小さな宇宙の作り方 その13 責務とつとめ

小さな宇宙の作り方 その13
責務とつとめ

最近のマスコミの話題の中心は、
日大アメフト部の暴行、安部首相
のモリカケ、MeTooに代表される
セクハラなど、社会の中での権威
と責任のあり方を問うものが目立
ちます。
巨大化し、複雑に利害が入り組ん
だこの社会では、誰がリーダーで
も大きな方針や政策の違いはあり
えません。
けれどその中でもごくわずか、もし
かしたらほんの1%に満たないかも
しれませんがトップの裁量の範囲
はあるでしょう。
こうした利権は今の世の中に始ま
ったことではありませんが、巨大な
社会のピラミッドの頂点に立つご
く一部の人たちにより大きな権力
や利権が集中します。
全体からすればごく小さな割合で
も、大きな組織では個人では考え
られないような大きな金額が動き
ます。
上流、中流、下層というかつての
緩やかな階層ではなく、数%のごく
少数とそれ以外という圧倒的な格
差社会です。
一方、情報システムも巨大化して
速度をより速め、インターネットで
瞬く間に情報が大量に拡散しま
す。
大きなシステムを動かす人たちに
とっても、このマスコミやインターネ
ットの動きを無視することはできず、
むしろ非常に気を使わざるをえま
せん。
そうした中で責任の取り方がますま
す世の中の注目を集めます。
責任を果たすことが生きている証
しであるように。
私たちは社会に対して責任がある
と教えられ、それを果たすのが社
会人の責務だと思ってます。
法律とマニュアルを守り、戦禍にさ
らされる子供たちの食べ物の心配
をし、マイノリティの権利を保障し、
後進国の教育を推し進めようとし、
環境への配慮も求められます。
それをしなければ世界に対する
責任を果たしていない、多くの人
が責任を果たさないために、世界
はいつまでも良くならないのだと
思わされてます。
それに対して、イリイチやフーコー
等の先進的な社会学者たちは、
「責任などというものは無い」と言い
切ります。
人間はいつも進歩するものだとい
う前提に立った、社会が作った幻
想でしかなく、世界を支配する巨
大なシステムを維持し、補完する
ためのものだというのです。
違う会社、別の国では、要求され
る責任は変わり、その場だけのもの
で、永続的ではありません。
けれどそうした社会的な責任でな
く、ひとつの命であるからには、命
として全うせざるをえない責任も
あります。
この世に生まれて命を輝かせなけ
れば、生きている意味はありませ
ん。
また命同志としてつながっている
人たちへの責任も当然あります。
こうした責任は「つとめ」と呼ぶ方
が似つかわしく感じます。
本能的であり、自然発生的であり、
命が続く限り不変です。
それに対して社会が要求する責任
は立場が変わればまったく別のも
のとなってしまう「責務」です。
責任として同じように見え、区別し
にくく、現実にはつながっているこ
との多いこのふたつを分けて見
ないと、私たちは何のために生き
ているかを見失ってしまいます。
報道されるニュースへの興味と違
和感も、責務がひとり歩きすること
への共感と反感の葛藤です。
人とつながることに快感を感じる人
たちが、政治や権力に興味を感じ
ることは当然でしょう。
けれど、命の自然なはたらきから
離れると、とてもグロテスクなもの
に変質してしまいます。
それは彼らだけでなく、私たちの
身のまわりにも同じように起こりえ
ます。
10人にも満たない晴屋の責任でさ
え、私には重くのしかかります。
これが100人、1000人、それ以上
の見知らぬ人たちにまで責任の
範囲が及ぶなど考えることもでき
ません。
クレームを言い権利を主張するこ
とと、裏返しにある責任を負うこと。
商品の選択の自由と便利さと引き 
換えに、社会システムへのより強
い呪縛が要求されます。
この連鎖を断ち切って、小さな社
会を再構築するには、責務とつと
めをはっきりと区別する生活と文
化が求められます。