アバドと静寂の音  番外その3「荒ぶる魂とえにし」 ヴェルディ「レクイエム」

アバドと静寂の音 
番外その3「荒ぶる魂とえにし」
ヴェルディ「レクイエム」
  ベルリン・フィルハーモニー 2001年

ヴェルディのレクイエム(鎮魂歌)は、モ
ーツァルト、フォーレと並んで、3大レク
イエムと言われてきました。
神を誰よりも愛していたヴェルディです
が、そのためにかえって教会に対して
は批判的な立場をとり、ほとんど足を踏
み入れませんでした。
そんなヴェルディが書いたレクイエム
は、劇的で、美しく叙情的でありながら、
慟哭のような激しさもみせます。
この曲は最初、尊敬するイタリアの作
曲家の先輩ロッシーニの死にあたって
書きはじめられました。
他の作曲家を巻き込んでの記念碑的
な共作にする予定でしたが、他の作品
が間に合わず断念されます。
数年後、イタリアの魂と言われる文豪、
マンゾーニの死によって再度作曲が
すすめられ、今度は一人で完成させ
ました。
ヴェルディは高名になっても、マンゾー
ニに長らく会いにいくこともできないく
らい尊敬していました。
不器用で、朴訥で、誠実なのです。
ヴェルディの音楽の主題はいつも、愛
と死です。
ゴツゴツと無骨に周囲と突き当たり、最
後には悲劇的な死にいたります。
神を敬愛し、人一倍愛国心が強く、い
つも熱い血がたぎっています。
そんなヴェルディが持てるものすべて
を注ぎ込んだこの曲は、一部の心ない
批判を押しのけて、多くの人の魂に火
をつけ、支持されました。
アバドも、ヴェルディゆかりのミラノスカ
ラ座の音楽監督をしていた時以来、何
度も演奏をしてきました。
それも相当に用意周到に準備され、
オーケストラの力量、ソリストの歌手の
選定、コーラスの状態などがベストの
時をみはからって、節目の時期に定
期的に録音もしています。
スカラ座在籍時後期のまだ40代の若
いアバドの演奏がこの曲のスタンダー
ドとして世に受け入れられています。
みずみずしさと情熱にあふれ、きらめく
結晶のような美しさをみせています。
情熱を内に秘めることを好み、自身の
感性のきらめきで音楽を充たすことを
潔しとしなかったアバドですが、この曲
には積極的にエネルギーを注ぎます。
この演奏会は2001年の1月25日と27日
におこなわれました。
2001年は没後100年のヴェルディ・イ
ヤーですが、この日はちょうど命日に
あたります。
21世紀の幕開けとなる時期のコンサー
トですが、アバドはわずか数週間前に
胃癌の手術を終えたばかりです。
この演奏のためにすべてのスケジュー
ルを繰り合わせての復帰です。
合唱は、ミラノではスカラ座合唱団の情
熱的なものでしたが、今度は世界最高
と言われるスウェーデン放送合唱団な
どが務め、天の声が空から降りてくる
ような、力強く、透明な美しさです。
鼓舞するアバドに答え、ベルリンフィル
もふだんのクールな表情を捨て、熱の
こもった切実さで、情動を音にします。
声楽の4人のソリストも、激しく厳しい表
情と深い叙情を湛ています。
この演奏はDVDも出ていますが、ソプ
ラノのゲオルギューのアバドだけを見
つめて歌う真摯な視線に打たれます。
整った美しさ、アンサンブルの精度で
はスタジオ録音のスカラ座の方が上で
しょう。
しかし今のアバドははじめからそんなこ
とに興味はありません。
テンポは急変し、音と音がぶつかりま
す。
これまで室内楽的な静けさを追及して
いたアバドが、死の淵から帰って豹変
します。
希望も絶望も通り越し、内なる辺境と
向き合い、魂の叫びに身をゆだねます。
自ら選んで、仕えようと思った価値も
光を失いました。
生きるに値する価値などこの世にはあ
りません。
ただ生きること、音楽することだけに価
値があるのです。
全身から湧き出る音だけが、すべてで
す。
マンゾーニ、ヴェルディ、スカラ座、ア
バド、ベルリンフィル、スウェーデン放
送合唱団、声楽のソリストたち、遠くは
ロッシーニやモーツァルト、音楽の神
ミューズ、そして聴衆たち。
いくつものえにしが重なりあい、この時
があります。
音楽とは、生きることとはそういうもので
すが、これほどそのことを強く、美しく感
じさせる演奏はありません。
時間と空間を超えて続くえにしの余波
に、私たちも遠く連なります。
荒ぶる魂も、安息の時を迎えます。