アバドと静寂の音  その15「遊びと天心」  シューマン交響曲第2番

アバドと静寂の音 
その15「遊びと天心」 
シューマン交響曲第2番  2012年
  モーツァルト管弦楽団

シューマンはとても分かりにくい作曲
家です。
ふわふわと漂うようで捉えどころがなく、
おとぎ話のような楽しい美しさがあるか
と思うと、時として深い淵を思わせる鬱
積した暗い感情が噴き出してきます。
生存中から著名でしたが、作曲家とし
てだけでなく、評論家、文筆家として
も支持されていました。
バッハの再発見に貢献し、メンデルス
ゾーンやブラームスを評価して世に広
め、ショパンの真価を伝えました。
奥さんのクララも美しく有名なピアニス
トです。
当時の流行の最先端をいく人です。
世の動き、人の持つ力を見ることに長
けており、何をどう伝えれば支持され
るという感覚を身につけていました。
極めて現代的な性格の持ち主です。
病に侵され、薬も効かず、クララに唇
にワインを塗ってもらって症状を緩和
させている時に、「僕は、知っている」
などと言って暗い心の奥底をのぞか
せたりします。
明るく前向きな躁だけでなく、鬱々と
したものも持っていました。
そうした現代性は曲にもあらわれ、情
緒や思索よりも音の運動性がシュー
マンの何よりの個性です。
けれどこの音の動きの中にある動きを
とらえた演奏は多くありません。
シューマンをロマンチックな作曲家とし
て扱う人が多いのです。
私も正直言って、分かっているとは言
えません。
センスも頭もよいけれど、良くも悪くも
現代的な、底の浅さもある作曲家だと
思っていました。
このアバドのシューマンを聴いて、初
めてシューマンに近づけました。
夢幻的な表情と現世的ともいえるよう
な音の運動性が波状的にやってきて、
渦にまきこまれます。
アバドの的確な解釈と棒で、音が絡み
ながら上昇し、リズムがこだまのように
反復しながら変化していくのが手に取
るように感じられます。
行方も知れず流れに身をまかすと、何
にも縛られない世界にいます。
第3楽章のアダージョなど、夢のように
美しいのですが、肉体や感情に直接
訴えるものではありません。
流れるような旋律と大きな波のように
押し寄せる盛り上がりも、美しい映像
のうつろいを眺めているようです。
胸に迫り、内を動かすものはあるので
すが、舞台や映画を見ているようでど
こか切実ではありません。
生活や現実を離れたところにある想像
の世界、いわば作り事です。
芸術とはもちろんそういうものですが、
シューマンの場合はその度合いがとて
も強いのです。
何かを突き詰め、生き方を問う厳しさ
とは違う、責任を離れた自由の世界で
す。
そう、これは最良の意味での「あそび」
です。
アバドはそのシューマンの世界で、背
中の翼をいっぱいに広げて飛翔しま
す。
美しく、切なく、愛おしく、純粋です。
誰のためでなく、誰にも束縛されず、
目的も、責任もなく、自在です。
人間はあそぶために生まれてきたとも
言えます。
意味のないものに意味を与え、虚構
の中に新しい価値を作り、その世界
に自由でいることに歓びを感じます。
アバドはすでに人から評価されること
にも興味を失っています。
オーケストラのメンバーや聴衆に何か
を伝えようともしていません。
音の世界でただ、あそびます。
そこにあるだけで美しく、楽しいのです。
みがきぬかれた、結晶のような「あそび」
の極致です。
人は純粋無垢で、天心爛漫に生まれ
てきました。
世の習いに従っているうちに純粋さを
忘れ、多くの人に支持され、多くの物
を手に入れるのが目的になり、決まり
事を守ることを覚えて、大人になります。
けれど人生の目的のひとつは、歳をと
ってから天心に帰ることです。
天心は、人の存在を超えた大らかで、
伸びやかな動きです。
天と交わって遊び、永遠に感じられる
宇宙の動きと一体になります。
子供の天心は自然ですが、老人の天
心は感覚と精神を鍛え、まっすぐに道
を歩み続けなければえられません。
アバドは人として稀にしか到達できな
い世界の住人になっています。
アバドはいったいどこまで行くのだろ
う。
ワクワクした期待とともに、胸が切なく
疼きます。