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なんでもベスト10晴暦38年その1 せんべいと小麦不使用のお菓子

なんでもベスト10晴暦38年その1
せんべいと小麦不使用のお菓子

小麦粉の問題が大きくなる中、ただ
仕方なく代替品ですませるのでは
なく、積極的に食べたくなるものを
おすすめしたい。
米の文化で育った私たちが心から
楽しめる本物の美味しさたち。
美味しいは安全と言うだけでなく、
身体に必要であり、悦びである証し。
ただし、醤油には小麦の糀を使って
いるものがほとんどなのでご了承を。
1.千角 279円 やまだ
生地の美味しさ、香ばしさ、サクッと
とした食感など、せんべいに求めら
れるものをほとんどすべて完璧に作
られた正統派の本物。王と呼びたく
なる逸品。
2.玄米おこし 360円 庄内ファーム
晴屋で一番売れているお菓子はた
ぶんこれだ。デザインや見た目は超
地味だが、食べて飽きず、また食べ
て充たされ、食べつつけてももたれ
ない。甘くも、固くもない、サクッとあ
っさりした美味しさには滋味がある。
3.マヨネーズせんべい 279円
一見ジャンクフード。しかし本物の
材料を使ったバランスの良い深み
のある味わいがクセになる。おやつ
に、つまみに、素材の良さ、味付け
のセンスのむ良さが光る。
4.荒挽きえびせん 220円 サンコー
デパートで売っている有名メーカー
より美味しい。エビが30%入ってい
て、香ばしく、味わい深いのに臭み
がない。馬鈴薯でんぷん使用。
5.栗くぐれ 300円 サンコー
上等な北海道産手亡豆を香り高く
甘さ控えめの餡にし、ほんのりと焼き
あげた。栗は入っていないのに、栗
の香りと旨味がある。どこに出しても
恥ずかしくない、立派な和菓子だ。
6.さつま芋ちっぷ 220円 ノースカラー
国産素材にこだわるノースカラーズ
だが本当の個性はセンスの良さと
味付けの上手さだ。良い素材を使い
最低限の味付けで最高の効果をひ
きだす。キャッチ―でしかも上品。
7.揚げ小丸 200円 創健社
胚芽あられとともに35年位店頭にあ
る。平凡でありながら、食べ飽きずに
楽しめる甘じょっぱさはやはり日本
の定番だ。素材の油や調味料の質
の良さあってこそだけれど。
8.草加せん 450円 ムソー
歯ごたえのしっかりある大きな煎餅
はやはり伝統の美味しさだ。特に
大きな個性はないが、私たちに沁み
ついた記憶がもとめる味だ。
9.塩けんぴ 220円 ノースカラーズ
芋けんぴと似ているのだけれど、こ
ちらの方が塩が効いてメリハリがあ
る。ジャンクフード寸前で止めて、
味わいに引き込む手腕は見事だ。
10.あげもん 279円 やまだ
揚げ小丸に似ていても味は真逆。
メリハリあり関東風の濃い味の揚げ
小丸に対してこちらは、すっきりさっ
ぱりと関西風。広島産のレモンを加
え、素材の味で勝負だ。

春の兆し

昔から三寒四温といわれる冬から
春に移行するこの季節の天候です
が、一度暖かさに慣れた私たちの
身体はとても寒さに敏感になり、冷
えに弱くなります。
いつもの年より、春の身体の変化が
早い人が多いようです。
冬の間の代謝を下げてギュッと縮
こまって寒さに耐える体勢から、夏
の高温や雑菌に対処できる代謝を
上げて積極的な活動へ変化する
この季節は、上手く過ごすのがとて
も難しいときです。
冬の間にためこんだ疲れや不用な
ものたちもぞろぞろと出てきます。
肝臓や腸に蓄積した老廃物を排
出するため便秘や下痢になったり、
皮膚から直接排出するものもあり、
あちこち痒くなったりします。
身体の中では、骨盤、肩甲骨、頭
の後頭骨が開いてきて、姿勢や動
きが変っていきます。
骨盤の後ろにもう一枚骨盤を重ね
ているような違和感や、肩甲骨の
じくじくとした痛み等の他、後頭骨
が開いてくるとボーっとして眠たく
なり、頭が働くなります。
「春眠、暁を覚えず」などと表現さ
れ、眠くて仕方ない時が多くありま
す。
また骨盤が広がるため腸も広がっ
て、空腹感が生じ、不必要に食べ
てしまうことも多くあります。
この季節の食欲は擬似的なものと
して扱い、本物ではないので要求
を押さえ飲み物やカロリーの低い
ものでごまかす方が無難です。
骨盤、肩甲骨、後頭骨は相互に関
連しながら左右交互に開いていき
ます。
ちなみに肩甲骨は人間が四足だっ
たころの名残で、前足の骨盤だっ
たものです。
こうした変化は5月中旬まで続き、
それまでに夏への身体の対処は
完成するのが普通です。
この動きをスムースにするために、
私たちは風邪をひき、発熱や発汗
で動きが円滑になります。
こうした変化がうまくいかないと、夏
に耐える力が身につかなかったり、
身体の感覚を見失って気持と身体
が別れ別れになります。
欝や五月病などといわれるものも
それにあたります。
季節に対処する動きには個性が
あって、みな違う経過をとります。
変動が少ない人も、どうしようもなく
なる人もいます。
早く来る人も、遅く来る人もいます。
人間は大きく2種類に分けることも
でき、感受性や気持が先に変って
身体が付いていくタイプと、反対に
身体が変ってから感受性や気持が
変っていくタイプがいます。
一般的に前者の方が季節の変化
を早く大きく感じ、そのため抜け出
すのも早くなります。
私などは圧倒的に前者で、1月の
15日頃には春の兆しを感じ始め、
2月に既に絶不調に陥ります。
身体が自分の身体ではないような
感じでコントロールが効かず、自分
が何をしているか、何のために生
きているか見失って、全部投げ出
したくなります。
もちろんこれも擬似的な感覚であ
り、あまり真剣に深入りせずにつき
あうようにしています。
歳をとった今はそれなりにやり過ご
しているこの感覚も、若いときには
内なる嵐を原動力として新しい時
を迎えるには必要な物でしょう。
5月に同じような状態になる人は
多くいますし、梅雨時に陰湿にな
る人も、夏に無気力になる人、秋に
いらいらとする人など身体の個性
により様々です。
いづれにしろ、まだ寒い日も多くあ
り冷えの対処もしながら、冬の身体
から脱皮して新しい身体を作って
いくという、とても難しい季節が2月
です。
食欲や睡眠欲などとも、付かず離
れず付き合って、次の季節に自分
の立ち位置を作っていかなければ
なりません。
普段の生活の中で、社会や仕事
や付き合い、ネットからの情報など
外からの刺激に対処して生きてい
る私たちですが、こうした不調の時
に内なる声に耳を傾けることの大
事さを思い知らされます。
こうした時間もきっと必要なのでし
ょう。

晴屋の青い扉 その98 身体と言葉

晴屋の青い扉 その98
身体と言葉

私もいわゆる発達障害だったと
思う。
数字や言葉を覚えるのがとても
苦手で、身体になかなか沁みつ
かない。
誰にも言えず、誰からも助けられ
ずに、自分で工夫するしかなか
った。
頭の中で自分の言葉や感覚に
置き換えれば覚えることができる。
だから丸暗記や、身体で覚える
ということができずにいた。
それは今でも続いていて、言葉
でものごとを記憶するのが難しい。
テレビで見る記憶の達人たちは
言葉の連続を記憶しているよう
だ。
その感覚をまったく理解すること
ができない。
むしろ感覚をそれ自体として覚え
ている。
私には記憶とは、「あの感じ」で
しかない。
それに気づいたのはつい最近だ。
昔のことを書こうと思い立っては
じめてみると、その作業がとても
辛い。
スイッチが入ると、昔のことを次々
に思い出してしゃべる人が多いの
に、私はどうしてこうなのか。
そして、曖昧にうつろう感覚を無
理に言葉を固定して感覚を閉じ
込めようとするのが辛いのだと気
が付いた。
言葉に移すのは、私には自由を
カゴに閉じ込めることだ。
言葉をどこか軽んじて、信用しな
いでいる理由がやっと分かった。
そんな私だけれど、最近少し変
わり始めている。
切っ掛けは、俳句だ。
少し前から、内田洋子さんの文章
のすばらしさに動かされている。
内田さんが文章に開眼したのは、
俳句に親しんでからだと聴いて
興味を持ち、関連する本を読ん
でみた。
芭蕉の句に惹かれるものがあっ
たのは、何故なのか理解するこ
とができた。
「古池の」と「古池や」という一字
の違いで、世界がまったく違って
しまう。
たった十七の音にどんなイメージ
を合わせるかで、その人の持つ
精神がたち現れる。
宇宙の壮大から、日々の心の機
微まで表現できる。

荒海や佐渡によこたふ天の川
芭蕉

鰯雲人に告ぐべきことならず
楸邨

少しでも近づきたいと作句をは
じめる。
よりイメージを伝えられる言葉は
ないか。
いつも言葉を意識する。
こんなに言葉に向かいあったの
は、生まれて初めてだ。
文章が上手くなる気配は今のと
ころないが、話すのが楽になって
いるのに、ふと気がついた。
たぶんイメージと言葉の関係が
密になっているのだろう。
考える前に言葉がでてくる。
これは人間には当たり前の感覚
だ。
私たちは、言葉によって自分を
意識し、外の世界を理解している。
感じたことをそのまま言葉にする
という小さな子どもでもやってい
ることを、この歳になってできるよ
うになってきた。
なんと不器用で、奥手なことか。
それでも、自分の中に新しい感
覚が育つのは面白い。
どこまでいけるか試してみたい。
作った句は人前には出さないと
思っていたのだけれど、震災の
ことを書いたときに、ちょうど作っ
たばかりの句を載せてしまった。

泥蓮根天つ波つれてくぐれり

病床にあるお客さんが読んで、
いい句だと褒めてくれた。
人に評価されてもうれしいと思わ
ない私だけれど、素直にうれしか
った。
言葉に対する感覚が変わってく
ると、こんなことまで違いがでる
のか。
ますます忙しくなりながら、言葉
を探す楽しみは続く。

白菜の手をあわせたり朝寒し

霜柱朱に人参る土おこし

オリオンや眠れる山波きりさけり

晴屋の青い扉 その97 内なる辺境に生きる その7 「天つ波の中の晴屋」

晴屋の青い扉 その97
内なる辺境に生きる その7
「天つ波の中の晴屋」

岩手水沢の小平さんのりんごや
洋梨、茨城玉造の小塙さんの蓮
根は、創業以来、もう38年間も晴
屋の店頭を充たしてくれている。
あって当たり前の空気のような存
在だが、どこに出しても恥ずかし
くない自慢の品物だ。
秋の始まりとともにやってくる北の
恵みは、作った人の顔や畑や農
園の風景を思い起こさせ、遠くに
あってもいつも近い。
そんな蓮根やりんごの取り扱いを
やめるかどうか真剣に悩んだこと
がある。
あの東日本大震災の時だ。
多くの人が被災し、命が失われ、
生活もその基盤も壊れてしまった。
大きな自然のうねりの前に、私た
ち人間はいかに無力か、またどれ
だけ自然に頼って生きているかを
思い知らされた。
そしてこの震災は人災までもひき
おこし、社会の矛盾も明らかにし
た。
原発の事故は、自然の修復力を
超え、長い長い時間に爪痕を残
す。
福島に近いほど放射能数値は高
くなった。
風向きや山の傾斜の方向での差
やばらつきはあるが、客観的な事
実として受け入れざるをえない。
美味しいだけでなく、安全な野菜
を扱う私たちは、今までのことをそ
のまま続けることができない。
同じような食品を扱う他のグルー
プでは、関西に限定した野菜を
前面にだして売り上げを伸ばし
ていたが、私にはすぐに仕入れ
先を切り替える冷静で合理的な
選択をすることも難しい。
もう30年以上生産者とつきあい、
身体にも心にも馴染んだ野菜を
簡単に切り捨てることはできない。
生産者たちも当然危機感をもっ
て、放射能値の測定をはじめた。
晴屋でも比較的性能の良い測定
器を買い、2㎝の厚さの鉛の箱を
作ってCPM(一分当たりのα線や
γ線の数値)を測った。
精度を上げるために一品目に約
2時間かける。
簡易測定でも一日に数品目を測
るのが精いっぱいだ。
そしてチェルノブイリの事故の後
のベラルーシなどの事例を参考
にして、20Bq/kg以下ならまず問
題はないだろうと思えるようになっ
た。
20Bq/kgというのは、その数値の
野菜を一年間食べつつけても大
丈夫と予想されるという値だ。
その値を超える野菜は幸いにも、
私たちの産地では、タケノコな
ど一部の例を除いて出てくること
はなかった。
先ずは問題はなさそうだけれど、
それでも放射能が少ない方がい
いに決まっている。
晴屋はどういう選択をすべきなの
か。
少しでも安全な方を選ぶべきな
のか、今までの信頼関係や身体
になじんだ美味しさを選ぶのか。
いくら安全と言っても、美味しい
と思えなければ身体や命の糧と
はならない。
放射能も自然の中には宇宙線な
どとともに少しはある。
放射能が遺伝子を壊すといって
も、直接破壊するのではなく活性
酸素を作って、それが遺伝子を
壊していく。
それは添加物や精神的ストレスと
変わりない。
今の数値なら、ストレスを感じるよ
り、美味しい野菜を選ぶべきだ。
ここで扱う野菜を変えたら、放射
能に屈することになる。
この野菜たちと生きていこう。
そうは思えても、今まで通りの野
菜を扱い続けるのは、晴屋の存
続と生活をかけた選択だった。
お客さんたちの支持を得られなけ
れば、30年以上続けたこの仕事
をやめるしかないと覚悟した。
売り上げは少し落ちたが、致命的
というところまでは至らなかった。
お客さんたちの理解と支持には
本当に感謝するしかない。
カンパも募って数十万円が集まり
被害に応じて配らせてもらった。
どこに行くか分からない寄付より
は、確実に生産者に渡される手
の感触を感じてもらえたのだろう。
貧しい私たち八百屋には大きな
金額だが、それで被害がまかな
えるという額ではないが、気持ち
を伝えることはできた。
少しづづ平静を取り戻しながら心
掛けたのは、なるべく今まで通り
を続けることだった。
そしてなにより生産者にも消費者
にも必要なのは、心静かに暮らせ
る日常だ。
特別なことより、日々の暮らしを
取り戻すことができるように野菜
を扱い、届ける。
何事もなかったことにすることは
できないけれど、見知らぬ人のた
めではなく、知っている人といっ
しょに生きることはできる。
何気ない日常が愛おしくなった。
あれから7年。
気持ちを言葉で表してもいいの
かなと、やっと思えるようになった。
最近、俳句にそっとのめりこんで
いる。
十七の言葉にどれだけ想いをこ
められるか。

紅玉の水沢近しいわし雲

天変やもろく熟せる洋梨の

泥蓮根天つ波連れてくぐれり

ゆく月の野も菜も人もみちかけり

「おくのほそ道」は、はるかに遠い
が、りんごや蓮根はいつも近くに
ある。

咳への対処とマスク

咳への対処とマスク
気温が下がり始め、好天が続き、
急に咳をする人が増えてきました。
この時期の咳自体は決して悪い
ものではありません。
気管には繊毛がたくさんあって、
埃や雑菌を防いでいます。
そして自然に外に出してくれます。
ところが繊毛が乾くとうまく働かず、
余分なものを排出できなくなるの
で、それを咳で出しています。
自然で大切な働きです。
けれどそれが長く続くと、気管が
炎症を起こして過敏になり、咳が
止まらなくなります。
咳は意外なほど体力も消耗する
ので、とても疲れてます。
それにはまず小まめな水分補給
が必要です。
身体の中が乾いていては、咳は
止まりません。
カフェインの入っている飲み物は、
利尿作用でかえって身体が乾き
ます。
番茶やルイボス茶がおすすめで
す。
味噌汁や鍋物、暖かな麺類が美
味しいのは、身体に水分が付くか
らです。
まだ寒さに慣れていない私たちの
身体には、この時期には暖かな
水分が有効です。
ビタミンの多いみかんなどの柑橘
類も繊毛の働きを維持するのに
役立ちます。
食道から気管に直接しみ込むよ
うな感覚があり、せき込んだりしま
すが、それだけ役にたちます。
外部からの水分の維持も有効で
す。
マスクは湿度を保ってくれ、埃の
侵入も防ぐのでとても役にたちま
す。
私はこの季節、長く咳が続きます。
それでも紙のマスクが苦手で、み
かんを毎日何個か食べてやりす
ごしていました。
紙のマスクの臭いや息苦しい感
じがどうしても耐えられなかった
のです。
それで今年は絹や、竹布のマス
クを試したところ、とても具合がよ
く、ほとんど咳が出ずに快適に過
ごしています。
洗って何度も使えるのもうれしい
ところです。
アマゾンで800円ほどで買った
絹のものと、晴屋で扱っている竹
布の1000円のものとを比べてみ
ると、個性の違いがありました。
絹の方は生成りでベージュです。
目が粗く、呼吸はかなり楽ですが、
埃を防ぐのにはあまり役立ちそう
にありません。
話し声がほとんど変わらないのは
良いところです。
少し声が低くなったように感じます。
肌触りは柔らかです。
竹布の方はもう少し目が細かくな
っていますが、呼吸が苦しいとい
うところまではいきません。
話し声は少し声が高くなるような
感じです。
こちらの肌触りは滑らかで心地よ
く、竹布の特徴そのものです。
また竹布には抗菌と防臭の働き
があり、とても水分の蒸散も早い
ので、洗ってすぐに乾き、耐久性
も高いのもうれしいところです。
色は好評の和布なごみぬのとほ
ぼ同じものが揃っているので、お
手持ちのものとお揃いでマフラー
と同色にできます。
単体では「木蓮」という少し黄色に
近いベージュが無難です。
やさしい緑の「若竹」、上品な薄
青の「浅藍」やほんのり紫の「薄
藤」、華やかな「紅梅」などがおす
すめです。
男女共用ですが、子供用の小さ
いものは800円です。
色は「浅藍」と「紅梅」のみです。
絹も竹布もどちらも心地よく、紐
の調整も簡単で使いやすいもの
ですが、耐久性と臭いのなさ、そ
して付けている時の感触の自然
さ、というよりは付けていることを
忘れてしまうような心地よさでは、
竹布のほうがよりおすすめです。
1月には15%引きのセールを予
定していますが、とりあえず10%
引きでご注文をお受けします。
歳をとってくるとどうしても身体が
渇きます。
体力を落とさないためにもマスク
の積極的な使用をおすすめしま
す。
マスクも慣れると、人と話すしたり、
雑踏を歩くのがかえって楽になっ
たりと、新しい効果や発見もあり
ます。
心地よい、自分にあったマスクを
選ぶことをおすすめします。

晴屋の青い扉 その96 内なる辺境に生きる その6 「農業の不自然と辺境の八百屋」

晴屋の青い扉 その96
内なる辺境に生きる その6
「農業の不自然と辺境の八百屋」

30年以上前には驚くような野菜
がやってくることがあった。
形が美しく揃った茄子が、神々し
い光沢を放つ貴石のようっだった
こともある。
反対に葉がズタズタに食い破られ、
肌も荒れた虫の食べ残しの小か
ぶが箱から飛びだすこともある。
かぶは作りやすい野菜で、古の
中国では戦いに赴くと戦地でまず
かぶを育てたという。
種をまき、葉が出ればつまみ菜と
して汁の具に、もう少し大きくなれ
ばおひたしで、花が咲けば美味
しく食べられ、実がなったら菜種
油が作れる、そして移動となって
も惜しまずに捨ておける。
土が肥えていなくても、肥料が多
過ぎてもそれなりに育つ。
だから生産者も土にとりあえず栄
養を入れたいと、生の鶏糞などを
撒いてかぶを作るということがよく
あった。
そうすると早く育って、味はそこそ
こ良くても、窒素過多のために虫
食いも多く、ボロボロの見かけに
なってしまうのだった。
さすがに今はそんな荒っぽく手を
抜いた農業をする人はいない。
40年の時の流れの中で、思い入
れを優先して現実がお留守にな
る人はいなくなり、まじめに地道に
農業を営むひとたちだけが残っ
ている。
そしていつも過不足のない、野菜
を出荷してくれる。
野菜は芸術作品ではないのだか
ら、他を寄せ付けない至高のもの
である必要はない。
生活用品として暮らしをみたし、
いのちを支える力を持った野菜
であればいい。
いつどんな状況でも同じように80
点の品質を続けてくれることが一
番だ。
100点を狙って大失敗するよりは、
80点の安定した品質であること
が望まれる、職人の世界である。
そのために、失敗もしながら経験
を重ね、野菜や天候の先行きを
読む目やそれに対処する技術を
高めていく。
それは私たちにとつて間違いなく
進歩だ。
美味しい野菜を切らさずに届けて
くれるのだから。
けれど「自然」という立場からみる
と違うものが見えてくる。
野菜は大自然の野生の中から生
まれたものだ。
最初から野菜という作物があった
わけではない。
野草の中から美味しいものを選
び取り、栽培して改良していった。
人間に都合の良いものだけを育
て、他のものを排除して畑を維持
する。
天候や土が好都合でなくても、
種まきの時期を変え、藁やビニー
ルで覆い、肥料を調節して育て
てしまう。
野菜は不自然なものでもある。
さらに邪魔な虫や病気を避ける
ために農薬を撒いて、多様で共
生的な生態系のバランスを変える。
工場での水耕栽培で命のゆりか
ごである土と切り離し、放射能や
劇薬を使っての無理な品種改良
を推し進め、遺伝子を組み換えて
命のあり方まで変えていく。
農業も、「不自然」を通り越し「反
自然」になってしまっている。
野菜は自然なのか、そうでない
のか?
どこまでが許されるのか?
日々問い続ける。
私たち晴屋も安心で美味しい野
菜を扱っているからといってそれ
だけで、自然の守り手であり、命
によりそっているとは簡単には言
いきれないのである。
自分たちのやっていることが、正
統であり、当然と主張すれば、分
かりやすく、「正しさ」を求める人
たちに訴えることも容易だろう。
しかし、何かを提起し、告発しつ
づければ、自分が正当化されると
思えるほどには愚かになれない。
昔は良かったと感傷にひたる幸
せからも遠いところにいる。
軋轢や矛盾をかかえ、ゴツゴツと
壁にぶつかり、答えのない答えを
求め葛藤し、懲りずに同じことを
くりかえす。
内なる辺境は私にとって永遠の
故郷であり、戦いの場であり、自
然そのものである。
自らへの問いかけと答えを探すた
めの秘かな冒険、誰も行ったこと
のない場所への希求が続くうち
は、晴屋に風が吹き、少しづつ
歩を進めるだろう。

晴屋の青い扉 その95 内なる辺境に生きる その5 「野菜への姿勢」

晴屋の青い扉 その95
内なる辺境に生きる その5
「野菜への姿勢

経済的にはいつも不安定でお客
さんたちに支えてもらっている。
だから、ほとんどの食べ物を晴屋
でまかない、「蓮根が入りましたよ」
「あら、うれしい。今日は天ぷらに
しようかしら」と声をかけて悦びを
分かち合うような常連のお客さん
が引っ越しをすると分かると、これ
からの晴屋は大丈夫なのだろう
かと、とても不安になる。
それでも不思議なもので、たいて
いはその人に代るようなお得意さ
んがあらわれて、一息つく。
まだ私たちの寿命があるのだなと
ほっとする。
そんな綱渡りの連続のような日々
である。
けれど最近は歳をとって歯が抜
けていくように、頼りにしている人
たちがいなくなったり、家族が減り
買う量がとても少なくなったりして、
お客さんたちに頼ることが難しく
なってきている。
ただ潮がひくままにまかせては
おけないので、良い品物を揃える
だけでなくできる限りのことをして
いる。
看板を明るく、シンプルで、野菜
にこめる気持ちを感じられるもの
にして、美味しさや扱うセンスをア
ピールしている。
以前の棚はこげ茶をベースにして
土のように、品物の個性を邪魔し
ないよう心掛けていた。
今は少しオレンジがかった肌色の
明るく暖かみのある木目を生かし
たものに一新して、積極的に個性
を主張している。
南瓜の中身のみっちり詰まった
様子が感じられる深い緑色や、み
ずみずしさが零れそうな林檎の赤
を際立たせている。
野菜たちの表情を感じられる見や
すい棚やレイアウトは好評で、日
々の賑わいと売り上げをなんとか
維持している。
けれど決して明るい見通しは持て
ないでいる。
一番の気がかりは、野菜や食べ
物に向かう姿勢の変化だ。
以前はどんなにみすぼらしく見え
ても、散らかって混乱の中にあっ
ても、晴屋の発する臭いをかぎつ
けて、お客さんたちがやってきた。
萎びた小松菜にも内なる生命力
を感じ、ゴツゴツの愛想のないみ
かんの中のほとばしる一途に興じ
買っていってくれる人たちがいた。
「美味しそう」、「面白そう」とか、
見たこともないものに出会うワクワ
ク感など、感じ方は様々でも、そ
の人らしい向かい方で、野菜を
自分のものにしていった。
けれど今は本能的嗅覚で晴屋に
たどり着く人が少なくなってきてい
る。
有機や無農薬、無添加、無肥料
自然栽培などの知識や理解はす
すんでいて、基本から説明したり
する機会は減っていて、そういう
意味では楽になった。
けれど思い込みをぶつけ、なぜ
この野菜を売るのか、買うのかを
問いかけるような手ごたえを感じ
る機会がとても少ない。
互いに干渉しない時代の流れで
はあるだろうし、私たちが歳とっ
てきたということもあるだろう。
しかし、言葉を追い、数字に追わ
れているだけでは、生きているこ
とにはならない。
食べたときに湧いてくる悦びや満
足感で日常を満たし、組み立て
たいと願う私たちにとっては死活
問題なのである。
野菜がいのちとして大切に扱われ、
食べる人たちの身体と心に暖か
な火を灯すものでなければ、晴屋
の力は失われ、萎んでいく。
いのちを支える力を持った野菜
があっても、それを受け取る人が
いなければ野菜も生きたことには
ならない。
かつては野菜の持つ力に頼って
私たちは歩んでいた。
若い私にもエネルギーがあった。
野菜は人を元気にすると信じて
いた。
野菜嫌いの子供が晴屋の生命力
に溢れ雑味のない野菜は食べた
り、子供ができない人が妊娠した
りということがよくあった。
伝える私たちのいのちのあり方で、
伝わるものも大きく変わる。
もう子育てが終わった私に、昔と
同じエネルギーを発散することは
できない。
この八百屋が今までにない新し
いものを世に問う時はすでに終わ
っている。
そして農業も変わっていく。

晴屋の青い扉 その94 内なる辺境に生きる その4 「内なる辺境」

晴屋の青い扉 その94
内なる辺境に生きる その4
「内なる辺境」

ものごとを客観的に捉えるのが得
意で、数字には強いタイプだけれ
ど、不思議なくらいに経済観念が
ない。
話すのも苦手で、愛想もなく、およ
そ商売向きではない。
こんな私がこの仕事を続けてこられ
たのは、私の背後にある自然の豊
かさと人の営みの確かさ、必要なも
の、美味しいものを求めるお客さん
たちの感性の健全によっている。
けれど似つかわしくないことでも、
長年続けているとそれなりに自分
のスタイルもできてくる。
整体法の野口晴哉は、「不向きな
ことでも25年を超えると自分の味が
でてくる」と言っている。
内気で無口な私が、客観的な説明
をしながらお客さんの感性に切り込
む、一歩前にでるようなスタイルが
いつの間にか私の個性と思われる
ようになっている。
ひと息に過ぎた、つい昨日のことの
ように思える八百屋の日々も、もう
38年もたってしまった。
一度だけ、八百屋を辞めようと思っ
たことがある。
晴屋をはじめて数年後、有機農
産物流通センターJACにかかわる
グループ内部で、創始者たちと、
別の路線でセンターを運営したい
主に学生運動経験者の新興勢力
の対立が深まり、独立の動きが起
きてきた。
私には自由という名の独裁と、民
主という名の衆愚のどこにでもあ
る、人類永遠のテーマのような争
いと感じ、どちらにも加担はしなか
った。
世に新しい動きを起こしながら、何
のミスも軋轢もなく組織を運営する
ことなどありえないと思っていた。
無理な独立での無益なエネルギー
の消耗を避け、現状での改善を望
んだ。
何度も会合がもたれ、話し合いが
続く中、独立を前提としている人た
ちには邪魔な存在として、私が矢
面に立たされる。
現役の八百屋であり、センター経験
者として流通の事情も知り、生産者
ともつながりがある。
誰も圧し潰すはできない。
そして最後に「その言い方はなん
だ」という急先鋒の人物の言葉を
皮切りに、何人かのリーダーたちが
同じ表現を連呼する。
内容でなく、相手の人間性を否定
することで立場を正当化する。
踏み絵を目の当たりにしているよう
で、怒りよりは哀しみに近い感覚に
とらわれた。
こんな連中や、こんな連中をなんと
も思わず支持する仲間と八百屋を
やっていくことなどできない。
発言するのをお終いにし、静かに
辞める決意をした。
けれど翌朝になって、寂しさと喪失
感があふれだす。
八百屋のくらし、命や自然と共に
あるくらしは、私の一部となってい
た。
それを分かつことはできない。
グループやセクトに属さず、自分の
道を歩むしかない。
私は以降、ますます孤立した独自
の道を進むことになる。
しばらくしての放漫経営の果ての
JACの倒産もあり、今までの品物を
扱い続けるために直接の取り引き
をする必要にも迫られ、卸やセンタ
ーからでない、直送の生産者が増
えていった。
発注作業や、発送のロットや運賃、
検品や支払いなど、直接の取り引
きでは手間がとても多い。
けれど自分で納得したもの、話を
しながら改良し育てたもの、生産者
の心意気と畑の風景を感じられる
ものをあつかう悦びは大きい。
必ずしも自分で求めたのではない
孤立路線だけれど、いつか晴屋の
個性のひとつとして定着している。
JACの流れをくむ流通センターの
メルカウーノとOFJオーガニック・フ
ァーム・ジャパン、比較的近い場所
なので直接引取できて鮮度と価格
を両立できる「こだわり村」が、野菜
の主な仕入れ先だ。
加工品は、ムソー、創健社、杉食、
オーサワジャパン、恒食などから
納得できるものを選んで仕入れて
いる。
その他に直送の生産者が数十件
あって、晴屋の店頭に色どりを添え
ている。
沖縄の芳野君のオクラ、水沢の小
平さんのりんご、山梨白州の有精
卵、庄内協同ファームの玄米おこ
し、山形の三吉の味噌と醤油、大
阪のやまだのせんべい、斎藤さん
の生蜂蜜などなど、海外からもオリ
ーブ油やバリの塩、ドイツのノンア
ルコールビールまでやってくる。
どれもかけがえのないものたちだ。
何かの系列に属し、その範囲で店
を切り盛りすることも可能だろう。
その方がずっと効率がいい。
しかしそうした合理化ができず、古
いスタイルを残す時代遅れの八百
屋となってしまった。
野菜の量り売り、トラックでの引き売
りなど、今は他の八百屋では止め
てしまったことも続けている。
毎週の通信の発行やセールなども
四苦八苦しながら継続している。
精神的には、未だに昔ながらの辺
境での八百屋である。
東久留米は東京の片隅にあって、
水と緑にめぐまれている。
長坂や屋久島のような圧倒的に大
きな自然や人の痕跡を感じない辺
境ではない。
けれどこの中庸が、極端に向かい
がちな晴屋を包んでいる。
それでも、メジャーになることを目
指せない辺境に生きる目線は、
失うことができない。

晴屋の青い扉 その93 内なる辺境に生きる その3 「終末から共生へ」

晴屋の青い扉 その93
内なる辺境に生きる その3
「終末から共生へ」

晴屋をはじめた1980年代は、私に
とっては、まず子育ての季節だった。
81年の5月に長女が生まれ、その
後の8年の間に、4回出産に立ち
会った。
4人とも運よく、自宅出産で無事に
生まれ、まだ仕事もそう忙しくはな
かった時期なので、育児に参加で
きた。
目つきの悪い私が道端に座ってい
たら相当に妖しいが、子どもといっ
しょだと突然にいい人になる。
子育ての大変さもあるけれど、社会
との接点も作ってくれる。
流行り物が嫌いで偏屈な私だが、
子どもに助けられ楽になったことは
多い。
そして子供はまず親の思い通りに
はならない。
テレビや、甘いもの、お金といった
世の害を助長するものを遠ざけよ
うとすると、かえって興味を持つ。
成長し、自分で理解するまで時間
の経緯をいとわず、待つということ
の意味を知ったのもこの時期だ。
その感覚は、日々どうお客さんと接
するかにもかかわってくる。
最初は、東京はもう未来がないとい
うところから晴屋は始まっている。
いきおいストイックになり、厳しさを
求める。
晴屋は当初から、野菜の量り売り
をしている。
必要なものを、必要な分だけ手に
とって買うのがいいだろうと思う。
開業当時は野菜の品質のばらつき
も今よりずっと大きかった。
けれど野菜への配慮がなく、他の
人の迷惑を考えずに野菜をガサガ
サと粗雑に選ぶ人に耐えられない。
野菜を命としてでなく、物としか見
ていない。
私は明確に拒否する。
「お客さんには野菜を選ぶ権利が
あります。私たちにもお客さんを選
ぶ権利があります。あなたに売る
野菜はないから、帰って下さい。」
ほとんど喧嘩腰で、逃げ場がない。
そして安全なお菓子を求めてく
る人たちにも、「おやつはお母さん
が作るものです。」などと言って、
「わが子のおやつ」という乾パンに
少し味がついたものしか置いてい
なかった。
まだ20代後半の若気のいたりとは
いえ、ずいぶんと無茶をしたものだ。
けれど反面の熱意もあり、反発もさ
れたけれど、強い支持もあった。
そして子育てを続けるうちに、その
基準はどんどんと緩くなる。
お菓子やジュースの品ぞろえも増
え、即席めんなどのラインナップも
充実していった。
人間は生きるのに必要になると、削
られる自尊心や基準がある。
晴屋をはじめて数年後、「風の谷
のナウシカ」の映画が世にでるよう
になった。
製作委員会主体で作った自主制作
の映画のため、通常の映画館でな
く、市民会館や体育館で自主上映
されている。
子どもたちを連れて見に行き、深く
心を揺すぶられた。
人類に救いと未来はあるのかという
重いテーマが、世の闇を見る私た
ちに切実に訴える。
映画の続きは「アニメージュ」という
雑誌にマンガで連載されている。
複雑に積み重なるストーリー。
主人公たちは、自分の生きる道、
生きる場を求めて葛藤する。
宮崎駿男監督は映画とそれに続く
マンガの展開を、「終末論から共生
論への転換」と表現していた。
雑多なこと、どうしようもないことが
あっても、私たちはここで生きてい
くしかない。
それが私たちの人生なのだ。
それほど頭が良くない私でも、その
主張の意味は理解できた。
平凡と悲惨、雑多と刺激が混濁し
て先行きが見えない世界であって
も、そこにも命は宿っている。
理想とははるか遠く、目前の霧も
闇もふり払うことはできないが、ま
わりとのつながりのために生きてい
くことはできる。
野菜と子どもたちに手をひかれ、
ひとりの素の人間として社会と向き
あうことができるようになった。
バブルに浮かれうわついた80年代、
世間とは真逆の方角に生きていた。
いつも自己を主張しない濃紺のT
シャツに、作務衣かGパンを着てい
た。
野菜も人も、見かけではなく中身が
大事という意思表示であり、野菜の
美味しさがすべてを語ると信じてい
た。
華美や虚飾がないこと、「無農薬」
などの尤もらしいキャッチフレーズ
がないことが本物の証しだ。
地に足をつけ、梢から垣間見える
空や雲のうつろいを見上げていた。
80年代は、暗黒の闇を脱して、心
を鎮める藍色に染まりゆく日々だっ
た。

清瀬・篠新さんに行ってきました

篠新はとても地味なお店です。
小金井街道沿いにありますが、人通
りはあまり多くなく、間口も狭いので気
づかず通り過ぎてしまいます。
看板には「田舎うどん」と書いてありま
す。
これはあまり内実を表していません。
おそばもやっていますし、けっして
田舎風でもありません。
むしろとても洗練されています。
あえて田舎と書くのは、高級感や気取
った雰囲気を避けているのでしょう。
テーブルが4卓ほどの一階にはいつも
奥さんがいて気さくな雰囲気です。
壁には、和風モダンな飾り戸がしつら
えてあり、ご主人の手作りです。
物静かなご主人ですが、話していると
気骨を感じます。
最近の若い人たちが断りもなしにスマ
ホで写真をとるのを「失礼だ」と言って
心地よく思っていません。
人と人のつながりのぬくもりを感じな
いのです。
まだ完成していない飾り戸にはお面
を四つ置いて結界を作ると言ってい
ました。
どんなものができるか楽しみです。
ただ今は、メニューを自分で作るため
にはじめたパソコンに苦戦中のようで
しばらく時間がかかるかもしれません。
70才ということでしたが、いつまでも
新しいことにチャレンジする姿勢に
親しみと敬意を覚えます。
調理は2階で、出来上がると小さなエ
レベーターで料理が降りてきます。
味はまずセンスの良さを感じます。
よくお蕎麦屋さんにある相手を圧倒
するような、これでもかという自意識
を際立てません。
食べる私たちがホッと心をなごませ
るものです。
かけやもりのうどんが600円、そばが
700円というのも、丁寧な手打ちの店
としては格安です。
うどんも手打ちのため茹でるのに15分
ほどかかります。
サイドメニューの総菜も何種類かあり
ます。
夏限定の苦瓜をあしらったそばは、
レモンの酸味が心地よく効いて、夏の
疲れが癒されました。
場所は清瀬の大きな踏切から小金井
方面に向かって50mほど歩いて右側。
駐車場は専用ではありませんが、さら
に50mほど進んだ信号付近にいくつ
かコインパーキングがあります。
定休は毎火曜日。
営業は11:30~14:30、17:30~20:30。
電話は、 042-494-1514です。

秋の養生

秋の養生
毎年の夏の厳しさは増すばかりです。
夏の暑さをのりきるためには、エアコン
は必要ですが、汗をかかなくなると腎
臓に負担がかかり、代謝も落ちて体力
が衰えます。
また肝臓にも疲労が蓄積します。
腎臓が疲れると何事も億劫になります。
肝臓が疲れると何事にも耐えられず、
イライラして切れやすくなります。
無気力なのに、すぐに逆切れする現
代の風潮がより濃厚となります。
本人にとってもあまり心地のよいこと
ではありません。
少しづつ回復するには冷たいものを
避けることからはじめます。
飲み物もお酒も冷たいものは控えて
温かいものに切り替えます。
そして何よりも身体に沁みるような美
味しさを感じるのは、暖かな汁気のも
のです。
みそ汁やけんちん汁、麺類のつゆ
など、肝臓が疲れると塩分も必要な
ためもあってとても満足感があります。
また疲労には酵素も必要なこともあり
果物も美味しく感じます。
秋は量を食べるのではなく、美味し
いものを少しづつ摂るのがいい時期
です。
秋に肝臓や腎臓の疲れをとってお
かないと、冬の寒さを乗り切れず、
冷えに対処できないため、心臓や
脳の血行の問題や体力の低下をお
こします。
汗をかきにくい時期ですが、ほんのり
と汗をかいて、冷やさないようにする
工夫が求められます。

晴屋の青い扉 その92 内なる辺境に生きる その2 「70年代の八百屋」

晴屋の青い扉 その92
内なる辺境に生きる その2
「70年代の八百屋」

1970年代は、1954年生まれの私が
16才から26才までの、最も多感で
不安定な時期だった。
戦後の復興は進み、多くの人が食
べるにはさほど困らないけれど、豊
さが実感できるほどではない。
一方で経済優先によって置き去り
にされたつけが現れ、公害や環境
汚染の問題も一部には取り上げら
れはじめてきた。
活気はありながらも先の見込みは
立たず、手軽な楽しさと閉塞感が
同居する屈折した感情が渦巻い
ていた。
こうした圧縮した感情がぶつかりあ
う時には、芸術的には面白いもの
が生まれる。
ビートルズが一世を風靡し、ロック
が台頭する。
ポップアート、映画の新しい波が
押し寄せ、クラシック音楽でも古楽
という新しい発想が生まれている。
20代後半で、有機農産物の仕入れ
センターJACに参加した頃、私より
少し上の世代、30代半ばの人たち
が八百屋を始めている。
子供がいて、これから経済的にも
厳しくなっていくことが予想される
人たちが、なぜこの時期に始める
のだろうと、まだ子供がいない私
は不思議に思っていた。
そうした人たちの大半は学生運動
の経験者だった。
自分ができるギリギリ最後の決断
として仕事を変え、八百屋を選んだ
のだろう。
一方、ナモ商会やJACの創始者た
ちは、コミューン(共同体)運動が出
自だ。
社会の制約や責任に捉われず、
自由に気ままに暮らすことを生きる
悦びとしていた。
伸びやかで、屈託なく、フレンドリー
だけれど、締まりがなく、自他への
甘さがある。
すでに整体法(野口整体)と出会い、
個としての宇宙、宇宙としての個の
感覚を知っていた私には、地球は
ひとつ、すべての人と通じることが
できるというヒッピー的な曖昧な感
性に身をゆだねることはできなかっ
た。
学生運動も学生時代を過ごした70
年代にはすでに、形骸化していた。
反権威という名の権威が支配し、
すでに上で決まっていることをなぞ
っているだけの会議が延々と続く。
理想の残り香があるだけだった。
八百屋の中のこの二つの流れは、
はじめはとてもうまくいっていた。
けれど次第に手段と目指すものは
別のものとなり、数年後は決別し、
分裂してしまう。
まだこの時期は出会いの蜜月だっ
た。
その時代に竿さして生きようとする
双方の良さも分かってはいたつも
りだが、どちらにも精神的には加
われなかった。
ここでも私は浮いた存在となる。
会議の場で、テクノクラート不要論
という暗に私を否定する話題もで
てきた。
仕事はこなすし、生産者たちにも
受けはいいけれど、心が通じない
人間として遠巻きに扱われる。
精神的、経済的にも東京の中の
辺境にあっても、私はさらに片隅
にいた。
JACでの仕事は主に野菜の集荷と
仕分けだ。
早朝に産地まで古い4tトラックで
野菜を引き取りに行き、帰ってから
仕分けて配達する。
中央線沿線沿いの店舗や、その頃
にはまだ多くいたリヤカーでの引き
売りのために野菜を深夜、届ける。
明け方帰宅し、仮眠したら、昼過ぎ
には事務所にしていた古いバスの
中で、野菜の注文を受けて、生産
者に発注する。
高速道路高架橋に半ば占拠した
雨をしのげる塀の中にその当時の
JACはあった。
いつも資金不足で、週に2~3万が
給料として手渡された。
お金がない中、ガソリン代を持って
産地に野菜を集荷にいく。
畑を見て回り、野菜の様子を聞き、
育て方や天候とのかかわりを知る。
土を手に取って感触を確かめ、時
には口に含んで味覚や嗅覚で確
認する。
五感を使い、感覚と知識をすり合
わせて経験を蓄積できる貴重な体
験だ。
お昼時に行くと、ご飯も食べさせて
もらう。
野菜や環境、農家の暮らしや食べ
物と直接向き合うことができる。
茨城の玉造、渥美の土百姓、北軽
井沢など、季節によっていろいろな
ところへ行った。
その中で一番印象的だったのは、
山梨の長坂だ。
八ヶ岳の山麓にあり、正面に甲斐
駒ケ岳が大きな存在感を誇り、遠く
北岳も見える。
その左手には富士山も見えて360
度のパノラマが、文字通り長い坂
から遠望できる。
そして森が多く残っていて、四季を
通じ静けさが支配して、美しい。
多くの生産者を見て回ると、森を
持つ人とそうでない人の農業の姿
勢や野菜の味の違いを感じる。
もちろん経済的ゆとりということもあ
るのだろうけれど、森とともにある人
たちはどこかゆったりし、できた野
菜の味も伸びやかで、豊かだ。
森から流れる栄養豊富な水や、落
ち葉で作る堆肥、品種の選定や間
引きの仕方など多くの要素が加わ
っての結果だろうけれど、森を背後
にかかえていることにひとつの力を
感じる。
森に囲まれた長坂は理想的な場所
に思えた。
しかし、しばらく付き合ってみると、
人とのつながりとしての自然にも
向き合わされる。
よそ者である私たちが、森を歩いて
もあまり問題にはならない。
「もの好きな都会の連中がまた来て
いる。」という程度だ。
けれど一端、地元の人間と認知さ
れると話は違う。
何のために入ったのだろうと寄り合
いで話題になる。
取り分け、土地の区分を証明する
杭の位置には神経を尖らせる。
私たち都会人にとっては誰のもの
でもない自然である森も、そこに暮
らす人たちには誰かの所有物であ
り、財産なのだ。
森を歩くのも遠慮がちになり、機会
も少なくなる。
そこに生きる覚悟がないものにとっ
ては、何のための自然か分からなく
なる。
もちろん長坂に限ったことではない。
日本中どこでも同じだろう。
そして当時のテレビの影響の強さ、
東京の一元的価値観への志向も
異様なほどだった。
東京のあり方に矛盾を感じていた
けれど、東京が変わらなければ地
方の良さも、自然の美しさも保てな
いと思い知らされる。
自然の豊かな美しさも、都会や人
とのかかわりの難しさも教えてくれ
たのが長坂だ。
私は生産者になることを諦め、八百
屋として東京で生きる決心をする。
そして1980年9月、晴屋のトラックの
引き売りが始まった。

晴屋の青い扉 その91 内なる辺境に生きる その1 「真夏の感覚とシティロード」

晴屋の青い扉 その91
内なる辺境に生きる その1

「真夏の感覚とシティロード」
暑く、厳しい気候が続き、それに
対処しようと、愚かな頭を置き去り
にして、私たちの身体は命の力を
ふり絞る。
免疫機構はフル稼働で、エネルギ
ーを消費し、疲れが蓄積する。
肝臓や腎臓にも負担がかかって、
身体は重く、だるく無気力に沈み
ながら、モヤモヤと当てどない要求
が、いたたまれずに出口を求める。
子供たちはメキメキと成長し、老人
はメッキリ衰える。
真夏は、無事に過ごすのが難しい
明暗を分ける季節だ。
この時期の暮らし方が、一年の健
康状態や老いの進行に大きな影
響を与える。
身体の疲労も極限まで達し、心も
精神も追い詰められた、この季節
特有の感覚がある。
私が「夏の感覚」と呼んでいるこの
状態になると、世界の風景が突然
今までと違うものになる。
疲れて重い身体、痺れて思い通り
に動かない頭、前向きなことをなに
ひとつ思いつかない意識を超えて、
眠っていた何かが覚醒し、大きな
イメージが立ち現れる。
今、目の前に映るもの、見えては
いないけれど日常にかかわる人
たち、しばらく会っていないけれど
印象に残る人などが、私の周りを
取り囲むように隙間なく埋め尽くす。
近いものも、遠いものも、みなそれ
ぞれの役割を果たしている。
現在だけでなく、過去のものたち
も、幾層にも重なってそこにある。
全てを同時に見渡し、それぞれの
必然で生きているのを感じながら、
私はひとり、動くこともできないまま、
そこにいる。
疲れ果てた末の妄想かもしれない。
普段は過去や、周囲をしっかりと
見ていないだけかもしれない。
けれどこれこそ、私にとっては真夏
の感覚だ。
時折おとずれるこの感覚に引き寄
せられながら、今年は昔のことを
話す機会も与えられ、過去を振り
返ることが多くなっている。
たまたまであるかもしれないし、今
までのことに向き合う歳になってき
たのかもしれない。
他にも理由があるのかもしれない
が、小泉さんに会う機会が多いこ
とも切欠となっているだろう。
小泉卓史さんはデザイナーで、そ
の朴訥で真摯な姿勢をかわれて、
シティロードという雑誌で編集長も
兼ねていた。
子供たちが独立した今は、仕事も
少し続けながら、趣味での木工を
楽しんでいる。
ポップな感覚にあふれた趣味の良
さと、価格の安さ、誠実な人柄を感
じる暖かな作品は、晴屋の周囲で
支持され、枉駕での即売会も好評
だ。
40年の付き合いの間、たびたび会
っていたわけではなく、細々とした
付き合いが続いていた。
けれどある日、「深大寺のフリマに
行ったけど、全然売れなかった」と
いう話に反応し、「じゃ、あるんでし
ょ、見せてよ」と車に乗った家具た
ちを見たことから、話は展開し、晴
屋の看板を作ってもらったり、晴屋
で働いてる市村さんがダイニング・
テーブルを注文したりして、会う機
会が突然に多くなった。
少食だと言いながら、残り野菜で
作るボリュームたっぷりの晴屋の
まかないも「美味しい」と、楽しむよ
うになった。
「シティロード」は、「コンサートガイ
ド」というフリーペーパーを前身と
した情報誌だ。
東京の情報全般を扱う月間の雑誌
の編集に、八百屋を始める前の数
年たずさわっていた。
及川正通氏のイラストを使った表
紙も印象深い、ポップさを前面に
うちだした「ピア」がライバルである
というよりはメジャーで、こちらはマ
イナーで、ややマニアック、少しア
ンダーグラウンドな雰囲気を漂わ
せ、それが一部には支持を受けて
いた。
西新宿の、建築科の学生が見学
に来るほどの古い古いビルの3階
の狭い編集室に、時折、スキンヘ
ッドで眉毛もなく、黒装束の男たち
が訪れる。
そういう人たちは、もちろんとても知
的に洗練されていて、礼儀も正し
いのだけれど、反社会性だけは譲
れない。
見るからに妖しい人たちもいるし、
妖しい臭いを漂わせている人も出
入りする。
映画、音楽、演劇などにそれぞれ
担当者がいるけれど、私はイベント
やライブハウスといったメジャーが
絡まない、マイナーなものを拾い
集めるのが仕事だった。
集まってくる情報を整理し、時折興
味の惹かれるものがあると取材し、
文章で取り上げる。
SMショーなど飛んでもないものま
でやってきて、新しいもの、知らな
いものに出会う面白さがあった。
有機野菜流通の草分けである長
本兄弟商会などを中心に、西荻窪
に起こりつつあったカウンターカル
チャーの新しい波に興味を感じ、
当時の「西荻フリースクール」現在
の「ホビット村学校」も積極的に取り
上げ、私自身も参加した。
後年屋久島に行った詩人で、共同
体運動のカリスマであった山尾三
省と、並んで野菜の袋詰めをした
のも懐かしく、つい昨日のことのよ
うに感じる。
雑多なことの中にひそかに結晶す
る真実を見つけたようだった。
東京は、エネルギッシュで、圧倒的
に膨大だけれど、情報の出所は実
はそう多くはない。
続けていると、一定のパターンが
感じられるようになってくる。
メジャーな情報に絡んでやってくる
「業界」の雰囲気も鼻につく。
結局は自分が作る立場にならない
と、何も変わらないのだろうと思った。
長本兄弟商会、通称ナモ商会も
経営は厳しい状況が続き、仕入れ
部門を独立させて経済を立て直す
ことになり、「ジャパン・アグリカルチ
ャ・コミュニティ」通称JACジャックが
動き始める。
いずれは百姓になろうと思ってい
た。
農業の現場に触れ、入植の機会も
見つかるかもしれないと、開始して
そう時間がたっていないジャックへ
の参加を決めるのに迷いはなかっ
た。
私を引き留める人はいない。
みな、その場にそぐわないと気づ
いていたに違いない。
マイナーなシティロードの中でも、
周囲に染まらない偏屈な存在であ
ったのだ。

晴屋の青い扉 その90 トラックの引き売りと「モンテレッジォ  小さな村の旅する本屋の物語」

晴屋の青い扉 その90
トラックの引き売りと「モンテレッジォ 
小さな村の旅する本屋の物語」

免停が明け、一か月ぶりにトラック
の引き売りが再開した。
すべてのエネルギーを剥ぎとって
身も心も干乾びさせるような炎天下
の中、たくさんのお客さんたちが
きてくれた。
毎週の引き売りはもう38年間続け
ている。
そのうちの4週を連続で休むのは
はじめてのことだった。
もう忘れられてしまったかなと思っ
たけれど、私もふくめて高齢者が
多くいるので、新しいことには馴染
めなくても昔からのことは忘れずに
続けることができる。
品物や人間への互いの信頼が途
切れることがないというのは、とても
有難いことだと感謝した。
引き売りを休んでいる間は少し時
間の余裕があったので、店の改装
にさく時間ができた。
この時間があれば、この棚とあの棚
が直せると思いつくと、もう止まらな
い。
人参が目の前にぶら下がった馬に
なり、疲れも忘れて仕事は進んだ。
周囲になじんだ、あまりに自然な
仕上がりなので、ほとんどの人は
気が付かないけれど、これはある
意味とても上手くいった証なのだと
内心、充実感がある。
そしてもうひとつ出来たのが本を読
むことだった。
日頃、忙しさに流されて本を読む
ことはほとんどない。
どうしても必要に迫られて年に一、
二冊が精いっぱいだ。
それが思いがけない時間の余裕
があって何冊かの本を楽しむこと
ができた。
その中で一番印象に残ったのは、
イタリア在住のジャーナリストで、
エッセイストでもある内田洋子さん
の書いた「モンテレッジォ小さな村
の旅する本屋の物語」だ。
内田さんがお気に入りで、必ずよ
る古書店がヴェネチアにある。
センスよく、山と積まれた本たちは
それぞれの居場所がある。
店主に何かをたずねると、必要な
もの、新しい世界を拓いてくれるも
のをその中から的確にとり出して
くる。
さり気なくすすめてくれるその知識
とセンスに感嘆していたのだけれ
ど、店主たちがモンテレッジォとい
う過疎の山村の出身であることが
分かることから話ははじまる。
周囲が栗林に囲まれた村で、川に
ある石以外に売るものがない。
石をかついでの行商が、同じ重さ
の本を持ち歩くようになっていく。
忘れられ目にふれることのない
古本、日の当たらない新刊書たち
に光を与えて、人の手に手渡す。
それは文化に飢えた人にうるおい
を与えるだけでなく、新しい運動も
育てていった。
列強によって分割され、属国化し
ていたイタリアの統一運動に力を
与え、第2次世界大戦中もファシス
トへのレジスタンス運動を支える禁
書を届けた。
暮らしのためではあっても、命や
生活をかけての地をはうようにしぶ
とく、血の通った仕事だった。
トラックの引き売りをいまだに続ける
晴屋だけれど、文化やレベルの違
いはあっても、暮らしに根差した反
骨という共通のものを感じて心強い。
一人や二人でなく、村人ほぼ全員
が本にかかわり、独特な感覚を育
んでいった。
イタリア全土を超えて活動は広がり、
出版社もまきこむものとなった。
本の新企画が適切かどうか問い、
価格もまかせて村に託す。
そしてモンテレッジォを中心として
「露天商賞」というイタリアで支持さ
れている本にかんする賞も始まる。
ふだんは過疎といってもいい静か
な村が、夏の授賞式には出版社
などもふくめ多くの人が集まり、活
気づく。
そしてその時期は、村人たちの帰
省の時とも重なる。
特産の栗を使ったパスタなど素朴
な美味と人情が待っている。
本を扱う仕事を続けている者も、そ
うでない者にとっても、村に帰るこ
とは大きな悦びである。
モンテレッジォは、心の故郷であり、
生きる支えであり、何より誇りなのだ。
長い歴史と暮らしに根付く文化、
生きる重さと本のずしっとした手ご
たえ。
それらが失われつつある現代だか
らこそ、持つ意味はより大きく深い。
晴屋三十数年の歴史など足元に
も及ばないけれど、歩いている方
向に間違いはなかったのだと、改
めて感じる貴重な時間だった。


「モンテレッジォ 小さな村の旅する
本屋の物語」は、方丈社刊、本体
1800円 2018年4月初刊です。
素敵なカラー写真多数、カバーも
心にしみます。

暑さへの対処

暑さへの対処
厳しい気候が続いています。
気温が高いだけでなく、湿度もあるた
め、雑菌が繁殖しやすく、免疫機構
に負担がかかっています。
そのため身体は良質のミネラルや
酵素を求めています。
汗によって体内のミネラルが失われ
るため、バランスの良いミネラルがど
うしても必要になります。
ミネラルの欠乏で免疫力は制限され、
無気力になったりもします。
また酵素は免疫が働くためには絶対
に不可欠の成分です。
体内でも作ることができますが、それ
にはエネルギーを必要とするので、
食物としてとる方が効率がいいので
す。
酵素はたんぱく質の一種ですが、そ
の種類によって様々な働きをします。
ただ加熱すると壊れてしまうため、
生のまま食べるのが有効です。
話題の甘酒などの発酵食品は酵素
の宝庫です。
きゅうりに味噌をつけて食べるなどと
いうのは全く理にかなった夏の食事
です。
果物にも酵素は豊富に含まれていま
す。
チーズやヨーグルトも美味しく感じ、
実際に有効です。
「醍醐のしずく」というお酒も酵素が
豊富でとても美味しく感じます。
酒かすももちろん役にたちます。
水分もたっぷりとり、汗もしっかりかい
ても、それでも腎臓にかかる負担は
大きく、尿が茶色だったりします。
免疫が働いて老廃物を体外に排出
しているのです。
腎臓がくたびれると無気力で、身体が
動かなくなります。
尿と汗は同じ成分なので、できるだけ
汗として排出すれば腎臓の負担は
軽くなります。
腎臓がくたびれたまま秋になると、今
度は夏の疲れが肝臓にいき、腎肝同
時に疲れて身動きがとれなくなります。
できるだけ汗をかいたほうがいいのは
そのためです。
この暑さのため、エアコンは不可欠と
思いますが、温度は汗をうっすらかく
程度で29~30℃をおすすめします。
またこの時期の首の冷えには特に
注意が必要です。
汗をかいたまま冷たい風にあたると
即座に冷えてしまいます。
再度すぐに汗をかくと回復しますが、
内攻して長期化すると身体に大きな
負担をかけます。
内臓に負担がかかり、働きが弱まって
食欲不振や栄養の不足となり、体力
の衰えと免疫の低下で余計に身体が
弱ります。
冷たい飲み物に頼っていても同じよ
うに内臓が弱ります。
冷たいものを摂っても、その後に熱い
お茶や味噌汁をとることで感覚はリセ
ットし、冷えを回避できます。
また首にタオルをまいておくと、適度
に汗をかきながら、冷えないように
吸い取ってくれるので、冷えの予防や
体力の維持に有効です。
始めはベタベタとしている汗ですが、
身体の老廃物をだしきってくると、さ
らっとして、まとわりつかないものに
変ってきます。
本当に身体に有効な汗はそうしたも
のですが、なかなかそこまで出し切る
のには時間がかかります。
冷えをそのまま放置すると、内蔵だ
けでなく、循環器系にも問題が生じ
ます。
血行が悪くなるので、体力が落ちま
すが、首の冷えは特に頭の血行と
関係があります。
冷えることで首が硬くなり、血行が
悪くなります。
人間は血の半分以上を頭で使って
いるそうです。
左側から上り、右から下がってきます。
左の首が硬いと血の不足で頭が働
かず、右が硬くなっていると血がた
まって頭の中が勝手に無余分なこと
を考えてまとまりません。
何れの状態も脳梗塞の原因となり
ます。
首は決して冷やしてはいけない大
事な場所なのです。
暑さを感じなくするために首に冷た
いものをまいたりするのは、その時は
心地よくても病気を作るもとです。
絶対に避けていただきたいことです。
唯一冷やすのが有効なのが、熱中症
の時に、頭のてっぺんを冷やすこと
で、タオルに氷を包んでのせると、症
状の緩和に役立ちます。
暑さへの対処として20分から40分
ほどの昼寝はとても有効です。
本当は暑い時は働いてはいけない
のですが、残念ながらそうも言って
いられません。
時間の許す方はご利用下さい。
また湿気が多いために呼吸器もくた
びれやすくなっています。
同じだけ肺が動いても、湿気がある
と酸素の吸収が少ないのです。
そのため余分に動かざるをえません。
またこういう時は、睡眠しても酸欠
状態のため、疲れがなかなか抜け
ません。
気温が25℃以上だと熟睡できない
ようですが、それとあいまって、余計
に疲れが蓄積します。
夏は老人にとって本当に疲れる時
です。
子どもはメキメキ成長し、老人はメッ
キリ衰える明暗を分けるときです。
そういう意味でこの時期をどう過ごす
かで、この一年の過ごし方が左右
されるとても大事なときです。
暑さをやりすごしながらも、先の楽し
みを維持できるような過ごし方が、人
の嗜みとして試されます。

アバドと静寂の音  番外その3「荒ぶる魂とえにし」 ヴェルディ「レクイエム」

アバドと静寂の音 
番外その3「荒ぶる魂とえにし」
ヴェルディ「レクイエム」
  ベルリン・フィルハーモニー 2001年

ヴェルディのレクイエム(鎮魂歌)は、モ
ーツァルト、フォーレと並んで、3大レク
イエムと言われてきました。
神を誰よりも愛していたヴェルディです
が、そのためにかえって教会に対して
は批判的な立場をとり、ほとんど足を踏
み入れませんでした。
そんなヴェルディが書いたレクイエム
は、劇的で、美しく叙情的でありながら、
慟哭のような激しさもみせます。
この曲は最初、尊敬するイタリアの作
曲家の先輩ロッシーニの死にあたって
書きはじめられました。
他の作曲家を巻き込んでの記念碑的
な共作にする予定でしたが、他の作品
が間に合わず断念されます。
数年後、イタリアの魂と言われる文豪、
マンゾーニの死によって再度作曲が
すすめられ、今度は一人で完成させ
ました。
ヴェルディは高名になっても、マンゾー
ニに長らく会いにいくこともできないく
らい尊敬していました。
不器用で、朴訥で、誠実なのです。
ヴェルディの音楽の主題はいつも、愛
と死です。
ゴツゴツと無骨に周囲と突き当たり、最
後には悲劇的な死にいたります。
神を敬愛し、人一倍愛国心が強く、い
つも熱い血がたぎっています。
そんなヴェルディが持てるものすべて
を注ぎ込んだこの曲は、一部の心ない
批判を押しのけて、多くの人の魂に火
をつけ、支持されました。
アバドも、ヴェルディゆかりのミラノスカ
ラ座の音楽監督をしていた時以来、何
度も演奏をしてきました。
それも相当に用意周到に準備され、
オーケストラの力量、ソリストの歌手の
選定、コーラスの状態などがベストの
時をみはからって、節目の時期に定
期的に録音もしています。
スカラ座在籍時後期のまだ40代の若
いアバドの演奏がこの曲のスタンダー
ドとして世に受け入れられています。
みずみずしさと情熱にあふれ、きらめく
結晶のような美しさをみせています。
情熱を内に秘めることを好み、自身の
感性のきらめきで音楽を充たすことを
潔しとしなかったアバドですが、この曲
には積極的にエネルギーを注ぎます。
この演奏会は2001年の1月25日と27日
におこなわれました。
2001年は没後100年のヴェルディ・イ
ヤーですが、この日はちょうど命日に
あたります。
21世紀の幕開けとなる時期のコンサー
トですが、アバドはわずか数週間前に
胃癌の手術を終えたばかりです。
この演奏のためにすべてのスケジュー
ルを繰り合わせての復帰です。
合唱は、ミラノではスカラ座合唱団の情
熱的なものでしたが、今度は世界最高
と言われるスウェーデン放送合唱団な
どが務め、天の声が空から降りてくる
ような、力強く、透明な美しさです。
鼓舞するアバドに答え、ベルリンフィル
もふだんのクールな表情を捨て、熱の
こもった切実さで、情動を音にします。
声楽の4人のソリストも、激しく厳しい表
情と深い叙情を湛ています。
この演奏はDVDも出ていますが、ソプ
ラノのゲオルギューのアバドだけを見
つめて歌う真摯な視線に打たれます。
整った美しさ、アンサンブルの精度で
はスタジオ録音のスカラ座の方が上で
しょう。
しかし今のアバドははじめからそんなこ
とに興味はありません。
テンポは急変し、音と音がぶつかりま
す。
これまで室内楽的な静けさを追及して
いたアバドが、死の淵から帰って豹変
します。
希望も絶望も通り越し、内なる辺境と
向き合い、魂の叫びに身をゆだねます。
自ら選んで、仕えようと思った価値も
光を失いました。
生きるに値する価値などこの世にはあ
りません。
ただ生きること、音楽することだけに価
値があるのです。
全身から湧き出る音だけが、すべてで
す。
マンゾーニ、ヴェルディ、スカラ座、ア
バド、ベルリンフィル、スウェーデン放
送合唱団、声楽のソリストたち、遠くは
ロッシーニやモーツァルト、音楽の神
ミューズ、そして聴衆たち。
いくつものえにしが重なりあい、この時
があります。
音楽とは、生きることとはそういうもので
すが、これほどそのことを強く、美しく感
じさせる演奏はありません。
時間と空間を超えて続くえにしの余波
に、私たちも遠く連なります。
荒ぶる魂も、安息の時を迎えます。

小さな宇宙の作り方 その13 責務とつとめ

小さな宇宙の作り方 その13
責務とつとめ

最近のマスコミの話題の中心は、
日大アメフト部の暴行、安部首相
のモリカケ、MeTooに代表される
セクハラなど、社会の中での権威
と責任のあり方を問うものが目立
ちます。
巨大化し、複雑に利害が入り組ん
だこの社会では、誰がリーダーで
も大きな方針や政策の違いはあり
えません。
けれどその中でもごくわずか、もし
かしたらほんの1%に満たないかも
しれませんがトップの裁量の範囲
はあるでしょう。
こうした利権は今の世の中に始ま
ったことではありませんが、巨大な
社会のピラミッドの頂点に立つご
く一部の人たちにより大きな権力
や利権が集中します。
全体からすればごく小さな割合で
も、大きな組織では個人では考え
られないような大きな金額が動き
ます。
上流、中流、下層というかつての
緩やかな階層ではなく、数%のごく
少数とそれ以外という圧倒的な格
差社会です。
一方、情報システムも巨大化して
速度をより速め、インターネットで
瞬く間に情報が大量に拡散しま
す。
大きなシステムを動かす人たちに
とっても、このマスコミやインターネ
ットの動きを無視することはできず、
むしろ非常に気を使わざるをえま
せん。
そうした中で責任の取り方がますま
す世の中の注目を集めます。
責任を果たすことが生きている証
しであるように。
私たちは社会に対して責任がある
と教えられ、それを果たすのが社
会人の責務だと思ってます。
法律とマニュアルを守り、戦禍にさ
らされる子供たちの食べ物の心配
をし、マイノリティの権利を保障し、
後進国の教育を推し進めようとし、
環境への配慮も求められます。
それをしなければ世界に対する
責任を果たしていない、多くの人
が責任を果たさないために、世界
はいつまでも良くならないのだと
思わされてます。
それに対して、イリイチやフーコー
等の先進的な社会学者たちは、
「責任などというものは無い」と言い
切ります。
人間はいつも進歩するものだとい
う前提に立った、社会が作った幻
想でしかなく、世界を支配する巨
大なシステムを維持し、補完する
ためのものだというのです。
違う会社、別の国では、要求され
る責任は変わり、その場だけのもの
で、永続的ではありません。
けれどそうした社会的な責任でな
く、ひとつの命であるからには、命
として全うせざるをえない責任も
あります。
この世に生まれて命を輝かせなけ
れば、生きている意味はありませ
ん。
また命同志としてつながっている
人たちへの責任も当然あります。
こうした責任は「つとめ」と呼ぶ方
が似つかわしく感じます。
本能的であり、自然発生的であり、
命が続く限り不変です。
それに対して社会が要求する責任
は立場が変わればまったく別のも
のとなってしまう「責務」です。
責任として同じように見え、区別し
にくく、現実にはつながっているこ
との多いこのふたつを分けて見
ないと、私たちは何のために生き
ているかを見失ってしまいます。
報道されるニュースへの興味と違
和感も、責務がひとり歩きすること
への共感と反感の葛藤です。
人とつながることに快感を感じる人
たちが、政治や権力に興味を感じ
ることは当然でしょう。
けれど、命の自然なはたらきから
離れると、とてもグロテスクなもの
に変質してしまいます。
それは彼らだけでなく、私たちの
身のまわりにも同じように起こりえ
ます。
10人にも満たない晴屋の責任でさ
え、私には重くのしかかります。
これが100人、1000人、それ以上
の見知らぬ人たちにまで責任の
範囲が及ぶなど考えることもでき
ません。
クレームを言い権利を主張するこ
とと、裏返しにある責任を負うこと。
商品の選択の自由と便利さと引き 
換えに、社会システムへのより強
い呪縛が要求されます。
この連鎖を断ち切って、小さな社
会を再構築するには、責務とつと
めをはっきりと区別する生活と文
化が求められます。

アバドと静寂の音  番外その2「宇宙につながる身体」 ワーグナー管弦楽曲集

 

アバドと静寂の音 
番外その2「宇宙につながる身体」
ワーグナー管弦楽曲集
  ベルリン・フィルハーモニー 2002年
ひそやかに音が鳴りはじめると、空気
が震え、何かが目覚めます。
何気なく今までここにあった空間が凍
りつき、その中身をあらわにしながら
遥か彼方からの力にひかれ、ゆっくり
と背後に吸い寄せられます。
その動きに後頭部や背中があやつり
人形のように引きこまれていきます。
遠いブラックホールに吸いこまれるよう
に、自由は奪われ、麻痺した身体と心
は、広大な空間に鳴りひびく音の波に
ゆだねるしかありません。
身じろぎもできず、虚無であるはずの
空間と一体になって星々の中をあてど
もなく進みます。
ワーグナーの楽劇は神々の世界の物
語ですが、人間以上に人間臭い葛藤
とドラマがあります。
宿命とエゴの狭間で、血と、汗と、涙が
流されます。
けれどアバドの演奏からは、肉体的な
生臭さが感じられません。
宇宙に永劫に続く物語のひとこまとし
て、抽出され結晶した精神のエッセン
スです。
ベルリン・フィルの前任者だったカラヤ
ン、その前任でアバドの憧れの人であ
ったフルトヴェングラーのワーグナーも
素晴らしいものでした。
カラヤンはこの世の物とは思えない、
美しく艶やかな世界を繰り広げます。
滑らかに磨かれ、ライトアップされた
地底の王宮です。
限りなく妖しい世界です。
フルトヴェングラーはドイツの暗い森に
深く入り込み、ファンタジーの世界に
迷い込んだようです。
深い思索が想像の羽根をえて、常に
流転しながら高みを目指します。
この二人の後を継いだアバドは、偉大
な前任者たちの影響を避けることはで
きません。
周囲からも比べられたでしょうし、アバド
も意識したことでしょう。
この演奏は任期の後期のものです。
カラヤンの磨き抜かれた妖艶と、フルト
ヴェングラーの変幻自在のファンタジ
ーは、アバド流に捉えなおされ静謐な
光による精神のドラマになっています。
大変な読書家であったアバドの磨き
ぬかれた知性と、鍛えて研ぎ澄まされ
た感性は世界の扉を拓くための鍵で
す。
宇宙の彼方の星がどうなっていようと、
私たちのくらしは変わりません。
超新星が爆発し周囲が破壊と創造の
渦に巻き込まれていても、私たちには
あまたの星のひとつが、ほんの少し光
をましたにすぎません。
たとえ宇宙の片隅での、宇宙の永い
時間の中ではほんの一瞬にしかすぎ
なくても、私たちはそんなことに関係な
く生きていけます。
しかしそれでも私たちは宇宙の子であ
り、互いの存在なしにこの世はありま
せん。
ミクロの宇宙である私たちの細胞ひと
つひとつ、それが繋がってできた銀河
のような生命、数限りない生命を宿す
地球、太陽系、天の川銀河、そしてマ
クロのさらに広大な宇宙。
それらをつらぬく一筋の光がこの演奏
です。
宇宙は神秘でありながら身近であり、
静けさの中にもダイナミックな宇宙の
動きが息づいています。
アバドは持てる力をすべて開放してこ
の高みにいたりました。
ワーグナー音楽は、王族に愛され、ナ
チスに利用されました。
権威と結びやすいナルシズムと男の
妄想をはらんでいます。
けれどアバドはすぐれた知性で、権威
的な要素をそぎ落とし、永遠を求める
美への要求だけを抽出しました。
アバドにしかできない世界です。
「タンホイザー序曲」にはじまり、「パル
ジファル」からの組曲、「トリスタンとイゾ
ルデ」より前奏曲と愛の死が続きます。
静謐な叙情が胸に迫ります。
国内盤ではこの後に「ヴァルキューレ
の騎行」という大変に威勢のよい音楽
がボーナストラックとして入っています。
残念ながらこれは蛇足で、興ざめとな
ってしまいます。
輸入盤を手に入れるか、愛の死が
終わったらすぐに再生をとめることを
おすすめします。

呼吸器と眼の疲れへの対処

呼吸器と眼の疲れへの対処
乾燥して埃や花粉が多く、呼吸器に
負担がかかっています。
器官には繊毛がたくさんあって、埃
や雑菌が肺に入らないよう守ってい
ます。
湿気があれば繊毛はうまく働いて、
外に排出しますが、乾くと出せない
ので咳をして出すしかなくなります。
どうしても呼吸器に負担がかかり、
眼や全身の疲れに直結します。
休むことなく働き続ける眼に、蛍光
灯やLED照明や野外の紫外線が
さらに追い討ちをかけて疲れをま
します。
眼が疲れると迷走神経も緊張状態
となります。
迷走神経は後頭部から首を通って
肺などの呼吸器とつながっていま
す。
わざわざな長い経路を迷走する
ため、迷走神経と名づけれらてい
ます。
本来は顔の筋肉を司る神経でした
が、海から陸にあがる進化の過程
で肺などの筋肉が必要になり、下
まで持ってきたために迷走してい
ます。
そのため少し無理があって疲れや
緊張がたまりやすいのです。
眼の疲れが呼吸器の疲れを呼び
起こします。
人間は食べなくても一週間以上
生きられます、
水は3日間くらいは飲まなくてもも
ちます。
けれど呼吸は3分ほどできなけれ
ば死にいたります。
呼吸器が疲れるとすぐに体力が
落ちてしまい、動けなくなります。
また春や秋の季節の変化の時期
には呼吸器にも余計に負担がか
かります。
春の欝や五月病、秋のメランコリー
な気分はそうした表れです。
気持も暗くなり内に閉じこもります。
またその反動として妙なハイテン
ションになったりもします。
躁と欝が交互にやってきて自分を
見失います。
呼吸器が疲れると酸素が不足する
ために寝ても疲れが抜けません。
また昼と夜が逆転して、昼はぐっ
たりしているのに、夜になると元気
になって眠れなくなり、ますます疲
れが蓄積します。
そしてあり得ないものにしか興味
がもてなくなり、妄想やゲームの
世界にひたります。
こうして私たちは個の世界に閉じこ
もり、生命の力を衰えさせています。
また、眼と肝臓の働きにも密接な
関係があり、肝臓にも負担をかけ
ます。
肝臓は身体の中の毒や老廃物を
排出する働きがあります。
肝臓が疲れると毒がたまって身体
の中が汚れてしまいます。
心と身体がいっしょになって動い
ている私たちは、感情の中の毒素
も肝臓で処理しています。
それが滞ると、イライラして怒りっぽ
くなり、簡単に切れやすくなります。
眼の疲れは現代の病的な生活感
と極めて密接な関係があります。
みんなそうなのだから、自分もいっ
しょでもいいという考え方もありま
すが、それではあまりに世の流れ
に身をまかせ、自分を失います。
眼の疲れに対処するには、自分
でケアするしかありません。
目薬や冷やすことはとりあえずの
痛みや疲労感を感じなくしますが、
それはごまかしで、疲労は回復さ
せてくれません。
まずはできるだけ画面から遠ざか
り、見る機会を減らします。
また針仕事や読書、細かな手仕事
も明るい場所で時間を限ってやり
ます。
疲れは冷やすのでなく、温めて働
きを高めて、休め、ケアします。
眼の温湿布はだれにでもできて
効果は確実にえられます。
こめかみには眼の神経が通って
いて、眼の疲れを表現しています。
偏頭痛も多くは眼の疲れです。
眼だけでなく、こめかみもいっしょ
に温めます。
洗面器等に熱い湯を用意し、タオ
ルを何度か温めなおしながら、20
分ほど楽な姿勢で眼を温めます。
この時だれかに補助してもらって、
タオルをかえてもらうと効果はより
増します。
一日の終わりにこれをすることで、
熟睡でき、日々の疲れに対処で
きます。
もう少しかんたんな方法としては、
耳たぶの外側の固くなっている処
をぎゅっとつかんで、外に強く引っ
張るという方法もあります。
意外なほど痛いものですが、効果
はしっかりあります。

分けありの食べ物たち その8 小麦のちょっと微妙な話 その2

分けありの食べ物たち その8
小麦のちょっと微妙な話 その2

以前にも小麦のことを書きました。
何人かの方は、小麦を食べるのを減
らし、それなりに体調も良いようです。
免疫の変化なので、人によって違う
のですが、疲れが抜けやすくなり、頭
のボーっとした感じがなくなるのはみ
なさん共通の感覚のようです。
ただずっと気になっていたことがあり
ました。
1960年代の小麦の品種改良以前の
小麦ではいったいどうなのだろうとい
うことです。
今回いろいろと調べてみて、まず興
味深かったのが、アメリカで行われた
品種改良が実は日本の品種によるも
のだということでした。
農林10号という、背が低く倒れにくい
小麦が日本で作られましたが、湿気
に弱かったため国内では定着しませ
んでした。
それがアメリカに渡って、あちらの品
種とかけあわせ、背が低く倒れにくく、
化学肥料をまいて量産が可能な小
麦ができたということでした。
それは「緑の革命」と称賛され、60年
代のアジアの食糧危機が一気に解
消されました。
しかし良いことばかりではなく、小麦
アレルギーやグルテン不耐症などが
増えていきました。
グルテンさえ摂らなければ、防げる
のかというどうもそう単純なことでは
ないようです。
農薬や化学肥料、品種やたんぱく質
以外の主成分であるでんぷんの質
などともかかわりがあるようです。
まだまだ科学的にも解明されていま
せん。
グルテンは、グリアジンとグルテニン
というふたつのたんぱく質が結合して
できます。
長く伸びるグリアジンと弾力のあるグ
ルテニンがいっしょになって、パンや
生麩のような弾力と粘りがうまれます。
その性質が腸内で悪さをして、腸壁
を傷つけ、免疫力が落ちるのが、グ
ルテン不耐症です。
このふたつのたんぱく質が両方とも
あるのは小麦粉だけなので、なるべ
く小麦を食べずグルテンを摂取しな
ければ良くなるというわけです。
しかし問題が起きにくいと言われて
いる古代小麦にも量は少なくても含
まれています。
そして今回の主役の農林61号です。
農林61号は1930年代に作られた
品種です。
当然、危険で強い薬剤や放射能を
使った無理な品種改良はされていま
せん。
以来、麺に最適な品種として重用さ
れてきました。
この小麦粉だと問題が起きない人が
多いというのです。
けれど中力粉である農林61号は、む
しろグルテンの量は薄力粉に比べ
少し多いのです。
グルテンの量だけでは決まらないの
です。
ネットの情報では分からず、小麦の
プロである人たちにも聞いてみまし
た。
けれど明確な答えはありません。
むしろ、でんぷんの性質によるので
はないかという推測でした。
農林61号で作ったうどんは、のど越し
はあまりよくありません。
少しぼそつく感じです。
ツルっとしたのど越しが好きな人た
ちにはあまり支持されません。
私のようなそば好きの人たちは間違
いなく好きなタイプです。
その少しボソッとした感じがたぶん
腸に悪さをしない要因でしょう。
農林61号はミネラル分が多いため、
色が黒っぽくなっています。
それがなんらかの影響を及ぼして、
グルテンの粘りを少なくしているのだ
ろうと推測しました。
そして晴屋には農林61号を使った
うどんがあります。
「黒うどん」という栃木の小麦を使っ
たものです。
少し高いため、たくさんは売れません
が、独特の風味と美味しさがあって
私を含めてファンがいます。
小麦粉を食べないようにしていたの
で、しばらく遠ざかっていましたが、
実験として食べてみることにしました。
他の小麦はいっさい食べないように
し、一日一回は必ず食べてみました。
小麦を食べると下痢をする傾向にあ
る私ですが、その症状まったく出ず、
むしろ少し便秘ぎみです。
春の体の変動が多い時期で、雨が
降らず乾燥気味なので、水分の不足
のための便秘の可能性の方が大き
いような気もします。
けれど大きな問題はないようで、これ
ならみなさんにおすすめできると感じ
ました。
まだ粉として、てんぷらやお菓子な
どに使っていないのでどれだけ生活
に取り入れられるかわかりませんが、
ひとつの可能性が見えました。
黑うどんは250gで370円で、太めと
細めの2種類があります。