晴屋の青い扉 その88 懸命な言葉

晴屋の青い扉 その88
懸命な言葉

3月は忙しい季節だ。
暖かさに誘われ、何かとそぞろ歩
きたくなり、新しいものを求めて人
が動きだす。
転勤や新入学で、実際に動かな
ければならない人も多くいる。
仕事も年度末で、車の通行も多く
ざわざわとした雰囲気がひたひた
と押し寄せる。
以前よりは商品が見やすくなった
晴屋だが、外へのアピールはま
だまだ不足している。
特に看板は「晴屋」の字しかなく、
いったい何を売っているのか、何
を訴えたいのかが伝わらない。
雰囲気や内容を、一言や絵で表
現できればいちばんいいのだが、
これがなかなか難しい。
ドイツに行ったとき、内容が充実
し、親しみを持てた自然食品チェ
ーン店に、「LPG BioMarktエ
ルぺーゲー・ビオマルクト」という
のがあった。
LPGは、美味しくて、安くて、安全
という言葉の頭文字、ビオマルクト
が、有機栽培の店という意味だ。
こうした短い言葉で内容を表現で
きる言語を羨ましく感じてしまう。
日本では「自然食品店」という言
葉が長い間定着していた。
しかし「有機」「無農薬」「無肥料
自然栽培」などのより明確な基準
を表現している言葉が氾濫する
中では、実態がよく分からない曖
昧な表現で、イメージだけが先行
し内容が伴わないものと混同され
る。
「無添加」や「無農薬」も安全さを
前面にだしたものだが、これも
行き過ぎると都会の消費者がお
金の力で良いものを買い集める
エゴを感じさせる。
晴屋では以前から「美味しい」に
価値を置いてきた。
美味しいは人によって基準が違
い、他の誰も押しのけるものでは
ない。
自分の体に必要だという正直な
感覚そのものだ。
あれが良いはずだとか、良いと
言われているという不純な理屈
ではない。
そして「安心」も、心が安らぐという
意味だ。
どんなものでも、嫌いな人と食べ
ればまずく感じるし、心をこめて
出されたものなら美味しく感じる。
そうした人や自然とのかかわりを
表現している。
ドイツ行って、ちょうど一年。
その間くすぶっていた思いもあっ
て、新しい看板の制作を決意し、
メンバーたちに提案した。

  やOYA 晴屋
    Oisii Yasui Ansin
        おいしい野菜
        安心な食物

というものだ。
ドイツ語のLPGを、ローマ字のOYA
に替えて、八百屋というなじみの
ある言葉にかけている。
分かりやすくて、ちょっと面白くて
うけると思ったのだけれど、残念な
がら大ブーイングの嵐で、あえな
く却下となってしまった。
みな、OYAが嫌なようだ。
良いと思ったのだけれど。
だったら何がいいのかと言うと、
「有機が分かりやすくていい」とい
う提案があった。
たしかに今日、最も定着した表現
だ。
昔は、有機八百屋とうたっていた
時もあった。
有機はとても意味合いの深い言
葉だ。
無機の反対で、一酸化炭素CO
と二酸化炭素CO2等以外の炭素
化合物というのが本来の意味だ。
結合力の強い炭素Cは簡単に化
合しないが、化合するとその状態
を保つ。
生物はその力を利用してエネル
ギーを蓄えたり、身体の組織を作
ったりする。
だから「有機」というのは、生命
活動の証であり、複雑なものが集
合して全体で調和して生きている
状態を表現している。
「有機的」という表現にそのニュア
ンスが生きている。
それが今は、一定期間農薬等を
使っていませんという安全性を証
明する表現となり、すっかり安っぽ
くなってしまった。
それに、とても抵抗がある。
それで妥協策としてTradという言
葉を思いついた。
Traditionalは伝統的という意味。
TradOrganicsは、今の有機でなく
昔からの本来の意味の有機だと
いう自己主張をこめた私の造語
だ。

HAREYA
Trad Organics
        おいしい野菜
        安心な食物

「晴屋」より、下の言葉を前面にだ
したかったので、晴屋はローマ字
にした。
これで一応、皆の了解がとれた。
制作はいつもは私がやるのだが、
今回は外注する。
ミーティング時から参加してもらっ
た小泉さんは、40年以上の付き
あいがある。
私がシティロードという情報誌で
働いていた時のデザイナー兼編
集長だった人で、今は趣味で木
工をし、バザーなどで売っている。
木工の技術は私と大差ないが、
センスには当然光るものがある。
一週間ほどでできるというので、
その間に看板を変更するための
作業をはじめる。
吊り下げ式の両面看板は、今回
の計画の大きさでは、下にあるや
たらと丈夫に作った黒板用の看
板立てとぶつかってしまう。
仕事の合間をみて、15cm切り詰
め、半割の柱用の角材を切って
跡が分からないように付ける。
雨除けのアクリルも切って、はめ
なおす。
ペンキを塗り、照明のスポットライ
ト用の配線もやりなおして、最後は
ペンキで仕上げ。
日常の仕事をこなしながら、この
作業を一日ですませると、すっか
りエネルギーを使い切る。
腕は痛み、腰は強張り、首も固く
なって疲れを主張する。
そして数日後、看板をもって小泉
さんがやってきた。
看板は紺の地に、周囲が木目を
生かしたこげ茶で、人参が立体
的に色鮮やかに浮き出ている。
できはとてもよく、知らない人がふ
らりと入ってくる。
冷やかしが多くて少し迷惑だなと
思うくらいの人を引き付ける効果
がある。
私たちの思いが、実際にどれだけ
伝わっているのかは分からないが、
エネルギーを注いで作ったという
のは感じられるのだろう。
子育ても同じだけれど、何かが伝
わるというのは、内容の問題より、
どれだけエネルギーを注いだか
による。
春の、忙しいだけでなく、何かと
体調や精神が不安定な時期に、
なんとか乗り切って前に少し進め
たと実感できる充実した時だった。
看板は昔から常連さんたちには
何の効果もない。
気が付かない人も多くいるくらい
自然な仕上がりだ。
機会があったら、少し足を止めて、
こんなことにエネルギーを注ぐ老
いた男の馬鹿さ加減をお笑い下
さい。