分を失います。
眼の疲れに対処するには、自分
でケアするしかありません。
目薬や冷やすことはとりあえずの
痛みや疲労感を感じなくしますが、
それはごまかしで、疲労は回復さ
せてくれません。
まずはできるだけ画面から遠ざか
り、見る機会を減らします。
また針仕事や読書、細かな手仕事
も明るい場所で時間を限ってやり
ます。
疲れは冷やすのでなく、温めて働
きを高めて、休め、ケアします。
眼の温湿布はだれにでもできて
効果は確実にえられます。
こめかみには眼の神経が通って
いて、眼の疲れを表現しています。
偏頭痛も多くは眼の疲れです。
眼だけでなく、こめかみもいっしょ
に温めます。
洗面器等に熱い湯を用意し、タオ
ルを何度か温めなおしながら、20
分ほど楽な姿勢で眼を温めます。
この時だれかに補助してもらって、
タオルをかえてもらうと効果はより
増します。
一日の終わりにこれをすることで、
熟睡でき、日々の疲れに対処で
きます。
もう少しかんたんな方法としては、
耳たぶの外側の固くなっている処
をぎゅっとつかんで、外に強く引っ
張るという方法もあります。
意外なほど痛いものですが、効果
はしっかりあります。

分けありの食べ物たち その8 小麦のちょっと微妙な話 その2

分けありの食べ物たち その8
小麦のちょっと微妙な話 その2

以前にも小麦のことを書きました。
何人かの方は、小麦を食べるのを減
らし、それなりに体調も良いようです。
免疫の変化なので、人によって違う
のですが、疲れが抜けやすくなり、頭
のボーっとした感じがなくなるのはみ
なさん共通の感覚のようです。
ただずっと気になっていたことがあり
ました。
1960年代の小麦の品種改良以前の
小麦ではいったいどうなのだろうとい
うことです。
今回いろいろと調べてみて、まず興
味深かったのが、アメリカで行われた
品種改良が実は日本の品種によるも
のだということでした。
農林10号という、背が低く倒れにくい
小麦が日本で作られましたが、湿気
に弱かったため国内では定着しませ
んでした。
それがアメリカに渡って、あちらの品
種とかけあわせ、背が低く倒れにくく、
化学肥料をまいて量産が可能な小
麦ができたということでした。
それは「緑の革命」と称賛され、60年
代のアジアの食糧危機が一気に解
消されました。
しかし良いことばかりではなく、小麦
アレルギーやグルテン不耐症などが
増えていきました。
グルテンさえ摂らなければ、防げる
のかというどうもそう単純なことでは
ないようです。
農薬や化学肥料、品種やたんぱく質
以外の主成分であるでんぷんの質
などともかかわりがあるようです。
まだまだ科学的にも解明されていま
せん。
グルテンは、グリアジンとグルテニン
というふたつのたんぱく質が結合して
できます。
長く伸びるグリアジンと弾力のあるグ
ルテニンがいっしょになって、パンや
生麩のような弾力と粘りがうまれます。
その性質が腸内で悪さをして、腸壁
を傷つけ、免疫力が落ちるのが、グ
ルテン不耐症です。
このふたつのたんぱく質が両方とも
あるのは小麦粉だけなので、なるべ
く小麦を食べずグルテンを摂取しな
ければ良くなるというわけです。
しかし問題が起きにくいと言われて
いる古代小麦にも量は少なくても含
まれています。
そして今回の主役の農林61号です。
農林61号は1930年代に作られた
品種です。
当然、危険で強い薬剤や放射能を
使った無理な品種改良はされていま
せん。
以来、麺に最適な品種として重用さ
れてきました。
この小麦粉だと問題が起きない人が
多いというのです。
けれど中力粉である農林61号は、む
しろグルテンの量は薄力粉に比べ
少し多いのです。
グルテンの量だけでは決まらないの
です。
ネットの情報では分からず、小麦の
プロである人たちにも聞いてみまし
た。
けれど明確な答えはありません。
むしろ、でんぷんの性質によるので
はないかという推測でした。
農林61号で作ったうどんは、のど越し
はあまりよくありません。
少しぼそつく感じです。
ツルっとしたのど越しが好きな人た
ちにはあまり支持されません。
私のようなそば好きの人たちは間違
いなく好きなタイプです。
その少しボソッとした感じがたぶん
腸に悪さをしない要因でしょう。
農林61号はミネラル分が多いため、
色が黒っぽくなっています。
それがなんらかの影響を及ぼして、
グルテンの粘りを少なくしているのだ
ろうと推測しました。
そして晴屋には農林61号を使った
うどんがあります。
「黒うどん」という栃木の小麦を使っ
たものです。
少し高いため、たくさんは売れません
が、独特の風味と美味しさがあって
私を含めてファンがいます。
小麦粉を食べないようにしていたの
で、しばらく遠ざかっていましたが、
実験として食べてみることにしました。
他の小麦はいっさい食べないように
し、一日一回は必ず食べてみました。
小麦を食べると下痢をする傾向にあ
る私ですが、その症状まったく出ず、
むしろ少し便秘ぎみです。
春の体の変動が多い時期で、雨が
降らず乾燥気味なので、水分の不足
のための便秘の可能性の方が大き
いような気もします。
けれど大きな問題はないようで、これ
ならみなさんにおすすめできると感じ
ました。
まだ粉として、てんぷらやお菓子な
どに使っていないのでどれだけ生活
に取り入れられるかわかりませんが、
ひとつの可能性が見えました。
黑うどんは250gで370円で、太めと
細めの2種類があります。

アバドと静寂の音  番外「内と外に広がる世界」 モーツァルトピアノ協奏曲25&20番

アバドと静寂の音 
番外「内と外に広がる世界」
モーツァルトピアノ協奏曲25&20番
  モーツァルト管弦楽団 2013年

見渡す限り続く森に、一陣の風がおこ
り、水面を吹き抜けて波紋をひろげ、
木々の葉が波打ち光がきらめきます。
不思議な森の生き物も木陰からあらわ
れ、無邪気にあそびます。
この世の命も、そうでないものたちも、
ただそこにあるだけなのに、何故美し
いのでしょうか。
胸が広がり、翼が生えて風と一体にな
り、私たちも飛び立ちます。
アルゲリッチがピアノを弾き、アバドが
指揮したモーツァルトピアノ協奏曲第
25番の演奏を聴いていると、こんな情
景が浮かんできます。
この曲は壮麗な宮殿を思わせるような
明快で力強さを感じる演奏が多いの
ですが、この二人は力を抜ききって、
柔らかな世界を浮かびあがらせます。
透明で、濁りが無く、音楽を通して、こ
の世や自然のすべてを見通せるようで
す。
ひとつひとつのフレーズがていねいに、
自然に息づいています。
完璧な技術と音楽への理解、誰にも
負けない経験を持っているふたりです
が、自己を主張せず、生きる苦悩を見
せません。
人間は何かを他人に強く伝えようとす
ると、力が入り、自分が表にでます。
自分を主張することと、新しい美を作り
だし、誰かに伝えられるのとは同じこと
ではありません。
妥協せずに自分を追及しながら、多く
の人たちにとってもどういう意味がある
のかを探求し、共感をえて両立できた
ものが芸術作品となりえます。
個の壁を越え、国を越え、時間を越え
て伝わり、残ります。
そしてこの演奏は人間の感性を超えた
ところまで到達しています。
自然の営みそのものです。
素朴と洗練、情熱と知性、主張と謙虚
などの相いれないものたちが一体と
なってひとつの世界となっています。
2曲目に入っているのはピアノ協奏曲
第20番です。
明るい陽の光に照らされたハ長調の
25番は、広々とした外の世界を感じさ
せます。
ニ短調の20番はまったく反対に、暗い
光が明滅する内なる世界です。
夜の街を、街路や窓の明かりを頼りに
彷徨っているようです。
胸は熱く高鳴りますが、あてどもない
歩みに目的も、解決もありません。
ただ突き動かす何かを見つめるだけ
です。
第2楽章の「ロマンス」は、美しい思い
出です。
胸の奥に静かにひそめているかけが
えのないものたち。
ピアノは柔らかいタッチのなかに自在
に感覚のゆらぎをこめます。
オーケストラは余韻と陰影を与え、過ぎ
去った美しく楽しいものたちが現れて
は、また消えていきます。
水が高いところから、低いところへ流れ
ていくように自然なのに、ひたすら美し
いのです。
捉えようとすると、手から抜け落ちてし
まうものたちが静かに心の底に沈みこ
む時、突然に早急にピアノが打ち鳴ら
され、第3楽章が始まります。
音楽は情熱的に疾走します。
時折、懐かしい思い出もよぎりますが、
それさえも踏み石として、音楽は前へ
前へと進みます。
それだけが生きる意味であるように。
けれど熱狂や陶酔にはほど遠く、幾多
の時をすごした大人の独白です。
痛みだけでなく、懐かしさをともなった
軽やかな愉悦とともに開放にいたりま
す。

この二人の共演は、46年間続きました。
20代で知り合い、共演も多く、チャイコ
フスキー、ショパン、プロコフィエフなど
多くの名盤、名演奏を残してきました。
情熱と探求心を共有し、互いの個性
を知り尽くしています。
時折みせる強い表現に、ある時はそっ
と支えて深みを与え、別の時にはより
強い表情で高みへ跳躍します。
その瞬時の間合いの変化が絶妙で、
スリリングです。
私がモーツァルトに求めるものすべて
が、この2曲に結実しています。
世にある、あらゆる雑多なものたちを
濾しだして、大切なエッセンスだけを
垣間見せてくれる芸術の体験は、本当
に稀です。
世界にあるものすべてに新しく向き合
い、ここにあることの意味を知ります。
胸に暖かなものがあふれます。
アバドを巡っての私の長い道のりは、
この演奏を受け取るためにあったのか
もしれません。

晴屋の青い扉 その88 懸命な言葉

晴屋の青い扉 その88
懸命な言葉

3月は忙しい季節だ。
暖かさに誘われ、何かとそぞろ歩
きたくなり、新しいものを求めて人
が動きだす。
転勤や新入学で、実際に動かな
ければならない人も多くいる。
仕事も年度末で、車の通行も多く
ざわざわとした雰囲気がひたひた
と押し寄せる。
以前よりは商品が見やすくなった
晴屋だが、外へのアピールはま
だまだ不足している。
特に看板は「晴屋」の字しかなく、
いったい何を売っているのか、何
を訴えたいのかが伝わらない。
雰囲気や内容を、一言や絵で表
現できればいちばんいいのだが、
これがなかなか難しい。
ドイツに行ったとき、内容が充実
し、親しみを持てた自然食品チェ
ーン店に、「LPG BioMarktエ
ルぺーゲー・ビオマルクト」という
のがあった。
LPGは、美味しくて、安くて、安全
という言葉の頭文字、ビオマルクト
が、有機栽培の店という意味だ。
こうした短い言葉で内容を表現で
きる言語を羨ましく感じてしまう。
日本では「自然食品店」という言
葉が長い間定着していた。
しかし「有機」「無農薬」「無肥料
自然栽培」などのより明確な基準
を表現している言葉が氾濫する
中では、実態がよく分からない曖
昧な表現で、イメージだけが先行
し内容が伴わないものと混同され
る。
「無添加」や「無農薬」も安全さを
前面にだしたものだが、これも
行き過ぎると都会の消費者がお
金の力で良いものを買い集める
エゴを感じさせる。
晴屋では以前から「美味しい」に
価値を置いてきた。
美味しいは人によって基準が違
い、他の誰も押しのけるものでは
ない。
自分の体に必要だという正直な
感覚そのものだ。
あれが良いはずだとか、良いと
言われているという不純な理屈
ではない。
そして「安心」も、心が安らぐという
意味だ。
どんなものでも、嫌いな人と食べ
ればまずく感じるし、心をこめて
出されたものなら美味しく感じる。
そうした人や自然とのかかわりを
表現している。
ドイツ行って、ちょうど一年。
その間くすぶっていた思いもあっ
て、新しい看板の制作を決意し、
メンバーたちに提案した。

  やOYA 晴屋
    Oisii Yasui Ansin
        おいしい野菜
        安心な食物

というものだ。
ドイツ語のLPGを、ローマ字のOYA
に替えて、八百屋というなじみの
ある言葉にかけている。
分かりやすくて、ちょっと面白くて
うけると思ったのだけれど、残念な
がら大ブーイングの嵐で、あえな
く却下となってしまった。
みな、OYAが嫌なようだ。
良いと思ったのだけれど。
だったら何がいいのかと言うと、
「有機が分かりやすくていい」とい
う提案があった。
たしかに今日、最も定着した表現
だ。
昔は、有機八百屋とうたっていた
時もあった。
有機はとても意味合いの深い言
葉だ。
無機の反対で、一酸化炭素CO
と二酸化炭素CO2等以外の炭素
化合物というのが本来の意味だ。
結合力の強い炭素Cは簡単に化
合しないが、化合するとその状態
を保つ。
生物はその力を利用してエネル
ギーを蓄えたり、身体の組織を作
ったりする。
だから「有機」というのは、生命
活動の証であり、複雑なものが集
合して全体で調和して生きている
状態を表現している。
「有機的」という表現にそのニュア
ンスが生きている。
それが今は、一定期間農薬等を
使っていませんという安全性を証
明する表現となり、すっかり安っぽ
くなってしまった。
それに、とても抵抗がある。
それで妥協策としてTradという言
葉を思いついた。
Traditionalは伝統的という意味。
TradOrganicsは、今の有機でなく
昔からの本来の意味の有機だと
いう自己主張をこめた私の造語
だ。

HAREYA
Trad Organics
        おいしい野菜
        安心な食物

「晴屋」より、下の言葉を前面にだ
したかったので、晴屋はローマ字
にした。
これで一応、皆の了解がとれた。
制作はいつもは私がやるのだが、
今回は外注する。
ミーティング時から参加してもらっ
た小泉さんは、40年以上の付き
あいがある。
私がシティロードという情報誌で
働いていた時のデザイナー兼編
集長だった人で、今は趣味で木
工をし、バザーなどで売っている。
木工の技術は私と大差ないが、
センスには当然光るものがある。
一週間ほどでできるというので、
その間に看板を変更するための
作業をはじめる。
吊り下げ式の両面看板は、今回
の計画の大きさでは、下にあるや
たらと丈夫に作った黒板用の看
板立てとぶつかってしまう。
仕事の合間をみて、15cm切り詰
め、半割の柱用の角材を切って
跡が分からないように付ける。
雨除けのアクリルも切って、はめ
なおす。
ペンキを塗り、照明のスポットライ
ト用の配線もやりなおして、最後は
ペンキで仕上げ。
日常の仕事をこなしながら、この
作業を一日ですませると、すっか
りエネルギーを使い切る。
腕は痛み、腰は強張り、首も固く
なって疲れを主張する。
そして数日後、看板をもって小泉
さんがやってきた。
看板は紺の地に、周囲が木目を
生かしたこげ茶で、人参が立体
的に色鮮やかに浮き出ている。
できはとてもよく、知らない人がふ
らりと入ってくる。
冷やかしが多くて少し迷惑だなと
思うくらいの人を引き付ける効果
がある。
私たちの思いが、実際にどれだけ
伝わっているのかは分からないが、
エネルギーを注いで作ったという
のは感じられるのだろう。
子育ても同じだけれど、何かが伝
わるというのは、内容の問題より、
どれだけエネルギーを注いだか
による。
春の、忙しいだけでなく、何かと
体調や精神が不安定な時期に、
なんとか乗り切って前に少し進め
たと実感できる充実した時だった。
看板は昔から常連さんたちには
何の効果もない。
気が付かない人も多くいるくらい
自然な仕上がりだ。
機会があったら、少し足を止めて、
こんなことにエネルギーを注ぐ老
いた男の馬鹿さ加減をお笑い下
さい。

アバドと静寂の音  その16「静寂への回帰」 2013年 ブルックナー交響曲第9番

アバドと静寂の音 
その16「静寂への回帰」 2013年
ブルックナー交響曲第9番
  ルツェルン祝祭管弦楽団

マーラーよりも30歳以上年上だったブ
ルックナーですが、同じウィーンで主
に活躍した作曲家として、互いに尊敬
していました。
ブルックナーの数少ない支持者として
楽譜の出版の費用を肩代わりしたの
がマーラーです。
ワグナーの信奉者であり、9曲の長大
な交響曲を書いたという共通点はあり
ましたが、その作風はまったく異なる
ものです。
20世紀の近代人として個の確立と葛
藤を描いたマーラーに対して、ブルッ
クナーはあくまで神に身を捧げる熱心
な19世紀のカトリック教徒です。
ですからブルックナーの交響曲はすべ
て神への信仰告白であり、普通の人で
あるブルックナーがいかに神に近づこ
うとしていたかの軌跡とみることができ
ます。
そのためブルックナーの演奏では、人
として自然の一員としての穏やかで素
朴な感性に支えられた柔らかくやさし
いものから、神の絶対的な偉大さを表
す荘厳なものまで、その間でいろいな
解釈と演奏がありえます。
マーラーやブルックナーが見直されて
いる近年では、個としての葛藤と絶対
的なものへの憧れを表現して、自意識
の棘を感じさせる演奏が多いように感
じます。
ですから私がブルックナーを聴くのは、
寒さに向かう秋に、迷走神経が緊張し
はじめ、感覚がピリピリとして張りつめ、
頭の中が妙なことに拘って暴走状態
になる時に、毒をもって毒を制すとい
う時に限られます。
けれどこのアバドのブルックナーには、
毒も、棘もまったくありません。
ふつうは一度聴くとぐったりと疲れてし
まうブルックナーなのですが、何度も
繰り返して聴けて、その都度新しい発
見があります。
足取りはゆっくりとはじめられます。
いつもの颯爽と若々しいアバドはもう
いません。
一音一音を愛しみながら、フレーズは
ていねいに静かに閉じられていきます。
胸に切々と迫る音はアバドの自己主張
でも、ブルックナーへの共感でも、神
への感謝でもありません。
ただここにいて、音楽する瞬間の悦び
です。
壮大な音響は光となりますが、人をさ
す鋭さも、色もありません。
雲間からさす光にも、夕映えの荘厳な
光にも、宇宙をあてどもなく進む光にも
色が無いのです。
モノクロの写真や、水墨画を見るようで
す。
アバドの棒に感応したオーケストラの
メンバーの集中力と緊張感の強さの
連続に、こちらの胸も震えます。
長い長い時間であるような、ほんの一
瞬であるような愛おしい時が続きます。
第2楽章のスケルツォはまるでマンモス
や精霊たちの舞踏です。
得体の知れないものが現れては消え、
命の不思議を語ります。
最終の第3楽章、長く尾を引く音は線
となり、綾となって上昇します。
人の世への哀惜も、栄光も挫折もその
動きを止められません。
ただ、今ここにあることへの感謝と祈り
が捧げられます。
ひたすら素朴であったブルックナーで
すが、アバドはその音に生きることへ
の賛歌を込めます。
ふたたび長い吐息と憂鬱がおとずれ、
死への不安や自分を失うことへの恐れ
がよぎります。
導く糸や光は失われ、それでもひたす
らゆっくりと歩を進めます。
そして突然、ほのかで美しい光が現れ
ます。
多くの演奏ではこの場面を感動的に
演出するために、全宇宙の星がいっ
せいに光るように、壮大で劇的に栄光
を称えようとします。
けれどアバドはひそやかに、慎ましく
光を与えます。
それがいっそう胸に迫ります。
そして再び巨大なものと対峙しますが、
それは自我という自分の影です。
最後にほのかな光が、静かに残ります。
そしてすべての葛藤を通り過ぎ、純化
され、浄化された沈黙がやってきます。
このCDのケースの裏側に、会場を立
ち去るアバドの後ろ姿の写真が残され
ています。
そこにはまったく生気が感じられませ
ん。
肉体的な力をほとんど失った人に、な
ぜこのような音楽を作れるのでしょうか。
真摯に探究を続けたアバドは、ほとん
ど自分のことを語りませんでした。
そして、永遠の静寂の中へ帰ってい
きました。
何故か、アバドがブラームスの交響曲
を再演してくれるものと信じて、待って
いました。
それは誰も聴いたことのない演奏であ
り、誰も至ったことのない場所であるは
ずでした。
その夢は実現することなく終わってし
まいました。
けれどその理想を描き、探求しつづけ
る姿勢の大切さを、アバドは伝えたか
ったのだろうとも思います。
アバドについて私が書けることも尽き
ました。
1年半に及ぶ長い時間、お付き合いい
ただきありがとうございました。
この文章によってアバドを知る旅の入
り口に立ち、何かを追及する悦びを深
めた方がいたら望外の幸せです。

分けありの食べ物たち その6 スパイスのちょっと微妙な話

分けありの食べ物たち その6
スパイスのちょっと微妙な話
先日来、扱っているクミンはとても評
判がよく、新しい香りと味の世界が
手軽に広がるハーブとしてすっかり
晴屋に定着しました。
アメリカでの有機の認証を取った
ものを送ってもらい、晴屋で袋詰め
しています。
有機のものでも、小分けするのに
は有機の認証が必要になり、数十
万円の費用が必要なため、有機と
は書けず、農薬不使用という形で
扱っています。
通常の有機の相場より半分くらい
の価格でお届けできることの方が、
有機の名称よりも重要です。
もう何度も追加で注文をだしてい
ますが、しばらく前からクミンの実、
クミンシードが出荷されなくなりま
した。
問い合わせしてみたところ、種は
発芽するために検疫にひっかかっ
てしまうためということでした。
そのうち、ついにはクミンの粉まで
出荷不能ということになり、もうクミン
は扱えないかと相当に焦りました。
当初、佐川急便ルートだったのを、
ヤマト運輸ルートに切り替えところ、
粉の方は出荷ができました。
佐川急便は実といっしょに粉も取り
扱い不可にしてしまったようです。
クミンが日本で繁殖したら在来植
物に悪い影響がでることもあるかも
しれません。
確かに必要なことだと思いながらも、
組織での決まりごとの難しさも感じ
ました。
そしてもうひとつ気が付いたのは、
日本に輸入されているハーブやス
パイスの大半が芽がでない状態に
なっているということでした。
晴屋に入ってきているクミンには、
「ノン・ラジエーション」と明記してあ
ります。
放射能不照射という意味です。
そう書いていないものの多くは、
放射線で殺菌、殺虫、発芽防止
をしています。
話には聞いていたことですが、何
かとてもリアルです。
ある意味とても便利で、手軽に食品
のトラブルを無くす方法なのです。
輸入されているハーブやスパイス
の多くが放射能照射済みだという
事実を実感します。
ハーブやスパイスは使う量がとても
少なく、食品には放射性物質が残
留しないために問題は無いと言わ
れています。
けれど私たちの命をあがなうものと
して、命を感謝してもらうという意味
では、もう発芽しない命としての力
を失ったものを食べるのに、抵抗を
感じます。
食べるというのは、異物を身体に取
り入れ栄養とする、命を保つために
必要な行為です。
ただ生きていくだけなら何でもい
いかもしれませんし、どんなに最低
限のものでも命を長らえるのには
他に選択の余地はないことも多くあ
るでしょう。
けれど私たちが命としてよりよい生
を求める時には、命をみたし、より
充実した心と身体を作ってくれる
食べ物が必要です。
すでに命としての力を失ったもの
を食べ続けることは、命に対しての
ひとつの冒涜でしょう。
たかがスパイスですが、されどスパ
イスです。
料理の味を引き立て、感覚の楽し
みを充たしてくれるスパイスから、
今の世界の様子も感じられます。
クミンをはじめ、胡椒やローリエ等
の味が違うのにはやはり理由がある
のだなと再認識しました。

アバドと静寂の音  その15「遊びと天心」  シューマン交響曲第2番

アバドと静寂の音 
その15「遊びと天心」 
シューマン交響曲第2番  2012年
  モーツァルト管弦楽団

シューマンはとても分かりにくい作曲
家です。
ふわふわと漂うようで捉えどころがなく、
おとぎ話のような楽しい美しさがあるか
と思うと、時として深い淵を思わせる鬱
積した暗い感情が噴き出してきます。
生存中から著名でしたが、作曲家とし
てだけでなく、評論家、文筆家として
も支持されていました。
バッハの再発見に貢献し、メンデルス
ゾーンやブラームスを評価して世に広
め、ショパンの真価を伝えました。
奥さんのクララも美しく有名なピアニス
トです。
当時の流行の最先端をいく人です。
世の動き、人の持つ力を見ることに長
けており、何をどう伝えれば支持され
るという感覚を身につけていました。
極めて現代的な性格の持ち主です。
病に侵され、薬も効かず、クララに唇
にワインを塗ってもらって症状を緩和
させている時に、「僕は、知っている」
などと言って暗い心の奥底をのぞか
せたりします。
明るく前向きな躁だけでなく、鬱々と
したものも持っていました。
そうした現代性は曲にもあらわれ、情
緒や思索よりも音の運動性がシュー
マンの何よりの個性です。
けれどこの音の動きの中にある動きを
とらえた演奏は多くありません。
シューマンをロマンチックな作曲家とし
て扱う人が多いのです。
私も正直言って、分かっているとは言
えません。
センスも頭もよいけれど、良くも悪くも
現代的な、底の浅さもある作曲家だと
思っていました。
このアバドのシューマンを聴いて、初
めてシューマンに近づけました。
夢幻的な表情と現世的ともいえるよう
な音の運動性が波状的にやってきて、
渦にまきこまれます。
アバドの的確な解釈と棒で、音が絡み
ながら上昇し、リズムがこだまのように
反復しながら変化していくのが手に取
るように感じられます。
行方も知れず流れに身をまかすと、何
にも縛られない世界にいます。
第3楽章のアダージョなど、夢のように
美しいのですが、肉体や感情に直接
訴えるものではありません。
流れるような旋律と大きな波のように
押し寄せる盛り上がりも、美しい映像
のうつろいを眺めているようです。
胸に迫り、内を動かすものはあるので
すが、舞台や映画を見ているようでど
こか切実ではありません。
生活や現実を離れたところにある想像
の世界、いわば作り事です。
芸術とはもちろんそういうものですが、
シューマンの場合はその度合いがとて
も強いのです。
何かを突き詰め、生き方を問う厳しさ
とは違う、責任を離れた自由の世界で
す。
そう、これは最良の意味での「あそび」
です。
アバドはそのシューマンの世界で、背
中の翼をいっぱいに広げて飛翔しま
す。
美しく、切なく、愛おしく、純粋です。
誰のためでなく、誰にも束縛されず、
目的も、責任もなく、自在です。
人間はあそぶために生まれてきたとも
言えます。
意味のないものに意味を与え、虚構
の中に新しい価値を作り、その世界
に自由でいることに歓びを感じます。
アバドはすでに人から評価されること
にも興味を失っています。
オーケストラのメンバーや聴衆に何か
を伝えようともしていません。
音の世界でただ、あそびます。
そこにあるだけで美しく、楽しいのです。
みがきぬかれた、結晶のような「あそび」
の極致です。
人は純粋無垢で、天心爛漫に生まれ
てきました。
世の習いに従っているうちに純粋さを
忘れ、多くの人に支持され、多くの物
を手に入れるのが目的になり、決まり
事を守ることを覚えて、大人になります。
けれど人生の目的のひとつは、歳をと
ってから天心に帰ることです。
天心は、人の存在を超えた大らかで、
伸びやかな動きです。
天と交わって遊び、永遠に感じられる
宇宙の動きと一体になります。
子供の天心は自然ですが、老人の天
心は感覚と精神を鍛え、まっすぐに道
を歩み続けなければえられません。
アバドは人として稀にしか到達できな
い世界の住人になっています。
アバドはいったいどこまで行くのだろ
う。
ワクワクした期待とともに、胸が切なく
疼きます。

分けありの食べ物たち その5 みやの豆腐、見学に行きました

分けありの食べ物たち その5
みやの豆腐、見学に行きました


昨年末から取り扱いを始めた大豆
工房「みや」さんの工場兼店舗は
越生にあります。
梅林が特に有名ですが、近くには
関東で一番大きなクスノキがあり、
太古から時間が止まったような、け
れどひと時も休まずに息づいて、そ
のひと息ごとに少しづつ成長する
静かでたゆまぬ時間の流れを感じ
ます。
周囲には他には商業施設はまった
くない「みや」の店ですが、朝から車
で買い物に来ている人たちがいま
す。
先日の雪の日に、生協への納品の
品物をとどけることができず、2000
品もの製品が残ってしまったそうな
のですが、フェイスブック等で呼び
かけたら、その日のうちに完売した
そうです。
お客さんたちとこまめに良好な関係
を保っているのでしょう。
「みや」の個性は一言で言えば誠
実です。
それも並大抵ではなく、一徹という
言葉が似つかわしいほどです。
社長の宮永琢詩さんは静かなもの
ごしですが、ぶれない強さを感じま
す。
若き「暴れん坊将軍」の風情もあり
ます。

国産にこだわった大豆や天然にが
り、米沢の油などの原材料もです
が、製法も近代的なものを取り入れ
ながら、先代社長の戒めをしっかり
守って受け継ぎ、製品の向上をは
かっています。
北海道、佐賀、栃木の大豆を基本
にして、埼玉の地場の大豆を取り
入れてブレンドしています。
そして機械や製法の改良で、にがり
も最小限ですますことができ、大豆
の風味をより生かすことができるよう
になっています。
圧力釜等を併用することで、消泡剤
はまったく不使用です。
そしてその誠実でまっすぐな姿勢は
スタッフたちにもしっかりと浸透して
います。
私がうかがった当日は、何人かが
インフルエンザで倒れ、とても忙し
い状況でした。
けれど十数人いたスタッフ全員が
邪魔な私に丁寧にあいさつし、対
応してくれます。
もちろん手は休めませんが、無理
に急がず、慌てず、嫌な緊張感な
しに淡々と仕事を続ける雰囲気は
とてもよいものでした。

手間を惜しまず製品を作る姿勢は
当然味にもにもあらわれます。
全体に少し固めで、素材感を強く
感じるということ以外には際立った
味の個性はないのですが、食べて
何かホッとして心安らぐ感じはまさに
この雰囲気そのものです。
店頭ではほぼ全品の試食もできま
した。
まだ食べたことのなかった、白ごま
入りの絹豆腐はちょっと衝撃でした。
見た目には黒ゴマ入りの方がイン
パクトは強いのですが、まるで胡麻
豆腐そのものであるような濃厚な
クリーミーさは、今までに食べたこと
がありません。
まだ晴屋の取り扱い品目にはなっ
ていないので、夏までには入荷する
ようにしたいと思っています。
そして評価の高いのが油揚げです。
これも丁寧な仕事の賜物としか言い
ようがありません。
特に他の豆腐屋さんたちとの作り方
の差はないのですが、甘さや香り、
素材感など際立っているのです。
それを原料にした「味付け油揚げ」
もとても美味しく、好評だった丸和
のものを軽く上回っています。
三之助や丸和を止めた理由の一つ
です。
「味噌漬け油揚げ」も絶品です。
これはそのままでもいいのですが、
フライパンで軽く焼きます。
晴屋で大好評のこんにちは料理酒
プレミアムはこれに使っていることか
ら関心を持ちました。
濃厚な旨味と香りが食欲と酒欲をそ
そります。
晴屋では豆腐では「そふともめん」
が圧倒的に支持されています。
三之助の代わりとして柔らかくやさ
しい風味があるためでしょう。
みやの店頭では通常のもっと固い
「もめん」が評価が高いそうです。
市販品と差が大きいのは「きぬ」で
す。
普通の絹豆腐は味も素っ気もなく、
ただツルンとして喉ごしがいいだけ
なのですが、みやのきぬは大豆風
味がしっかりあって、口の中で香り
がほどける、別次元の味です。
もめん豆腐    320g  255円
そふともめん豆腐 300g 245円
きぬ豆腐       300g  245円
焼き豆腐      300g  265円
油あげ      2枚  235円
生あげ       2枚  255円
がんもどき     1個  188円
味噌漬け油あげ 2枚 345円
味付けいなり   3枚 408円


アバドと静寂の音  その14「魂の歌」  マーラー交響曲第9番

アバドと静寂の音 
その14「魂の歌」 2010年DVD
マーラー交響曲第9番
  ルツェルン祝祭管弦楽団

この第9交響曲は、マーラー最後の完
成された交響曲です。
それまでの作品などからの様々なメロ
ディーが消えては現れ、写真のコラー
ジュを見るように賑やかです。
そして最終の第4楽章の最後には、「
死に絶えるように」という指示が書き込
んであります。
死を恐れ、半面で惹かれ、ベートーヴ
ェンが9曲の交響曲を残したことを意識
して、この前の作品には9番という番号
を与えず、「大地の歌」という題をつけ
ました。
そんなマーラーが覚悟をもって持てる
ものをすべて注ぎ込んだ曲です。
音は活気をもって常に流動し、変化し、
同じことの繰り返しがありません。
それなのに全体に渡って大河のような
大きな流れが感じられ、一貫した力が
持続します。
第4楽章に入ると音楽はゆっくりとした
弧を描いて下降します。
過ぎ去った日々への哀惜と遠いあこが
れが交錯し、胸にこみあげます。
20世紀の近代人であるマーラーにとっ
て、死とは神に召されることよりは、自
己の消滅であり、完成よりは敗北や終
焉という意味合いが強くなっているの
でしょう。
劇的な盛り上がりの中にも哀愁とノスタ
ルジーが混じりあい、くすんで重い色
合いが持続します。
マーラーの最高傑作として、バーンスタ
インや、バルビローリ、カラヤン、ジュリ
ーニなどの名演奏がきら星のようにあ
ります。
その中でもアバドの演奏はきわめて
個性的です。
音の表情はとても振幅が大きいのです
が、激情や自己陶酔にはほど遠く、透
明で静けさが支配します。
しかし他の誰の指揮したものより、深く
胸に迫ります。
感情よりも、もっと深い部分に共鳴する
のです。
知性と感性によって構築された精神を
も通過し、もっと根源的なもの、静かに
絶えず内側で燃え続けるもの、魂とい
う言葉でしか表現できない何かに至り
ます。
初めてなのに懐かしく、手に触れるこ
とがないのに暖かい。
その渦は多くの人を巻き込みます。
世界屈指のフルート奏者で、ベルリン
フィルに在籍するエマニュエル・パユ
がインタビューに答えて、この曲のア
バドとの演奏の体験を語っています。
「私の音楽に対する姿勢を変える体験
がありました。
ある年、マーラーの第9をアバドとのツ
アーで25回演奏したことがあります。
彼はその25回すべてで、オケのメンバ
ーや聴衆を金縛りにしました。
誰もが身じろぎもせず、息をのんだの
です。
全てが絶対的な静寂の中に消えてい
た。
現実にかえるのに時間がかかりました。
ある時は1分以上も、誰かが耐えきれ
なくなって拍手か、咳を始めるまで続き
ます。
あのマーラー第9は本当に特別でした。」
この演奏のDVDに見るアバドは静かに
消え入るように、しかし長く続く感動の
余韻と一体となって指揮を終えます。
まるでアバドも同時に静かに息をひき
とってしまうのではないかと思えるほど
です。
長い、長い静寂の後の心をこめた拍手
とブラボー。
アバドもインタビューに答えています。
「私にとってよい聴衆とは、消えゆく音
の時に静かにしていてくれる聴衆です。
沈黙は重要です。」
心の動きや感情の高まりは私たちの
存在のごく表面、外界との境界部分
の波です。
もちろん重要で無視できませんが、そ
れに心を奪われると内側の動きやひそ
かに燃え続けるものを見失います。
目をつぶって、静かに自分と向き合う
沈黙の時間は何にもかえられません。
アバドは感情に訴えることに背を向け、
精神で人を圧することを拒みます。
そして、魂の炎を輝かせます。